「エビデンスを示す」、これは古くからある課題認識で、主張をするためには事実を押さえてから、述べたい主張を支える定理や実証済みの論理も示せると説得力がある、というもの。本書では、個別の事情を拡大解釈して主張することには、世の中の平均化された状況や統計情報をベースに述べるよりも、説得力を持つ場合があるという解説。ドキュメンタリーでも、聞き手が特記すべきと感じるような特異な経験や特徴ある固有の事情を詳述することで、説得力ある主張や受け入れやすい説明が可能である事例を解説する。新書大賞2024で第3位を獲得した一冊。
主観的な主張も、客観的測定結果や実証済みの定理や理論で裏付けることにより説得力を増すことはよくあること。しかし世の中には数値化できないことや個人の心の中の数値化には無意味なことも多いはず。統計学は世の中の趨勢や平均値を示すことには大いにその威力を発揮するが、教育や福祉、娯楽や恋愛などにも適用すると時に方向性を誤ったり、人の気持ちを踏みにじる結果になることもある。個人の経験を言葉で説明するときに、自分の気持ちをどのように表現するかは、統計的な数値分析では解明しきれないニュアンスがある。「生々しい」といえるような経験は、数値化できないことが多い。
功利主義は「最大多数の最大幸福」として政治的には活用できるが、個々人の不幸や不遇の改善には無力であることも多い。 子育てや教育を生産性や功利的判断で方向づけするときに、切り取られてしまう一部があることはよくあること。出産を「生産性」で語る国会議員がいるが、政策判断の中で全体最適のみを追求するだけの政治家を国民ははたして支持できるのだろうか。「優生思想」にはそのような側面があり、ナチスによる虐殺ややまゆり園の殺人事件をもたらした過去がある。
国や自治体としての政策判断や方針決定では、数値化された最大多数の最大幸福を判断材料とする必要がある場合が多いが、個人の特異な経験や不幸を受け止めて、それを例外的事項と退けてしまうことは、福祉や教育などの分野での保育士や介護士による行動としては推奨できるものではない。つまり、判断すべきTPOにより、その方向性は違ってきて当たり前。世の中は競争と勝ち抜きのみにより成り立つものではなく、大きな政策判断をなす場合においても、小さな不幸を見逃さない配慮や工夫が重要であることは言うまでもないこと。本書内容は以上。