遠来の観光客をガイドすることになったので(2023.5.20)、下見のため唐招提寺にお参りした(5/14)。最後に売店に立ち寄ると、同寺名物「招提みそ」(税込み1,000円)があった。懐かしくなって買い求め、ご飯のおかずや酒の肴に、少しずついただいている。
味噌のルーツは飛鳥時代とも、天平時代に鑑真和上が持ち込んだとも言われている。〈味噌は、飛鳥時代に、朝鮮から渡来し、尾張・美濃・近江辺りに住み着いた高麗人により始められた高麗醤(こまびしお 密祖)とする説、奈良期の753年(天平勝宝5)に、唐僧・鑑真がもたらした醤豉とする説がある〉(岡田哲著『たべもの起源事典 日本編』ちくま学芸文庫)。招提みそのパンフレットには、このように書いてあった。
招提みそ
当寺開山鑑真和上が大唐国から滄海(大海)を凌(しの)いで(乗り越えて)奈良天平朝廷に向かわれるに当り、船上の糧として中国甜豉(てんし=味噌の一種)を将来されております。
以来その由緒を継ぐものがわが国内に遺(のこ)っているべきはずと、予(かね)て心がけていましたところ、はからずも紀州御坊にその名残をりを伝えていることが知れました。
ついてはこれに当山伝承の秘法に基づく勘案を加えて招提みそを再興し、開山大和上の月忌日には必ずこれを宝前にお供えするとともに、山内大衆もいただいて、開創千二百年のゆかりと唐甜豉元来の味を偲んでおります。
このたび有縁の士の勧めもあり、これに応えて御参詣諸賢にも門戸を開いてお頒(わか)ちすることにいたしました。伝統に生きる僧坊起居の一端を御披露できることと思います。唐招提寺
作っているのは紀州御坊市のメーカーだった。御坊市といえば「金山寺味噌」の本場なので、味噌造りに長じていたのだろう。大豆や瓜、茄子のツブツブが入っていて、「これは茄子かな。これは瓜だな」と楽しみながらいただいている。
シソやショウガの味もよく利いていて、これはよくできたおかず味噌である。唐招提寺でしか買えない天平の味噌、ご参拝の折には、ぜひお買い求めいただきたい。
味噌のルーツは飛鳥時代とも、天平時代に鑑真和上が持ち込んだとも言われている。〈味噌は、飛鳥時代に、朝鮮から渡来し、尾張・美濃・近江辺りに住み着いた高麗人により始められた高麗醤(こまびしお 密祖)とする説、奈良期の753年(天平勝宝5)に、唐僧・鑑真がもたらした醤豉とする説がある〉(岡田哲著『たべもの起源事典 日本編』ちくま学芸文庫)。招提みそのパンフレットには、このように書いてあった。
招提みそ
当寺開山鑑真和上が大唐国から滄海(大海)を凌(しの)いで(乗り越えて)奈良天平朝廷に向かわれるに当り、船上の糧として中国甜豉(てんし=味噌の一種)を将来されております。
以来その由緒を継ぐものがわが国内に遺(のこ)っているべきはずと、予(かね)て心がけていましたところ、はからずも紀州御坊にその名残をりを伝えていることが知れました。
ついてはこれに当山伝承の秘法に基づく勘案を加えて招提みそを再興し、開山大和上の月忌日には必ずこれを宝前にお供えするとともに、山内大衆もいただいて、開創千二百年のゆかりと唐甜豉元来の味を偲んでおります。
このたび有縁の士の勧めもあり、これに応えて御参詣諸賢にも門戸を開いてお頒(わか)ちすることにいたしました。伝統に生きる僧坊起居の一端を御披露できることと思います。唐招提寺
作っているのは紀州御坊市のメーカーだった。御坊市といえば「金山寺味噌」の本場なので、味噌造りに長じていたのだろう。大豆や瓜、茄子のツブツブが入っていて、「これは茄子かな。これは瓜だな」と楽しみながらいただいている。
シソやショウガの味もよく利いていて、これはよくできたおかず味噌である。唐招提寺でしか買えない天平の味噌、ご参拝の折には、ぜひお買い求めいただきたい。
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