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宗像(むなかた)三神を祭る桜井市外山(とび)の「宗像神社」/毎日新聞「やまとの神さま」第18回

2022年09月22日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2022.9.15)掲載されたのは「能楽宝生(ほうしょう)流発祥の地/宗像神社(桜井市)」、執筆されたのは奈良まほろばソムリエの会会員(前事務局長)で、桜井市外山にお住まいの東田好史さんだった。
※トップ写真は、宗像神社正面=桜井市外山で

宗像神社を知る前に、宗像大社や宗像三神(三女神)のことを理解しなければならない。宗像大社は福岡県宗像市にある3つの神社の総称で、それぞれ女神を祭る。三柱の女神は、記紀に見えるアマテラスとスサノオの誓約(うけい=占い)で生まれた神さまである。2017年(平成29)、宗像大社は「『神宿る島』―宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産(全8件)の一部として、ユネスコの世界文化遺産に登録された。世界大百科事典「宗像大社」には、

福岡県宗像市田島の辺津宮(へつみや)(祭神は市杵島姫(いちきしまひめ)神),および同市に属する二海島,すなわち大島の中津宮(湍津姫(たぎつひめ)神)と沖島(おきのしま)の沖津宮(田心姫(たごりひめ)神)の三宮を宗像大社という。

祭神の三女神については古来異説があり一定しないが,天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際に生まれたと伝えられている。鎮座地が九州本土から朝鮮に至る海上交通の要衝に位置していたため,古くは海上交通者や漁業従事者などの信仰を受けていた。

近年,数度に及ぶ沖島の発掘調査により発見された古墳時代の祭祀に関する豊富な資料は,このような原始祭祀に関連したものであると考えられる。


なお能楽「宝生流」は大和猿楽四座のうち、「外山座」をルーツとしている。外山座は、桜井市外山を拠点とし、藤原鎌足の廟所として尊崇を集めた多武峰寺(現在の談山神社)に属して活動していた。では、記事全文を紹介する。

宗像神社(桜井市)
宗像(むなかた)神社は、天武天皇に仕えていた筑前の胸肩徳善(むなかたとくぜん)の娘、尼子娘(あまこのいらつめ)が天皇の妃(きさき)となり高市皇子(たけちのみこ)を生み、皇子が外戚の氏神として宗像三神をこの地に勧請(かんじょう)したのが始まりと伝わります。

祭祀(さいし)は、高市皇子の子孫の高階氏(たかしなうじ)が累代管理し、『日本三大実録』によりますと、880(元慶4)年、官社となり、次いで筑前宗像本社に準ずる大社となりました。神階は従一位で74町の広大な田地を有していたと記されています。しかし1341(興国2)年、兵火で焼失し、興福寺の配下となり、春日神社とその若宮社を祭祀するに至りました。

幕末の国学者鈴木重胤(しげたね)は、宗像神社の衰退を嘆き再興に尽力、1859(安政6)年改めて筑前宗像本社の神霊を迎え、翌年、社殿が完成しました。その後、春日神社の社号を廃して宗像神社とし、1888(明治21)年、宗像の神は本殿中央に祭られました。2009(平成21)年、本殿は改築され装いを一新しています。

境内入口には「能楽宝生流発祥の地」の碑が立っています。2017(平成29)年には宝生流流派を挙げて、宗像神社本殿前で能が盛大に演じられました。(奈良まほろばソムリエの会会員 東田好史)

(住 所)桜井市外山(とび)818
(主祭神)宗像三神[(多紀理毘売命(たきりびめのみこと)、市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)、田寸津比売命(たぎつひめのみこと)]
(交 通)JR・近鉄桜井駅から徒歩約15分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(約20台、無料)
(電 話)0744・49・2221


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