1830年ころのアメリカ合衆国、特に南部各州では奴隷制度のもと、多くの黒人たちが大規模農場で働かされるためにアフリカ大陸から連れてこられ集められていた。白人たちは黒人奴隷たちを人間扱いせず、簡単にむち打ち、なんでもない理由で殺しても、なんの処罰も受けない。そもそもその頃の黒人は人間扱いをされていなかった。白人の多くが平気で黒人差別をするのは、黒人は白人とは同じ人間ではないので、良心の呵責も感じることはないからだった。
18歳のコーラは母のメイベルとともに、ジョージア州の農場で働かされていたが、母は娘が10歳の頃、一人娘を農場において一人で逃げた。コーラは置いていかれたことに傷ついたが、なんとか母の気持ちを理解しようと苦しんだ。殆どの逃亡奴隷たちは、奴隷所有者が放った奴隷狩りや、自警団、賞金稼ぎ達によって捕らえられたが、メイベルが捕まったとの知らせは届かなかった。
農場所有者は、残酷で執念深くて奴隷狩りの腕前で有名なリッジウェイに、メイベルを探してくることを命じていたが、見つからないことはリッジウェイにとっても農場の所有者にとっても腹立たしいことだった。当時は、州境を超えれば奴隷に対する制度や人々の態度も違うため、逃亡奴隷は州境を目指す。特に、北部は南部各州よりよほど黒人への理解者が多かったため、逃亡奴隷たちが目指すのは北、目印は夜間の北斗七星や北極星だった。黒人の歌に出てくる北斗七星にはこのような物語が隠されていた。
19世紀の南北戦争当時のアメリカ合衆国の地図を頭に描く。南部の州には、ジョージアがあり、北東にサウスカロライナ州、その北にノースカロライナ州がある。同じ南部でも州により環境は違った。コーラは同じ農場で働くシーザーに逃亡を誘われた。逃げおおせた唯一の奴隷の娘として、同行させる価値があると見なされただけではなかった。コーラには向上心と独立心があった。奴隷だけでは逃亡はできない。逃亡奴隷を援助する白人もわずかながらにいて、同じ志を持つ仲間同士で連絡を取り合い、黒人奴隷たちが逃亡する手助けをした。そんな白人たちも、見つかれば容赦なく同じ白人たちに見世物にされ、殺された。当時の警察や司法はそれを見逃していた。逃亡黒人を助けるネットワークは「地下鉄道」と呼ばれた。実際に地下鉄が現実のものとなるのはずっとあとのことであるが、本作品はそれを本当に地下にある鉄道だと描く。
コーラとシーザーはそんな逃亡ネットワークの人達に導かれて、サウスカロライナ州にたどり着く。途中、コーラは追手の自警団の一人を誤って殺害したため、殺人者として指名手配されてしまう。サウスカロライナ州では、黒人を保護する施設に入り、学問を授けられ、優しく対応されたが、それは、梅毒研究の人体実験を行う施設だった。実験材料にされていることを嗅ぎ取ったコーラは、その施設から脱出することをシーザに持ちかける。コーラを追いかけてきたリッジウェイが迫る間一髪で一人逃げた先は、ノースカロライナ州。そこはジョージア以上にひどい場所だった。
そこでは黒人人口が増えることを恐れた人達により、黒人は粛清され追放されていた。毎週公園では、捕まった黒人奴隷たちが公開処刑されていた。ノースカロライナ州でコーラを匿ってくれていたのはマーティンとエセルという夫婦。匿われていた家の屋根裏に声を潜めて隠れていたコーラは、そんな処刑を小さい小窓から見ることになる。通いの女中はアイルランドからの移民だが、彼女らも差別されていて、だからこそ彼女らはひどく黒人奴隷を差別した。マーティン夫婦は女中にも内緒でコーラを匿ってくれていたが、ある時女中の告げ口でコーラは捕まり、マーティン夫婦は処刑される。
コーラが見つかったその時、追手のリッジウェイが現れ、コーラは彼の手に捕まり、シーザは、サウスカロライナ州で別の奴隷狩りの白人たちに捕まり殺されてしまったことを聞かされる。リッジウェイはコーラを馬車に乗せて、ジョージアに帰る途中、もう一つの賞金稼ぎのために隣のテネシーに向かう。テネシーでも、黒人は迫害されていたが、逃亡黒人を助け出す黒人たちの組織があった。コーラはそうした人達に助けられ、更に西にあるインディアナ州ににげることになる。リッジウェイは黒人たちに殺されそうになるが、かろうじて生され馬車に縛られた。
インディアナ州では、黒人解放の理想を持つ夫婦が経営する農場に滞在することになったコーラ。こここそ終の棲家だと思うが、それに警告を発する黒人運動家たちもいた。そこからも逃げるか、それともその場所で、隣人白人たちと上手く折り合いながら平穏に暮らすか、黒人の間でも激論がかわされる。しかしその平穏だった農場さえも、白人たちに襲撃され、多くの黒人たちが殺害される。そこにも現れたリッジウェイをコーラはスキを見て殺害、コーラはさらに西に逃亡する。物語はここまで。
BLMが叫ばれている現代アメリカ。この物語は実話ではないが、現実にあった物語をベースにしたストーリーであり、すべてが現実社会に繋がってしまう。KKKを思わせる自警団による逃亡奴隷狩り、被差別者によるさらなる差別、黒人同士のいがみ合い。アメリカでピュリッツァー賞、全米図書賞、アーサー・C・クラーク賞を受賞したというのは、黒人差別を実感することが少ない日本人読者よりもずっと強烈な印象をアメリカ人読者に与えたからだろう。1860年の南北戦争で奴隷制は廃止されたが、厳然たる差別は50年前まで実際にアメリカにあり、トランプ大統領の登場で、それが再び目の前にはっきりとして形で現在に現れた。
アメリカで仕事をするうちに、よく耳にするのは”Political correctness”。差別はだめ、多様性を受容することが重要、宗教の自由、男女の役割の固定化はだめ。”Merry Christmas!”と無邪気に言う日本人は”Happy Holidays"と言う方が良いわよ、とたしなめられた。初めて聞いたときには、アメリカ社会の先進性を感じたものだが、現実のアメリカ人は、国全体でみれば50%以上が、本心ではそうは思っていなかったことが大統領選挙で分かってしまった。警察官が、容疑者である黒人の頚椎を膝で押さえつけて殺してしまう映像を見たときには戦慄を覚えたが、それは本書では当たり前の光景だった。差別は親から子へ、大人が子供に教えることで伝え続けられる。あの警官もそうした教えを受けてきたに違いない。恐ろしいのは、そうした価値観を半数以上のアメリカ人が今でも支持しているという事実。そして、そうした差別は日本にもあるということ。
BLM、長い時間をかけて積み重なってきたこの差別の歴史を、紐解いて解決するには、さらに何世代もの時間が必要なのだろうか。現在アメリカ社会を理解するための必読書だと思う。