肝炎になって、自然力を知る 平成25年9月12日
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自然力とは *** part Ⅰ
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この数日、近藤医師の著書をご紹介している。
著書のタイトルが”医者に殺されない47の心得”
という少々、ショッキングなものだが、内容は、
副作用や誤診をはじめ、”患者に寄り添う治療とは何か?”
ということを、患者側から考え 判断をしていくきっかけを
与えてくれるものだと思う。
先日、読者の一人が、
”そうは言っても、私は、xx の薬で心臓病を克服できた”
という意見をいただいた。
確かに、医者に難病といわれても 薬や手術で
克服するかたがいれば
早期発見して治療に専念しても、助からない方がいる。
あるいは、放っとけ療法で癌を温存しながら、
長命を保つ人、あるいは、完治する人
などさまざまだ。
それはどういうことなのだろう?
先日、テレビでコマドリ姉妹という、昭和の
演歌スター歌手の唄を聞いた。
75歳で いまだに、現役。
彼女たちは、苦悩に満ちた半生を語り、
姉妹のどちらかの方が 癌を克服した
体験も語っていた。
人生模様の重みが伝わるには十分な
エネルギーを発散しておられた。
そのエネルギーにお二人の演歌人生が支えられてきたのだ
とも感じられた。
先ほどの読者の方の、冒頭質問に戻れば、
”完治する”ということは、完全治癒だから
再発もなく、健康体になること。
そこには、隠れた秘訣がある。
その人の生命力の突き上げがあってこその
完治だから。
以前、ブログで心療内科の創設者 池見博士の
”自然治癒力”の見解をご紹介した。(*1)
誰の体にも備わる、不可思議な治癒能力と
計算しつくされた自然生体機能。
どのような治療を行うにしても、完治したとしたら
この力の働きが、十分に出し切れたときだろう。
そして、癒すとは どのような施術にしろ、
この治癒力を 被施術者から
引き出させることだ と筆者は、考えている。
さらに、天命 ということ。
何かまだ残されている大事なミッションがあれば
人は、生かされていることだろう。
薬が先か? 自然力が先か?
天命か?運命とは?寿命は?
ここに、それに関連した内田医師のエピソードを
紹介したい。
”医学学校を卒業し、インターン、
医師国家試験を終えたころは
病気についてなんでも知っている~
と思いあがっているものであるが、
臨床医学を勉強するにつれて、
次第にわからなくなり、
3年目ごろになると、大きな壁に
ぶつかるようになるものだ。”
とは内田医師が内科医局に入った先輩医師の
コトバだった。
”実際、細菌感染症の疾病や、膠原病、癌をはじめ、
臓器の病気の中には、内科書をみても原因が
はっきりしていないものや 複数の要因のものが
多いので、治療によって一時は軽快しても、
完全治癒に至らない場合も多くみられます。”
と 内田医師は医学の限界に突き当たったり、
臨床現場の現実を知るにしたがい
”絶対治ります”と 患者に請け負う
ことができず、悩んでいたころ、
胃潰瘍になり、薬の服用を始めた 。
すると、担当教授が
”内田君、胃潰瘍は薬が効くのか、
その時に飲む水が効くのか、どちらだと思うかね?”
と奇妙な質問をした。
”薬と水との両方が効くのだと思う”
と答えた内田医師に対し教授は、
’胃潰瘍の薬より、水の作用の大切さを
案外みんなはしらないようだね。
薬物学の本の第一頁に何が書いてあるか
もう一度調べてご覧。”
と言うので、内田医師が調べると、確かに、
”水” が 薬物学本 第一ページに記載されていた
そこで、内田医師は
”傷んだり、胸やけのたびに水を飲んでいたところ、
約3週間して胃の写真を撮ってみると、すっかり治っていた”
という体験をして、其の後 患者にも試みて
水 の 治癒力効用を確信する
内田医師は この水の効用を体験することで、
”自然力の素晴らしさに目を振り向ける
ことを教えていただいた”
と 著書に記している。
自然力 というのは 水に限らず、
私たちの体に、あふれている。
内田医師が、薬物中心医療から、生命力という
自然の力をとりいれた、”生命医療”に携わる
きっかけは、次のように書かれている。
大阪大学で1年半の研修後、市民病院に
勤務した当時、流行性肝炎が流行していて、
内田医師も、感染した。
完治したとは言えず、慢性的になって、数年後には
肝機能が悪化し、薬物治療を長年受けていた。
すると、当時の肝臓専門の木谷教授は次のように言う;
”内田君、人間の考えた10や20の検査結果が
どんなに悪くても、肝臓 にはまだまだ何億という
人間では計り知れない不可思議な作用があるのだよ。
医学で研究されているのは、その ごく一部にすぎない。
現に障害された肝臓や切除した肝臓に再生能力の
あることが、我々の研究で確かめられているのだ。
それに、病気と寿命は別です。”
この言葉で 内田医師は、次のような感想を記している。
”現在のように、医学が発達してきても、
医学で解明されているのは、まだまだごく
一部で 研究すればするほど、人間知では
計り知れない、何億という不可思議な
働きがあることが判ってきたと
先生は言われるのです。
まして、病気と寿命は別だ、
と聞かされた時、寿命 とか天命 という
厳然たる存在の前には、病気というもの
が非常に影の薄いもののようにおもわれて
きたのです。
内田医師の仮死体験***** part Ⅱ
内田医師自身が その天命を 実感体験される。
死の淵まで行ったものの、天命尽きずと
この世に戻ってきた体験を著書に綴っている。
引用すると、
”昭和34年正月 京都の城南宮への初詣の帰路、
雨にびしょ濡れになって長時間歩いた後、
3日間の悪寒戦慄をおして出勤したところ
40度前後の高熱が出始め
往診の医師が解熱剤の注射をされると、
多量の発汗とともに、35度に急降下し、
また、悪寒戦慄で40度に上昇するといった状態が
10日間続き、ついに、胸内苦悶・血圧降下(40~0)
で緊急入院になりました。”
さらに、内田医師は、入院中、抗生物質、強心剤、
輸液治療を続け、 2週間後には心臓停止の状態に陥る。
”ベンも尿も焦げ臭くなり、ついに
心臓と呼吸が停止して
桃色の美しいベールで
包まれた中を、私は吸い込まれるようにして
歩んでいったのでしたが、
突然、 ’私は、この世に何か大切なものを残してきた!
なにくそ!死んでなるものか!’
強い力でグググッと胸に迫るものを感じたと思うや否や、
トクトクと心臓の鼓動を感じはじめました。
’あっ、生き帰った!’ と傍らの主治医の叫び声が耳に入りました”
さらに、この時の体験から
”高熱が出ると 病抜けする”という、高熱の効果を身を持って知る。
”院長先生からも あの日は引導を渡されていた”
という総婦長の言葉どおり 多くの仲間がもう、
内田医師の生還は難しいと思っていた中での、生き帰り。
まさに、天命 というものだろう。
この時 ”まだ大事なことがこの世に残っている”と
内田医師は 死への道の途中で想いだした。
突き上げるほど強い力で、そのことを果たすために
この世に戻った”大事な事”・・・それはなんだったのだろう?
内田医師は綴る。
”私のような、つまらないものでも、人を喜ばすことが
できるのなら、生きていてもよいではないか・・・と
長い間、死への思いが重くのしかかっていた私でしたが
26歳のこのころから、
生きる希望が芽生え始めていきました。
この間、薬物治療 のみに偏らずに、
食餌療法、生活指導を主にした、人間の体を
総合的に判断する治療法を教わりました。
これが将来の私の医療の基本となり、やがて
精神面を導入した、’生命の診療’へ通ずる、一過程になりました。”
生命医療とは、精神面を導入した、心身一如の医療。
心の内面が肉体に作用し、その逆も真なり。
心身両面のバランスをはかりながら、人間の本質を
知ることで、病に対する、恐怖感を取り去っていく。
それば、体の持つ自然治癒を開花させ、
多くの患者さんに悦びをもたらす医療の道への
内田医師の再出発であったのだと思う。
*1) H・254月20日ブログ参照
”信ずることによって、起こる患者側の
心身の変化の方に注目すべきだと思われる。
即ち、それらの水は、患者自身の中にある、
可能性を引き出すひきがねとしても、
重大な意味をもっていることが考えられる。
この患者に内在する可能性は、一般に
自然治癒力 と言われている“ と池見教授は述べている。
参考: ”生命医療を求めて” 内田久子著 日本教文社 平成7年