東京に出張した2/27~28、念願の「澤の屋旅館」に泊まってきた。ここは東京の下町、台東区谷中(やなか)にある家族旅館で、外国人宿泊客が多いことで知られる。
※澤の屋旅館のホームページは、こちら
Wikipedia(谷中)によると、澤の屋旅館は《日本式の旅館で、主に地方からの修学旅行の学生が多く宿泊していたが、少子化やホテルへの志向が強くなったことによる修学旅行やビジネス客の減少によって経営が苦しくなり(利用客ゼロの日が3日続いたこともあったらしい)、これを打開するため、1983年頃に顧客ターゲットを外国人に変更し、食事の提供も取りやめて低料金の宿泊施設(いわば日本版ベッド・アンド・ブレックファスト)に方針を変更して経営を立て直したことで有名となり、しばしばテレビなどのマスメディアで紹介される》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E4%B8%AD_(%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA)
澤の屋旅館の最寄り駅は、地下鉄千代田線「根津」駅だ。ここから徒歩7分の谷中に旅館がある。周辺はこのような風景で、まるで奈良市の東向北町か船橋通商店街と間違えそうな、レトロな町並みである。
根津駅の周辺
谷中の町並み
《12室の和室と共同式浴場・トイレを持つ小規模の日本旅館であるが、旅行者用ホテルより宿泊費が安いことが外国のガイドブックに紹介されて外国人旅行者に広まったらしい。この結果、周辺に外国人向けの施設などがほとんどないにも関わらず、現在では事実上外国人宿(外国人の比率8割~9割程度)に変貌し、宿泊費を節減したい外国人の利用によって高い稼働率(92%程度と報じられる)を保っている》(Wikipedia)。
澤の屋旅館のフロント付近
同館のHPによると《お部屋は全室畳の和室になります。エアコン、電話、インターネットモデム、完備。ヘアドライヤー、ゆかた、タオル、歯ブラシもご用意しております。当館ではお客様に静かな時間をお過ごしいただくためにテレビを設置いたしておりません。もしテレビが必要な方には貸出しをいたします》。全12室のうち、バス・トイレつきが2室、なしが10室。夕食はなく、和朝食は945円(要予約)、洋朝食は315円。私はバス・トイレ・朝食なしだったので、税込5040円ポツキリだった。
国土交通省は、ご主人の澤功(さわ・いさお)氏を「下町の外国人もてなしカリスマ」に選定した。同省のHPによると、選定理由は《倒れかかった下町の小さな旅館を、積極的に外国人旅行者を受け入れることによって再生するとともに、全国各地で外国人旅行者の待遇方法などを説明して、宿泊施設が外国人旅行者を受け入れる際に抱く危惧を払拭することに努め、外国人旅行者の受入促進の啓蒙を図っている》。
向かって右はコインランドリー。石けんは無料
澤功氏は、1937年新潟県豊栄市生まれ。60年に中央大学法学部を卒業され、東京相互銀行(現在の東京スター銀行)に入行。その後、お見合いを経て澤家の婿養子に迎えられ、65年から澤の屋旅館の館主を務めている。つまり、結婚を機にこの世界に初めて足を踏み入れたのだ。それが氏の柔軟な発想の原点なのだろう。
ズボンプレッサーもアイロンも無料
国交省のサイトには、氏の軌跡が詳しく紹介されている。《外国人受入れの取組み 昭和47年に死去した養母から引き継いだ澤の屋をつぶしたくないと考えていた澤氏は、外国人旅行者を受け入れている旅館を紹介された。その旅館に行くと、設備は自分のものと同じ程度、旅館の主人の英語も簡単なものであるにもかかわらず、外国人旅行者で活気にあふれていた。そこで決心がついた澤氏は、外国人を積極的に受け入れている旅館組織「ジャパニーズ・イン・グループ」に57年に加盟し、外国人旅行者を迎える方針に転換した》。
狭いながらも清潔で快適な客室、枕元には折り鶴。英文で「お茶のいれ方」の掲示があった
《「ジャパニーズ・イン・グループ」は、54年に東京、京都の家族経営の小規模旅館が数軒でグループを作り、「ホスピタル・アンド・エコノミカル」をモットーに積極的に外国人個人客の受入を図っている》《特に近年では、アジア地域からの外国人客を積極的に受け入れるための研修会を開催し、誘致を行っている》。
客室の洗面台。ドライヤーは無料
《加盟当時、澤の屋は、施設・設備は和式のまま、例えば風呂は部屋風呂でなく共同風呂、トイレも和式であり、おまけに澤氏をはじめ従業員は外国語がわからず、様々な文化・習慣の外国人を受け入れたために当初は戸惑いや苦労があった。例えば、和式便器の金隠しに汚物が載っていたが、これはアジアの人にとって扉を背に用を足すことが怖くてできないことから、扉に向かって金隠しに座っていたためであり、ジャパニーズ・イン・グループで作成したイラスト入り和式トイレの使い方を張ることで解決した》。
ヒノキの共同風呂。「お風呂を楽しむ作法」(4か国語)が掲示してあった
《澤氏は電話を受けて、「ハロー・アイ・ウォナ・ブック・ワンルーム」(ブック…? 本?)「ユー・ドント・ハブ・ア・ルーム?」(本がどうしたのだろう。いや、やはり予約の電話だ)「はい、イエス。 エーッ、トゥナイト?」「ノウ・ワン・ナイト」「えーと、ユー・カム・トゥディ・ナイト?」「ノウ・ノット・トゥナイト」と判じ物のような会話をしていたが、「ブック」に「予約する」という意味があることを後で知った》。
フロントで地図をいただき、谷中~根津を散歩。これは中華料理屋
《外国からの宿泊予約方法は、当初は電話が主体であり、慣れない英会話や時差に苦労した。FAXによる予約を開始した後は、高い国際通話料金に悩まされた。しかし澤氏は、英会話の簡単な受け答えを書いた紙を電話のそばに貼ったり、国際電話の各種割引制度を研究して利用したりするなどで対応していった》。
韓国料理店。外国人にも受けそうだ
《商用客を受け入れていたときは、いつ来客があるかわからなくても料理の仕込みをしておかなければならなかったが、外国人客を受け入れて以降、彼らから「夕食代が高い」とか「食べないので値引きをしてくれ」とかいった苦情があったことから、夕食を出すことをやめた(洋朝食は300円)。その代わり近所の食堂で宿泊客が食事できるように、外国人客の受入と英文メニューの作成を依頼した。また、銀行、郵便局、病院、洗濯屋、寺社等を記入した谷中・根津周辺の英語の地図を作成し、宿泊客に配っている》。
《澤氏は、「澤の屋」が町の中で外国人宿として孤立しないように町の行事に積極的に参加していたが、そうした澤氏の努力もあり、また、震災・戦災に遭わなかった下町気質が外国人客を町に受け入れる土壌としてあったため、日本情緒を味わいたい宿泊客は、花見、夏祭り、菊まつり、餅つき、豆まき等の町内の年中行事に参加することができ、谷中・根津界隈で草の根の国際交流が図られている》。
私は澤の屋旅館に宿泊し、トイレや風呂場(共同浴場)で、澤氏の努力の一端を目にすることができた。これらは常識を覆すアイデアというものではなく、外国人を受け入れるうちに出くわした問題点の1つ1つを、丁寧に解決していったという趣旨のものばかりである。その細やかな心配りこそが、外国人を(もちろん日本人も)引きつけてやまないHospitality(もてなし)なのだろう。
出発日(2/28)の朝、フロントで澤氏とお会いした。中央大卒の元銀行員というイメージとは全く違って、温かみのある親切な方である。「ぜひお写真を」とお願いすると「それでは、ウチの家族も一緒に」とおっしゃって、同館のアイドル・オカメインコのレオンくんを呼んできて、肩に載せて下さった。
しかし残念ながらレオンくんは、約2週間後の3/13、33才で亡くなってしまった。もしかすると、この写真が生前最後の写真かも知れない。
レオンくん(同館のHPより)
フロントで、澤氏のご著書『ようこそ旅館奮闘記』(シーエスシー刊 1000円)が販売されていたので、1冊買い求め、帰りの新幹線で読み切った。澤の屋旅館のエッセンスが凝縮された、とても参考になる本である。調べてみると、このほか澤氏には『澤の屋は外国人宿。下町谷中の家族旅館奮闘記』(TOTO出版刊)や、これを英訳した『Welcome to Sawanoya, Welcome to Japan』という著書もある。
食堂。コーヒー・紅茶は無料(同館のHPより)
英語版に付された版元の解説には《約四半世紀。澤の屋が延べ12万人もの外国人客を受け入れるまでになった理由はどこにあるのか? また、未体験の世界で澤の屋の人たちが払った努力と工夫とは…? そして、洋の東西を問わず宿泊客に慕われ信頼される秘密は…? この下町の小旅館の成功物語は、だれもが持つそんな疑問に答えるとともに、旅行という異文化体験の楽しさ・面白さをあらためて教えてくれる。澤の屋に実際に泊まったことのある外国人旅行者はもちろん、広く内外の旅行関係者、サービス業界、メディア人必読の本! また、海外へのお土産としても最適》とある。
食堂のパソコンでは無料でインターネットが使える(同館のHPより)
国交省のビジット・ジャパン・キャンペーンや、2010年の平城遷都1300年祭を機に、地元・奈良でも外国人観光客誘致への気運が高まっている。修学旅行生の減少や大ホテルへのシフトという悩みも同じである。
以前、奈良県が運営する「なら県民電子会議室」の「奈良の魅力の発信と観光客の誘致」(20年度下期)という掲示板で、ホームステイや民泊で外国人観光客を受け入れようという意見が出ていたが、澤の屋のような「家族旅館」というのも、方向性の1つである。
県も市も大ホテルの誘致でつまずいているが、小規模な(つまり小資本で低リスク、しかも景観にも環境にもやさしい)家族旅館が県下にたくさんでき、外国人客を丁寧にもてなすということは、いかにも「奈良らしい」選択肢ではないだろうか。
※澤の屋旅館のホームページは、こちら
Wikipedia(谷中)によると、澤の屋旅館は《日本式の旅館で、主に地方からの修学旅行の学生が多く宿泊していたが、少子化やホテルへの志向が強くなったことによる修学旅行やビジネス客の減少によって経営が苦しくなり(利用客ゼロの日が3日続いたこともあったらしい)、これを打開するため、1983年頃に顧客ターゲットを外国人に変更し、食事の提供も取りやめて低料金の宿泊施設(いわば日本版ベッド・アンド・ブレックファスト)に方針を変更して経営を立て直したことで有名となり、しばしばテレビなどのマスメディアで紹介される》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E4%B8%AD_(%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA)
澤の屋旅館の最寄り駅は、地下鉄千代田線「根津」駅だ。ここから徒歩7分の谷中に旅館がある。周辺はこのような風景で、まるで奈良市の東向北町か船橋通商店街と間違えそうな、レトロな町並みである。
根津駅の周辺
谷中の町並み
《12室の和室と共同式浴場・トイレを持つ小規模の日本旅館であるが、旅行者用ホテルより宿泊費が安いことが外国のガイドブックに紹介されて外国人旅行者に広まったらしい。この結果、周辺に外国人向けの施設などがほとんどないにも関わらず、現在では事実上外国人宿(外国人の比率8割~9割程度)に変貌し、宿泊費を節減したい外国人の利用によって高い稼働率(92%程度と報じられる)を保っている》(Wikipedia)。
澤の屋旅館のフロント付近
同館のHPによると《お部屋は全室畳の和室になります。エアコン、電話、インターネットモデム、完備。ヘアドライヤー、ゆかた、タオル、歯ブラシもご用意しております。当館ではお客様に静かな時間をお過ごしいただくためにテレビを設置いたしておりません。もしテレビが必要な方には貸出しをいたします》。全12室のうち、バス・トイレつきが2室、なしが10室。夕食はなく、和朝食は945円(要予約)、洋朝食は315円。私はバス・トイレ・朝食なしだったので、税込5040円ポツキリだった。
国土交通省は、ご主人の澤功(さわ・いさお)氏を「下町の外国人もてなしカリスマ」に選定した。同省のHPによると、選定理由は《倒れかかった下町の小さな旅館を、積極的に外国人旅行者を受け入れることによって再生するとともに、全国各地で外国人旅行者の待遇方法などを説明して、宿泊施設が外国人旅行者を受け入れる際に抱く危惧を払拭することに努め、外国人旅行者の受入促進の啓蒙を図っている》。
向かって右はコインランドリー。石けんは無料
澤功氏は、1937年新潟県豊栄市生まれ。60年に中央大学法学部を卒業され、東京相互銀行(現在の東京スター銀行)に入行。その後、お見合いを経て澤家の婿養子に迎えられ、65年から澤の屋旅館の館主を務めている。つまり、結婚を機にこの世界に初めて足を踏み入れたのだ。それが氏の柔軟な発想の原点なのだろう。
ズボンプレッサーもアイロンも無料
国交省のサイトには、氏の軌跡が詳しく紹介されている。《外国人受入れの取組み 昭和47年に死去した養母から引き継いだ澤の屋をつぶしたくないと考えていた澤氏は、外国人旅行者を受け入れている旅館を紹介された。その旅館に行くと、設備は自分のものと同じ程度、旅館の主人の英語も簡単なものであるにもかかわらず、外国人旅行者で活気にあふれていた。そこで決心がついた澤氏は、外国人を積極的に受け入れている旅館組織「ジャパニーズ・イン・グループ」に57年に加盟し、外国人旅行者を迎える方針に転換した》。
狭いながらも清潔で快適な客室、枕元には折り鶴。英文で「お茶のいれ方」の掲示があった
《「ジャパニーズ・イン・グループ」は、54年に東京、京都の家族経営の小規模旅館が数軒でグループを作り、「ホスピタル・アンド・エコノミカル」をモットーに積極的に外国人個人客の受入を図っている》《特に近年では、アジア地域からの外国人客を積極的に受け入れるための研修会を開催し、誘致を行っている》。
客室の洗面台。ドライヤーは無料
《加盟当時、澤の屋は、施設・設備は和式のまま、例えば風呂は部屋風呂でなく共同風呂、トイレも和式であり、おまけに澤氏をはじめ従業員は外国語がわからず、様々な文化・習慣の外国人を受け入れたために当初は戸惑いや苦労があった。例えば、和式便器の金隠しに汚物が載っていたが、これはアジアの人にとって扉を背に用を足すことが怖くてできないことから、扉に向かって金隠しに座っていたためであり、ジャパニーズ・イン・グループで作成したイラスト入り和式トイレの使い方を張ることで解決した》。
ヒノキの共同風呂。「お風呂を楽しむ作法」(4か国語)が掲示してあった
《澤氏は電話を受けて、「ハロー・アイ・ウォナ・ブック・ワンルーム」(ブック…? 本?)「ユー・ドント・ハブ・ア・ルーム?」(本がどうしたのだろう。いや、やはり予約の電話だ)「はい、イエス。 エーッ、トゥナイト?」「ノウ・ワン・ナイト」「えーと、ユー・カム・トゥディ・ナイト?」「ノウ・ノット・トゥナイト」と判じ物のような会話をしていたが、「ブック」に「予約する」という意味があることを後で知った》。
フロントで地図をいただき、谷中~根津を散歩。これは中華料理屋
《外国からの宿泊予約方法は、当初は電話が主体であり、慣れない英会話や時差に苦労した。FAXによる予約を開始した後は、高い国際通話料金に悩まされた。しかし澤氏は、英会話の簡単な受け答えを書いた紙を電話のそばに貼ったり、国際電話の各種割引制度を研究して利用したりするなどで対応していった》。
韓国料理店。外国人にも受けそうだ
《商用客を受け入れていたときは、いつ来客があるかわからなくても料理の仕込みをしておかなければならなかったが、外国人客を受け入れて以降、彼らから「夕食代が高い」とか「食べないので値引きをしてくれ」とかいった苦情があったことから、夕食を出すことをやめた(洋朝食は300円)。その代わり近所の食堂で宿泊客が食事できるように、外国人客の受入と英文メニューの作成を依頼した。また、銀行、郵便局、病院、洗濯屋、寺社等を記入した谷中・根津周辺の英語の地図を作成し、宿泊客に配っている》。
《澤氏は、「澤の屋」が町の中で外国人宿として孤立しないように町の行事に積極的に参加していたが、そうした澤氏の努力もあり、また、震災・戦災に遭わなかった下町気質が外国人客を町に受け入れる土壌としてあったため、日本情緒を味わいたい宿泊客は、花見、夏祭り、菊まつり、餅つき、豆まき等の町内の年中行事に参加することができ、谷中・根津界隈で草の根の国際交流が図られている》。
私は澤の屋旅館に宿泊し、トイレや風呂場(共同浴場)で、澤氏の努力の一端を目にすることができた。これらは常識を覆すアイデアというものではなく、外国人を受け入れるうちに出くわした問題点の1つ1つを、丁寧に解決していったという趣旨のものばかりである。その細やかな心配りこそが、外国人を(もちろん日本人も)引きつけてやまないHospitality(もてなし)なのだろう。
出発日(2/28)の朝、フロントで澤氏とお会いした。中央大卒の元銀行員というイメージとは全く違って、温かみのある親切な方である。「ぜひお写真を」とお願いすると「それでは、ウチの家族も一緒に」とおっしゃって、同館のアイドル・オカメインコのレオンくんを呼んできて、肩に載せて下さった。
しかし残念ながらレオンくんは、約2週間後の3/13、33才で亡くなってしまった。もしかすると、この写真が生前最後の写真かも知れない。
レオンくん(同館のHPより)
フロントで、澤氏のご著書『ようこそ旅館奮闘記』(シーエスシー刊 1000円)が販売されていたので、1冊買い求め、帰りの新幹線で読み切った。澤の屋旅館のエッセンスが凝縮された、とても参考になる本である。調べてみると、このほか澤氏には『澤の屋は外国人宿。下町谷中の家族旅館奮闘記』(TOTO出版刊)や、これを英訳した『Welcome to Sawanoya, Welcome to Japan』という著書もある。
食堂。コーヒー・紅茶は無料(同館のHPより)
英語版に付された版元の解説には《約四半世紀。澤の屋が延べ12万人もの外国人客を受け入れるまでになった理由はどこにあるのか? また、未体験の世界で澤の屋の人たちが払った努力と工夫とは…? そして、洋の東西を問わず宿泊客に慕われ信頼される秘密は…? この下町の小旅館の成功物語は、だれもが持つそんな疑問に答えるとともに、旅行という異文化体験の楽しさ・面白さをあらためて教えてくれる。澤の屋に実際に泊まったことのある外国人旅行者はもちろん、広く内外の旅行関係者、サービス業界、メディア人必読の本! また、海外へのお土産としても最適》とある。
食堂のパソコンでは無料でインターネットが使える(同館のHPより)
国交省のビジット・ジャパン・キャンペーンや、2010年の平城遷都1300年祭を機に、地元・奈良でも外国人観光客誘致への気運が高まっている。修学旅行生の減少や大ホテルへのシフトという悩みも同じである。
以前、奈良県が運営する「なら県民電子会議室」の「奈良の魅力の発信と観光客の誘致」(20年度下期)という掲示板で、ホームステイや民泊で外国人観光客を受け入れようという意見が出ていたが、澤の屋のような「家族旅館」というのも、方向性の1つである。
県も市も大ホテルの誘致でつまずいているが、小規模な(つまり小資本で低リスク、しかも景観にも環境にもやさしい)家族旅館が県下にたくさんでき、外国人客を丁寧にもてなすということは、いかにも「奈良らしい」選択肢ではないだろうか。
“Welcome to Sawanoya, Welcome to Japan”澤 功オメガコムこのアイテムの詳細を見る |
> 背伸びをせずとも何ができるか、を考えた結果の業績の様な気が
> します。しかし、その根底には、「旅館」と云う業種が好き
全く同感です。規模が小さいので、思いついたことがすぐ実行できるという強みもありますね。婿養子で旅館に入られたのに、旅館業というお仕事を、心の底から愛しておられます。
> ビジホや大規模旅館・ホテルのコンサルさんは沢山居られる
> のですが、斯様な種別のコンサルさんが居られないんですねぇ。
> 現状の旅館の社長が、私は一肌脱いで、キチンと教えてやる
> システムを何らかの形で非営利的に行う必要性が有るかと感じます。
なるほど、これは目からウロコのお話でした。確かに商売敵ではありますが、選択肢を増やすことで、奈良県全体としては集客力が増す訳ですから、共存共栄です。このような開業(起業)支援の仕組みができれば、「澤の屋」奈良版がどんどん誕生するかも知れませんね。
> オカメインコが30年も生きたのは驚きです。
> 奈良の鉄田さんと会ったのは何かの縁かな…。
レオンくんとの対面がかなった2週間後に急逝するとは、何かのご縁を感じます。
> 債券ならその心配は少ないし、市民も参加しやすいかな。市民が気分転換に
> 格安で泊まったり、遠方の親戚が訪問した際に紹介したい旅館の1つもあれば
これは良いアイデアです。奈良県下で「家族旅館総合支援システム」を作り上げなければ…。
オカメインコが30年も生きたのは驚きです。奈良の鉄田さんと会ったのは何かの縁かな・・・。
株だと経営の乗っ取りという不安があるのでしょうが、債券ならその心配は少ないし、市民も参加しやすいかな。
市民が気分転換に格安で泊まったり、遠方の親戚が訪問した際に紹介したい旅館の1つもあれば、とも思います。
廃業してしまった元経営者にも、経営の助言なり多忙期には手伝ったり、またロビーでお客さんや近所さんとの話し相手になったりという事は期待できるでしょうか。
上京された際の宿泊場所で、よくご利用になられました・・・素晴らしい・・・。普通に考えれば、ビジホを手配するのに・・・いゃあ、tetsudaさんの研究熱心さには頭が下がります。
澤社長には、相当前ですが、奈良へも来て頂いて講演頂いた事も有ります。私も参加させて頂きました。目の付け所が巧いですねぇ。また、背伸びをせずとも何ができるか、を考えた結果の業績の様な気がします。しかし、その根底には、「旅館」と云う業種が好きだって事が常に流れている様な気がする訳です。私共の旅館でも、ミスマッチやちょんぼで、逆鱗に触れてしまう事も有り、その度に、「あー・・・」なんて気になる訳ですが、多分、澤社長も同様の事は有るかとは感じます。しかし、これが社長の手の届く経営で、全部自分でする代わりに、手が届くんですねぇ。小規模の強みで、これには、巨大ホテルも旅館も敵わない所です。ウチの館くらいの規模では、ここが難しい訳で有ります。
宿泊産業ってのは、こんな事を云ってはダメですが、大変な事は大変です。夕刻が朝まで、御客様の世話が有る訳で、この間は常に館に人を常駐する必要が有ります。ほったらかしって訳にはいきません。また火災の心配も有り、安全管理の経費も相当です。思ったよりも経費がかかります。その反面、いろいろな御客様に触れ合える訳で、これに魅力を感じて参入された方も居られます。
奈良でも、斯様な種別の旅館は、何軒か存在しています。しかし、何故こんな種別の宿泊施設が、思ったより広がらないかについては、多分想定なのですが、ビジホや大規模旅館・ホテルのコンサルさんは沢山居られるのですが、斯様な種別のコンサルさんが居られないんですねぇ。澤社長も各地へ講演などで行かれていますが、コンサルでは有りません。
奈良県は農村民泊を始めとする、宿泊施設設立支援をしていますが、本業をやった事が無いため、根本的な所は自身で研究する必要が有ります。コンサルさんは、この点までも支援される訳で、当然有料になる訳ですが、有料となると、規模からして、コンサル側のうま味が薄い為、無いのが現状かと感じます。
ここで、現状の旅館の社長が、私は一肌脱いで、キチンと教えてやるシステムを何らかの形で非営利的に行う必要性が有るかと感じます。最終的には、商売敵になる訳では有りますが、御客様から見れば、色々な形態の宿泊施設が多い方が選択肢も増えて結果的に奈良の宿泊が増えれば、既存施設も潤います。奈良県・奈良市が、政策の上の大規模ホテル誘致を策定した際に、それの対案として、本来なら旅館組合の組合員が、この対案として、非営利のコンサル業務を行って、斯様な宿泊施設設立に対して、運営支援をしていく委員会を立ち上げても良さそうなモノなのですが、何方からも出てきませんでした。残念です。だから、行政側から、反対しかしていない様な捉まえ方しか出来ない訳です。
宿泊産業と云うのは、見ているよりも手間も経費もかかります。しかし、この産業に従事する人材・・経営者も含めて、仲間にしていかないと、旅館・ホテルがボディーブローの如く少なくなっていってしまいます。斯様な宿泊産業をもっと活性化するには、地域の旅館がその受け皿になる事が一番大切だと感じます。
しかし残念乍ら、こんなアイデアって出てこないモンです。地域の旅館・ホテルのオーナーの旅館・ホテル学校って面白いって思われませんか・・・。