自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

三輪明宏さんの言葉と小池さんの都民ファースト

2017年03月31日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

 

ある教育評論家の体験談を受ける側の曖昧性・ 2017・4.6

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今日は 先回に引き続き、アガスティアの葉に関したインド旅後半

予定でしたが、 昨日の都議会で昨小池さんの豊洲政策にモノ申す

という形で 自民党の意見が発表されましたので、急遽、順番を

変えて この記事を先に発表させていただきます。 

自然治癒力と政治の話は 直接 関係ないですが、今日の

話題は、あくまで、”心の曖昧性” というテーマですので 

よろしくご理解ください・・ 

”心の曖昧性” は 言葉の曖昧性 に端を発し、その心理的

影響として、マスコミなどが利用すると、私たちが気が

付かないうちに、その世代の価値観を作り出すこともできる。

その例として、負けることを知っていて第二次世界大戦を

つづけたときのように、戦争に行きたくないあるいは、

戦争が無駄であるとわかっている人たちも 世論に

抵抗することができず、戦地に’名誉な死’を予測して

万歳三唱で送り出されたように、あるいは、柔らかい、

生きている人間の腹に銃剣を突きつけるのを余儀なくされたように・・・

自分の意見を持ってていても、その世代の大きな力(常識)

に飲まれていく状況を作るのも、発端に、自分にとっては、

理解しがたい、”曖昧な言葉”で洗脳され、反対意見をいう

ことが はばかられるような、風潮が背景にあるのでしょう。

アートマセラピー協会の提唱している、自然治癒力 を、

信じる過程においても、肯定的に受け止めている人でも、

実際それを発揮できるかどうかの瀬戸際に、意外と 

こうした 誰にもある、”曖昧な心” の心理が、影響を

与えているように思います。

ここは、寝ていれば治るを’感じる’自分の本能があっても、

周りから医者に診てもらうべきだと言われればそのよう

にする~といった程度のことではありますが。

残念なことに、言葉の曖昧性 を自分で吟味することなく、

受け入れてしまった場合、”自然治癒力発露” の足を

引っ張ることのほうのが多いようです。 

 

 

 

三月下旬のテレビの番組で”人生の苦しい時に救われた言葉”と称して、

あるO教育評論家がこんな話をしていた:

”自分は今から~年前に とても落ち込んでいました。 

それは バス事故で自分のゼミの学生が数人死亡したからです。

とても苦しい時期でしたが、ある人の言葉で勇気を与えられ、力をつけて

もらいました。 

それが三輪明宏さんです。 

彼のコンサートに行き、終わってから楽屋に尋ねました。

すると、Oちゃん、と私を見つけて 中に招いてくれた三輪さん

の横に座り、思いがけず苦しい胸のうちを語りました。

全くそんなつもりはなかったけど、なぜか、横にいるだけで、

彼のオーラに包まれて、ホット気がゆるんだのでしょう。 

三輪さんはやさしく抱いてくれました。 

そして、こうおっしゃたの、

’Oちゃん、人生は正と負の時期があるの。 今は負の時、

そういう時は苦しいことが重なるけど、出すだけ出せば、

負は正になって、良いことが必ず、出てくるわ。 

だから、大丈夫。’

この言葉で私は立ち直りました。”

 

ヴィデオをとっていたのではないので、逐一の言葉は少しずれて

いたかもしれない。

が、大要としては 間違っていないと思う。

三輪氏の言葉は 確かに真実だと私は感じ、共感を覚えた。 

皆様はいかがだろうか?

波がある人生。不幸続きのように思えても、必ず、それが

逆転するときはある。

自分の体験と被さった。 

アートマセラピー施術でも 同様のことがいえそうだ。 

どんなに一生懸命セラピーを施術しても一向に好転せず、

不安になるときがある。が、それでも根気よく信念をもって、

続けていると、ある時から好転するのだ。

好転前が一番、しんどい。症状がむしろ悪化して見えることが

あるぐらいだ。

それはちょうど 夜明け前が一番、暗く闇が濃いのと同様に、

症状が好転していく前触れの’闇’であったと気づかされること

が何度もあった。

時を待てば、”必ず、好転するときがくる” ということを

信じている限り、人は、絶望して自暴自棄に陥ることは

ないのだと思う。

 

そう思いつつ、一方では、その答えを復唱すればするほど、

人の心の曖昧さに ふと、苦笑がもれた。

一応納得する展開であったが、よく考えると、疑問がわく答えでもあった。 

なぜなら、ここでは、O氏のゼミの生徒、将来を約束されている

大学生数名が 命を落とした事件が、O氏がかつてないような

心の煩悶を感じた引き金になっていたからだ。

三輪氏の回答、”負の事柄は、出すだけ出せば、事態は好転する” ~ 

他の事柄、様々な不運が重なるとか、自然治癒力セラピーでいうように、

体の膿(うみ)を出すだけ出せば、浄化できる”などという場合なら、

当てはまるだろう。

 だが、三輪氏の言葉が、人の命を引き合いに出して語られるとしたら、

残酷すぎる言葉だ。 

あるいは、愛とかシンパシーがあったら、この事例にこの言葉は適当

でない気がする。

 

このあたりを、私は ”心の曖昧性”と呼ばせてもらいたい。

O氏が ほんとうに落ち込んだ理由と、ゼミの生徒が事故死した 

という点は、どこでどうかかわっているかということが、きちんと 

説明されていない。

O氏は、’ゼミの学生の命を落とす事故に遭遇して、落ち込んだ’と

いう理由の背後にある本当の要因に言及していない。

ご自身はそのあたりを 教育者である以上自覚されていただろうが、

番組を観ている方に伝わってこなかった。

さらに、三輪氏にハグされて慰めてもらうほどの苦悩が、どのように

語られたのか、よく伝わらなかった。

事故死で、若い命を 数名の学生が落とした~という事実自体は、

O氏の責任所在が問われることではない。 

O氏が この事件後、なぜ、人生で一番苦悩することになったのか、

それはこの事故が原因で連鎖的に何か他の不幸が続いたのか、

事件そのものがO氏に何か考えさせられる要因を与えたのか? ・・・

曖昧だ。

三輪氏の言葉、悪いことは(負の事)が出るだけ出てしまえば・・・

納得しそうで よく考えると、辻褄があわない気分になるのは

私だけだろうか?

 

こういうことは私たちの日常生活には 意外と多いのかもしれない。

深くじっくり考えると、矛盾のある状況や言葉でも、

サラリと言われ、聞き流してしまうと、わかった気分になって、

スルーしてしまう

 

この記事を書いているのは、3月の最終の日曜日だが、

もう一つ、気になっている事がある。 

言う方と それを聞く方の 双方の ’その言葉を使う際の曖昧性’

という点でいえば現時点での、小池都知事の 安心と安全

(豊洲問題)意見だ。

 

昨年、都知事になった時点で、先代から抱えていた、豊洲移転の

負の問題が 9月以降盛り土がされていなかったということを

皮切りに、浮上した。

当初は 都政の古い体質改善と都民ファーストを貫くという

立場で、歴代の関係者の責任所在を追及する姿勢に 大方は

 ”いじめられている小池さん”という見方で緩和されていたが、

私は個人的に、何となく違和感を感じていた。

負の遺産も、都知事として受け継いだ以上、懐(ふところ)を

大きくして、受け入れる~という度量と、過去の経緯の詳細より、

今山積している移転の際の現実的問題の解決方法に取り組むの

が前向きではないかと感じたからだ。

なるべく、無駄な時間と税金を最小限にとどめて、

使用するための安全対策を前進的に進めることを期待していた。

しかし、豊洲問題は白州のお裁きならぬ、企業や当時の担当者達、

都の思惑などの解明に、石原都知事ら関係者を百条委員会に呼び、

責任問題の追及に力を注ぐことで、すでに半年以上たち、その間、

専門家からは、安全という観点では大丈夫という結果が出ている。

一方、一日の維持費に 五百万円の経費が掛かっているという 豊洲の 

実際的移転が伸びることによって、波紋が広がる、市場関係者や 今後の解決

すべき問題に焦点がなかなか当たらない。

都民にとって必要な、安全で、”都民の胃袋を十分に満たすための

市場のフル回転”は いつ現実的に可能になるのだろう?

 

小池さんの潔白を盾にしたクリーンなイメージは 確かに成功したかのように

見える。 

が、都民ファーストと言いながら 今のような、豊洲問題の向き合い方は、

自身の夏の選挙戦のための 都合の良い ”選挙ファースト” 行為に

みえてくる。

 

一番に、安全でないのなら、安全に使えるための対策を早急に講じることと、

二番に、対策や改良をしたうえで、都民に、安心してもらうための 

多方面からの情報提供、

最終的に、そのうえでの、賢明なる都知事の政治的選択手腕が望まれる~

と思う。

 

結論としては、”都民ファースト”とか、”安心”とか、私たちの耳に

心地良い言葉が、己の政治的エゴを隠す 政治家の隠れ蓑になって

いるかもしれない~と 感じるのは私の偏見なのだろうか? 

安心と安全 が第一です~と言われれば、死活問題

で事業が追い込まれている市場関係者も 物を言うことができなく

なる~と感想を述べていたのが、気にかかった。  

 

 

 

 

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