意思による楽観のための読書日記

そこに君がいた 辻仁成 ***

辻仁成、どういう人間なのだろうか。海峡の光を読んで、エッセイを読んでみた。自意識が強い、友人とのコミュニケーションが取れない、思い込みが強い、しかしちょっとした文才はある。

海峡の光には青函連絡船の船員だった私と小学生時代にいじめられた優等生がでてきて、私は刑務所看守、優等生は犯罪者である。劣等感と優越感の戦いのような内面を描きながら、人との距離感は絶対守る、という感触を持つ私。このエッセイにもそれが現れる。

子供時代の思い出を描く「負けず嫌い、幻の詩、思い込み一番、好きな人と組みなさい、オナニー、学校」という一連のエッセイ。それぞれが文章としては面白く、幼い子供の楽しそうな幼年時代が描かれていて微笑ましく、エッセイとして成り立っている。がである。一番の思い出の隣のマー君、はたしてどんな子供だったのだろうかが分からない。その家の家族のこと、家の中の様子、暮らしぶり、辻家と一緒に行った旅行のことなどが書かれているのだが、マー君はいったいどのような子供だったのかが分からない。それでも「君がいて僕がいた」となっているのだ。マー君とはその後会うことはなかった。そして35年後に亡くなっていたことを知る。

思い込み一番、というエッセイ。結論は、ずっと思い込んでいたロックシンガー、小説家、映画監督になったよ、ということ。若い人達に、想いを持つことは大切、という講話のようなもの、といえばいいが、それを自分は王子さまだと思い込んでいた、中学時代にも自分はサイボーグだと思い込んでいた、そしてロック、小説とくるのだから、講話である。

好きな人と組みなさい。小学時代に先生がよく言ったそうだ。そしてクラスでいつもあぶれてしまうのが自分だと。ある時、男女ひとりずつが余ってしまい、そのことペアになってお互いの似顔絵を書いた。似顔絵は得意だったのでたいそうクラス中で評判になった。そんなに美人ではなかったその子の内面の美しさを描き出せた、という。「好きな人とばかり組んでいると人間、小さくまとまってしまっておも白くない」という講話である。

友人との距離感については筆者も認めているが、こうした友人がいたから今の自分がある、とも言っている。それはいいのだが、その自分の横には友人はいるのだろうか。下や後ろにしかいないのではないか。僕の友人にこういうタイプはいない。

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