自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

チュチュとチャチャ

2012年09月23日 | ペットロスの癒し

 

チュチュとチャチャ

チュチュとチャチャの改訂版です。

チャチャ語る・・・・・

  僕らはヒマラヤ生まれの兄弟。 

     6年前、印度から日本に海を越えてやってきた。

 

  僕たちはもう、天国です。

  チャチャは黒と白のけなみ、チュチュは白とゴールド、

  黒なのに、何故 チャチャかって?

  それは、イタリア人のように、陽気で、チャオ!って

  人になついて寄って行くからなんだ。

 

  チュチュは、僕と違って人見知り。

  名前の由来は、デリー・カーンマーケットの犬やさんで、

  こごんで眺めていた(飼い主になる)やすよさんに、

  近寄ってきて、チュって、小さな 雀のような舌をだして、キスをしたそうだ。

  だから、こんな名前になった。

 

ところで、

  僕(チャチャ)がはじめにダウンした。

  ブログ(H.24/11月20日前後)にいろいろ書かれているようだけど

  僕は、腎臓に尿が逆流して、集中治療室とやらに一日危篤状態でいたけど、

  見舞いに来た、Yの手当で急激に異常値が下がって、

  退院OKになった。

  自宅療養。 

  亡くなる前の4~5日間の写真、ベッドに乗って、

  カメラ目線で・・・いい顔しているでしょ?

  最後の瞬間はYに見守られて、魂は僕の体から出れた。

  意識は最後まであったんだよ。

 

チャチャが飼い主のひざの上で、命つきたとき・・・

チュチュ語る

  チャチャの葬式は、僕も見守っていたよ。

  粛粛と行われていた。

  チャチャがいなくなって・・

  なんだか急にさみしくなった。

  今まで一緒に歩いていた、

  鶴川の銀杏並木の散歩道、

  道端の花の香りも、

  見慣れた風景総てが

  木々の木漏れ日さえも

  以前とは、どこか 違っていた。

 

  まるで、太陽に影がさしているかみたいに

  同じ光の輝きが 変わっていた

  なぜか、いつも、飼い主は、

  ”チャチャ、チャチャ”と口ずさんで

  何をしてても、どこに行っても、

  チャチャを思い出させる思い出いっぱい。

 

  僕とチャチャは、4つ子。

  生まれる前から、母さんのおなかで一緒だった

  チャチャ、

  生まれてからも、考えてみたら

  きみとは、片時も離れたことなかったな。。。。

 

そんな時 僕(チュチュ)を撮った写真。

  良く見てくれる?

   白に薄い金髪の並僕の毛が、黒いチャチャの毛の色に

  変色している。

  背中や顔の部分だよ。

  ネガ自体がすでに、こういう色だったんだ、現像の時の

変色ではないらしい。

  そうだよ。僕は知っているよ。

  この写真はチャチャが他界して4日目の散歩の時。

  僕達はいつも一緒なんだ。

  それを気づかさせてくれる証拠ナンダ。

 

  飼い主は、”チュチュとチャチャは合体してしまった” 

なんて、  話していた。

 

そうかもしれない。

  だから、今年の3月、やすよさん(注;飼い主)が、

  ガンジス川に向かっていたとき、

  僕は、いてもたってもいられなくなった。

  アマリリスの花がヴェランダ(デリー)で綺麗に咲き誇って

  いたとき、

  日本では、心臓麻痺のようにして、

  僕(チュチュ)は肉体を脱いで

  二人、チャチャと彼女のもとに、飛び立ったんだ!

 

  チャチャの骨を 聖なる河に流すとき、僕も一緒にいたかった。

  チャチャと一体になった僕も、懐かしいガンジス河で

合流したかった。

  チャチャだけ逝かせないよ。僕たちは一緒だ。

  ”僕(チュチュ)を 置いていかないで!”

  って 魂が飛んで行ってしまったんだ。

 

ガンジス河。

  僕たちの故郷、ヒマラヤから流れている川、

  僕(チュチュ)は、チャチャの骨が 祈りとともに、

ガンジス河に流されるとき、

  一緒にそこに居たかったんだ。


  僕たちが赤ちゃんだった頃、 そう、 飼い主が、いよいよ、

  印度を去るとき、

  僕と、チャチャと、彼女の家族たちと、ガンジス河で沐浴したんだ。

  身を清めたんだよ。


  印度広しといえども、あの聖なる河に入った犬は僕たちぐらいだよ。

 

  その時と同じ場所で、チャチャの分骨が、

  河に流されるのを僕は知っていた。(H.25/4月4日)

  そんな、ガンジス河をもう一度 チャチャと一緒に、

  見たかった。

 

  3月31日にYがガンジス河に到着して

  翌日の夜明け前。

  僕は彼女の夢枕にたって、”もう、行っても良い?”

  って聞いたんだ。


  しぶしぶ、承知してくれたから、

  僕は、その朝、6時に(H・25/4月1日) 

  心臓発作で 肉体を抜けて、ガンジス河めざして、

  Yとチャチャのもとに、

  飛んで行った。


  そして、 Yの供養のもと、

  僕たち魂は、兄弟仲よく、天国に旅立った。

 

  僕たちのことを愛してくれた、

  やさしい、お友達たち、

  忘れないよ。

 

 

 

 

コメント (2)
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