本年(2018年)1月から奈良新聞の随筆コーナー「明風清音」欄に毎月1回、主に「奈良の観光」をテーマに執筆させていただくことになった。同欄は毎週水曜日の掲載で、今も渡辺誠弥(のぶや)さんや梁瀬健さんが健筆をふるっておられる。私の担当は第3水曜日である(1月はお正月編成のため第4水曜日に変更された)。昨日(1/24)私の初回分の原稿が掲載されたので、以下に全文を紹介しておく。
※トップ写真は第18番恩山寺(2010年秋の四国八十八ヶ所巡礼で撮影)
宗教ツーリズムの波に
あけましておめでとうございます。新年から毎月1回(通常月は第3水曜日)、奈良の観光にまつわる雑感を本欄に綴ってまいります。
今年も奈良県は、たくさんの初詣客をお迎えした。観光統計では初詣客も「観光入込客」としてカウントするので、本県の1月の入込客数は大きく膨らむ(12月の2.6倍程度)。初詣客を入込客として数えるのは構わないが、それなら天理教の「月次祭(つきなみさい)」「こどもおぢばがえり」の参拝者や詰所の宿泊者もカウントすべきと思うが、私の知る限りそのような動きはない。考えてみれば、お盆の帰省や親族の法事も、入込客に含めて良さそうだ。
近年、「宗教ツーリズム」がいわれる。宗教的理由を動機とした観光ということで、典型的なのが「巡礼」だ。世界的に有名なのはサウジアラビアのメッカ巡礼、最近ではスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂をめざす巡礼。日本では熊野三山への巡拝や伊勢参りがある。
人気を集めるのが四国八十八ヵ所巡礼(四国遍路)で、巡礼者数は年間10万人とも30万人ともいわれる。四国遍路がこんなにブームになったのは、比較的最近のことである。平安末期にすでに四国遍路が行われていたことは『今昔物語集』などで知られるが、永らく四国における珍しい民間信仰の地位にとどまっていた。
これを宗教ツーリズムにまで高めた契機は昭和28(1953)年、伊予鉄観光社が催行した貸切バスによる四国遍路ツアーだそうだ。1960年代には盛んにバスツアーが行われ、宿坊を開業する札所寺院も現れてきた。
30年前の昭和63(1988)年には瀬戸大橋が開通する。「瀬戸大橋開通、JRの広報活動、まちづくりや地域活性化、遍路道へのまなざし。四国遍路をとりまくこのような状況の中で、(四国八十八ヶ所)霊場会は四国遍路の価値を再認識し、遅まきながらホストとして巡礼者を迎えるようになった」(森正人著『四国遍路』)。
そして1990年代には、四国遍路ブームが巻き起こる。バスなどを使った巡礼が普及する一方で「歩き遍路」が増えたのもこの頃だ。「自分探し」をしたい若者と「健康増進」を求める中高年者がブームを担った。菅直人元首相が歩き遍路を始めたのは、2004年のことだった。
しかし「四国遍路は空海が開創したという説は疑わしい。いつできたのかも分からないしそもそも仏教や真言宗の巡礼とはよびがたい」(同書)。もちろんお経にも出てこない。
初詣が今のように盛んに行われるのも明治中期以降で、鉄道の発展と関わりながら成立した。もとは「年籠(としごも)り」といって、家長が一族繁栄を祈願し、大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神のお社にこもっていたものだ。
近年の御朱印ブームは衰える気配がないし、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一翼を担う聖地・高野山は、欧州各国から多くの参拝客を引きつけている。本県では、大和北部八十八ヶ所霊場巡拝が動き出している。社寺王国・奈良県としては、宗教ツーリズムの流れに乗り、今年も国内外からたくさんの参拝客をお迎えしたいものである。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
お遍路さんを旅行(ツーリズム)に含めるのは誠に失礼なのだが、統計的にも経済効果の点からも、立派な「入込客」「宿泊客」なのである。文中でも触れたように、お盆の帰省や親族の法事もカウントすべきものだ。
奈良まほろばソムリエの会には「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を歩いてきた会員がいて(今年で80歳)、「サンティアゴ・デ・コンポステーラは、巡礼道と宿泊施設がよく整備されている。高野山は情報発信力が優れている。どちらも宿泊者を大きく増加させた」と話していた。彼は「吉野山⇔高野山の道を、世界遺産に追加申請しよう」と提唱している。
奈良県は多くの神社仏閣がありながら、これを宿泊観光に結びつけていない点が残念だ。特に吉野郡には、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録された多くの古刹や修験の道がある。「精神修養」「自分探し」「健康増進」などのキーワードで、多くの参拝者を引きつけてまいりたい。
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※トップ写真は第18番恩山寺(2010年秋の四国八十八ヶ所巡礼で撮影)
宗教ツーリズムの波に
あけましておめでとうございます。新年から毎月1回(通常月は第3水曜日)、奈良の観光にまつわる雑感を本欄に綴ってまいります。
今年も奈良県は、たくさんの初詣客をお迎えした。観光統計では初詣客も「観光入込客」としてカウントするので、本県の1月の入込客数は大きく膨らむ(12月の2.6倍程度)。初詣客を入込客として数えるのは構わないが、それなら天理教の「月次祭(つきなみさい)」「こどもおぢばがえり」の参拝者や詰所の宿泊者もカウントすべきと思うが、私の知る限りそのような動きはない。考えてみれば、お盆の帰省や親族の法事も、入込客に含めて良さそうだ。
近年、「宗教ツーリズム」がいわれる。宗教的理由を動機とした観光ということで、典型的なのが「巡礼」だ。世界的に有名なのはサウジアラビアのメッカ巡礼、最近ではスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂をめざす巡礼。日本では熊野三山への巡拝や伊勢参りがある。
人気を集めるのが四国八十八ヵ所巡礼(四国遍路)で、巡礼者数は年間10万人とも30万人ともいわれる。四国遍路がこんなにブームになったのは、比較的最近のことである。平安末期にすでに四国遍路が行われていたことは『今昔物語集』などで知られるが、永らく四国における珍しい民間信仰の地位にとどまっていた。
株式会社メモリアル飛鳥のホームページから拝借
これを宗教ツーリズムにまで高めた契機は昭和28(1953)年、伊予鉄観光社が催行した貸切バスによる四国遍路ツアーだそうだ。1960年代には盛んにバスツアーが行われ、宿坊を開業する札所寺院も現れてきた。
30年前の昭和63(1988)年には瀬戸大橋が開通する。「瀬戸大橋開通、JRの広報活動、まちづくりや地域活性化、遍路道へのまなざし。四国遍路をとりまくこのような状況の中で、(四国八十八ヶ所)霊場会は四国遍路の価値を再認識し、遅まきながらホストとして巡礼者を迎えるようになった」(森正人著『四国遍路』)。
そして1990年代には、四国遍路ブームが巻き起こる。バスなどを使った巡礼が普及する一方で「歩き遍路」が増えたのもこの頃だ。「自分探し」をしたい若者と「健康増進」を求める中高年者がブームを担った。菅直人元首相が歩き遍路を始めたのは、2004年のことだった。
しかし「四国遍路は空海が開創したという説は疑わしい。いつできたのかも分からないしそもそも仏教や真言宗の巡礼とはよびがたい」(同書)。もちろんお経にも出てこない。
初詣が今のように盛んに行われるのも明治中期以降で、鉄道の発展と関わりながら成立した。もとは「年籠(としごも)り」といって、家長が一族繁栄を祈願し、大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神のお社にこもっていたものだ。
近年の御朱印ブームは衰える気配がないし、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一翼を担う聖地・高野山は、欧州各国から多くの参拝客を引きつけている。本県では、大和北部八十八ヶ所霊場巡拝が動き出している。社寺王国・奈良県としては、宗教ツーリズムの流れに乗り、今年も国内外からたくさんの参拝客をお迎えしたいものである。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
第23番薬王寺(2010.10.18)
お遍路さんを旅行(ツーリズム)に含めるのは誠に失礼なのだが、統計的にも経済効果の点からも、立派な「入込客」「宿泊客」なのである。文中でも触れたように、お盆の帰省や親族の法事もカウントすべきものだ。
奈良まほろばソムリエの会には「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を歩いてきた会員がいて(今年で80歳)、「サンティアゴ・デ・コンポステーラは、巡礼道と宿泊施設がよく整備されている。高野山は情報発信力が優れている。どちらも宿泊者を大きく増加させた」と話していた。彼は「吉野山⇔高野山の道を、世界遺産に追加申請しよう」と提唱している。
奈良県は多くの神社仏閣がありながら、これを宿泊観光に結びつけていない点が残念だ。特に吉野郡には、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録された多くの古刹や修験の道がある。「精神修養」「自分探し」「健康増進」などのキーワードで、多くの参拝者を引きつけてまいりたい。
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