意思による楽観のための読書日記

放送禁止歌 森達也 ****

テレビディレクターとしてドキュメンタリーを手がけてきた筆者、オウム真理教のドキュメンタリー「A」、そしてその続編「A2」は自主制作され高く評価されたという。その森がテレビで放送禁止になっている歌のリストの存在を知り、その理由、経緯、現状を調べた。

放送禁止歌にはどのようなものがあるのか。その多くは1960-70年代に反体制運動に乗っかったフォークソングの中に多く見られた。岡林信康の「手紙」「チューリップのアップリケ」高田渡の「自衛隊に入ろう」三上寛の「夢は夜ひらく」泉谷しげるの「戦争小唄」「黒いカバン」ザ・フォーク・クルセダースの「イムジン河」などである。歌詞の内容が放送に適さない、歌詞に差別用語が入っている、と自主規制の対象は広がっていく。そして2013年の紅白歌合戦で美輪明宏が歌った「ヨイトマケの唄」は歌詞に「土方」があったので当時の規制対象となったという。同様の理由で加山雄三の「びっこの子犬」も規制対象とされた。そして規制はさらに過去にも広がり、「竹田の子守歌」「五木の子守歌」も差別を歌っているとされ規制対象とされた。

これらの対象となる曲選定は民放連が作成した要注意曲一覧表で行われたが、放送しない判断は各局に委ねられた。リストを見るとピンクレディの「SOS」、101ストリングスの「恋は水色」、さだまさしの「朝刊」なども含まれ、犯罪を助長するかも知れない、差別と受け取られかねない表現や単語が入っている、というだけでリストに掲載されたと思われる物も有り、過剰な意識が見受けられる。原因は当時の解放同盟などによる差別に対する抗議、クレームへの反応であった。局へのクレームや問題となりそうな原因はできるだけ排除しておきたいという責任回避行動であった、とも解釈できる。こうした放送禁止判断は時代を経てなかば慣例化され、若手のテレビ局社員はあまり深く考えることなく、放送禁止用語、放送禁止歌を受け入れるようになったという。筆者はここに報道に携わる側の人間として「思考停止」の危機感をもつ。

森はアメリカでDJなどを経験したデーブスペクターに取材、アメリカでの放送禁止の状況を聞く。1960年代にはプレスリーの下半身の動きを放送しなかった、とか、生放送には6秒のタイムラグを設けて不穏当な内容の放送を防止した、などという話を聞き出す。アメリカでも日本と同様に反戦、反体制につながるかもしれない曲を放送しない、という傾向があったという。Puff、イエローサブマリン、ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンドなどはドラッグを示すなどと考えられて放送されなかったこともあるという。アメリカ的な動きにPC(Politically Correctness)による言い換えがあった。MankindはHuman being、chairmanはchairperson、MissやMrs.はMs.に統一するなどの男女差別につながる表現の言い換え、blindをoptically challengedなどである。

そして森は京都の解放同盟を尋ねる。竹田の子守歌は京都駅南に広がる被差別「竹田地区」で歌われた子守歌だったからである。その歌詞は赤い鳥が歌ったことで流行ったがその後放送禁止のリストに載せられた。「守りもいやがる 盆から先は 雪もちらつくし子も泣くし 早よも行きたや この在所越えて 向こうに見えるは親のうち」この在所がを意味する、というのが理由だったらしい。大きな問題は、これを歌っていた赤い鳥(当時は紙ふうせん)がこの歌の由来や意味を正しく認識していなかったこと、解放同盟から見ると正しく意味を知った上で歌うのであれば問題にしないという。知らずに歌っていることが問題だと。元歌には「久世の大根めし 吉祥の菜めし またも竹田のもんば飯」というくだりをはじめ14のパラグラフがあって、差別されながら生きていくために子守をさせられている少女が労働歌として歌った仕事歌ともいえる内容だった。

差別、関東に生まれ育った人には知らない人が多いのかもしれないが、今でも関西、特に京都、大阪、神戸、広島、福岡には被差別や目に見えない差別そのものが存在する。知らなければそのうちになくなるから、わざわざ知らない人に差別の存在を知らせてまわる必要はないのではないかという意見があるが、解放同盟の言い分はそれに反対するものである。経済的格差がなくなれば解消される、という見方もあるが本当にそうであろうか。本書は放送禁止歌の調査から入って「差別」が生まれるきっかけ、そしてその差別が世代をまたがって継承されていくさまを見出した。今でも放送禁止意識はテレビの世界にあることはNHKがを集落と徹底して言い換えていることから分かる。地方の人間が普通に「」と言っているのを字幕では「集落」とわざわざ言い換えている。言葉を言い換えれば差別はなくなるわけではないことは明らかなのにである。

差別について読者が考えるきっかけになる一冊である。


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コメント一覧

三島涼子
見過ごされていることへのアンチテーゼ
この本は読んでいないのですが、『A』を読んだ時の衝撃、自分が知りうる事は片面の一部であるということを思いだしました。この方の著作が出版される平和さを、幸せに感じます。
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