目前で、水を氷にしたが・・その目に見えない意識科学
2020年12月18日
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前書き
2013年6月から10回にわたって、アメリカ調査団が
ヒマラヤ付近で遭遇した聖者との体験記録を
ご紹介しました。
この世離れしている架空の話と、思う方も
いらっしゃるかもしれませんが、16年インド
に住んでいた私にとっては、ただの手品や
物珍しさではない、正真正銘の真理が
聖者との体験記に込められているような気がいたします。
これから再度 数回にわたり、推敲したものを、再び、
掲載させていただきます。
これまで、想念はエネルギーだという話題を何度か取り
上げています。
皆様の想いがこの調査団の人たちと重なり、ヒマラヤの浄化
された冷たい空気に包まれ、浄化されますように・・・・・
著者はしがきから
わたしは1894年に極東を訪れた11人の調査団の一員であった。
3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。
大師は私たちが 偉大なる法則の働きを実証されるのを実際に
見るために、大師がたの生活の中に親しく入り込むことを許して
くれた。
私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と教え”
と題して、発表するが、そこに盛られた内容をそのまま受け入れるか、
否認するかは、読者の自由である。
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その晩、一同が宿舎で集まっていると、いつものように、突然ドアー
も開けずに、エミール師が 彼らの真ん中に出現した。
“いわゆる、魔法のように、私がこの部屋に顕れ出たのを皆さんは、
今、目撃しました。
さて、今度はみなさんに、肉眼でも見える 一つの簡単な実験を
してみましょう。
皆さんは 肉眼で見てから、初めて信ずるのですからね。
どうぞ、よく見えるように、丸く輪をつくって、寄ってください。
さて、ここに皆さんの中の 誰かが今しがた、泉から汲んできた
ばかりの、水が一杯あります。見てごらんなさい。
水のちょうど真ん中に、氷の一片 ができかけてきたでしょう。
一片一片、だんだん 固まってきた氷の部分が増え、とうとう
コップ一杯に凍ってしまいましたね。
一体どうしたのでしょうか?
私は水の真ん中の分子(複数)を 私の想念によって ‘普遍なるもの’
(the universal)の中に置き、それが形をとるようにしたのです。
言い換えれば、そのヴァイヴレーション(波動)を下げて行って、
遂にそれが氷となり、その外の分子群も その周囲に集まって形
をとり、遂に全部が氷に化してしまうというわけです。
この真理(法則)を、みなさんは 小さいコップだけではなく、桶や
池、湖や海、はては地球上の水全体にまで適用できるのです。
そうすると、一体どうなるでしょうか?
皆 凍る ことになりはしないでしょうか?
一体、何のために?
目的はないんです。
それでは、一体 いかなる原理によってそうするのか、と皆さんは
お尋ねになるでしょう。
‘完全なる法則の使用によって’ と私はお答えしましょう。
では この場合は一体、何の為か?
何のためでもありません。
それは、別に何かの為になることもなかったし、また、為になるよう
にもできません。
もし私が、この実験を 徹底的にやり続けて行くとすれば、結局
どうなるのでしょうか?
それは 反動 が来ます。
誰に来るか? 私にです。
私は法則を知っている。
だから、私の 表現するものは 忠実に私に返ってくるのです。
故に 私は、善のみを表現します。
したがって、善のみが 私に 善として返ってきます。
もし、私がどんどん凍らせ続けていたら、最後の目的を遂げる
ずっと前に、冷寒が 私に 跳ね返ってきて、私まで凍ってしまい
私自身の冷凍という形で 私は自分の希望の収穫物を刈り入れる
ことになるでしょう。
だから、私が善を表現すれば、私は永遠に私の言葉を収穫するのです。
今、この部屋に私が現れ出たのも、こういう風に説明ができます。
あなた方が私を残して出て行った小部屋で私は自分の肉体を
‘普遍なるもの’に戻した。
私たちの言い方をすれば、一切の質量(substance)が 存在する
‘普遍’なるものの中に、一旦 奉還したのです。
それから、私の 神我(I AM~実相)、即ち、内在するキリスト意識を
通して、肉体を心の中に置くと、そのヴァイヴレーションが下がり、
ついに この部屋の ここへ、具体化し 再現して 皆さんにも、
見えるようになるというわけです。“
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****後記***
ここでのポイントは二つ。それは、水を凍らして氷にすることが
できる理由は 物の本質である波動をどんどんと精妙なものに、
大師の思念で替えていくことで、氷という分子構造に作り替える
ことが可能だということ。
ところが、それを突き詰めて行って行けば、その法則は自分自身に
返ってくるため、大師自身が凍っていってしまうという面白い予測
を大師は語る。
これは日常生活にも言えることで、誰かに対して怒りの気持ちが昂じて、
その人の不幸を願うようなことを念じ続けていると、結局、自分に
その念が帰ってきて、自分も不幸になるという法則だ。
もう一つの点は、内在のキリスト意識、つまり、自分の神聖なる
意識に完全に自分を帰結させると、肉体はその荒い振動数から
きわめて精妙な振動と移行するために肉眼では認識できない姿になり、
また壁やドアなどの粗い物質の目を通り抜けるほどになれると
いうこと。
つまり、普遍なるものに自分を戻して、その場所に行き、着いたら
また粗い波動に波動数を下げていき、肉体としてみんなの前に姿
を現したということである。
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参考)
ヒマラヤ聖者の生活研究―
自由自在への道 全5巻
S54年6月5日第五版
ベアード・T・スポールディング著
仲里誠吉訳 霞が関書房