tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良の木材・木製品

2008年10月21日 | 林業・割り箸
奈良県下で木材・木製品を商う企業の展示を見てきた。10/16~17に催された地元銀行主催のビジネスフェア(展示商談会・全91社)に、4社出展されていたのだ。

1社目は、冒頭の写真左端のダイワ産業(株)(高市郡高取町)。ひのきチップの応用品を作っている。同社のHPには《林業・木工業の盛んな奈良県南部では古くから地場産業として、様々な木製品が作られてきました》。

《良質な木材と伝統の技にのみ頼るのではなく、常に新しい技術を研究開発していく姿勢を持つことが大事であると考えています。木材の研究機関である「奈良県森林技術センター」の協力のもと、耐カビ性に関する試験行ったり、接着剤や塗料などは、専門のメーカーとの共同開発によって、素材や用途に対して、より適したものを研究開発してきました》とある。
http://www.daiwa70.com/index.html


ダイワ産業のブース。左端は中西正幸社長

展示されていたのは、ひのきチップを固めた「建築用内装材」や、ひのきの香りを抽出した「ひのき消臭剤」などだ。展示ブースに近づくだけで、フィトンチッドの良い香りがする。ひのきのチップを枕やふとんに埋め込んだ製品もあり、リラックス効果が得られるそうだ。


ダイワ産業の製品

2社目は、川上産吉野材販売促進協同組合(吉野郡川上村 愛称:川上さぷり)。ビジネスフェアのガイドブックには、《住宅に係る全ての部材一式を提供する事により、販売の窓口を開き新たな流通を開拓している。また、地元吉野材によるインテリア「据置型フロアーパネル」等の商品開発を行い、側面より更なる吉野材の需要開拓を目指している》とある。


川上さぷりのホームページより

上の写真が「据置型フロアーパネル」のポスターだ(集成材ではなく、無垢の天然材である)。杉は英語で「Japan Wood」というそうだが、このポスターはJapan Woodの香りや質感をうまくビジュアルで表現している。組合のHPには《和の安らぎ、心地よさをもっと気軽に味わっていただきたい。その気持ちをこめて置き床パネル「板の間」を誕生させました。座禅や瞑想の空間、武道、生け花、お茶のおもてなしの空間に》とある。
http://www.yoshinosugi.net/


このサイズのパネルを何枚か並べて使う

カーペットや畳の上にもそのまま置ける。ずっしりと重く、杉の良い匂いがする。お値段は4ピースセット85,000円、6ピースセット125,000円、追加1ピース25,000円だ。簡単なアンケートに答えると、杉のブロック(端材)をいただいた。部屋に置いておくだけで、とてもいい香りがする。



3社目は奈良県集成材協同組合(桜井市)。フェアのガイドブックには《集成材の特長は、天然木よりも強度・性能が良く、乾燥材を使って製造する為、狂い・収縮が減少されます。集成材は、幅・厚み・長さを自由に調整できる上、湾曲材も製造でき、高耐久・高耐震・高気密住宅に最適な部材といえます》とある。




鴨居も長押(なげし=柱と柱をつなぐ材)も集成材

施工例として、組合のHPに京都のJR二条駅の写真が出ていて、驚いた。あの複雑な骨組みは、ベイマツ(米松)の集成材だったのだ。集成材が良いか、無垢(天然)材が良いか、という二者択一でなく、目的や用途に応じて使い分ければ良いということなのだ。


JR二条駅(同組合のホームページより)

おしまいが(株)マルヨシ(五條市)。フェアのガイドブックには《割箸・楊枝・すし桶などの家庭用品メーカーとして創業50年、人と環境に優しい天然素材の良さを追求しています。この度、国内産杉間伐材を使用した割箸を「森林を育てる割り箸」というネーミングで製造販売を開始しました》とある。


森林を育てる割箸(マルヨシのホームページより)


マルヨシの製品

同社のHPによると《本製品は100%国産の杉間伐材で作った割箸です。(中略) 杉やヒノキなどの人工林は、植林するときに一本一本の間隔を狭めて植えます。そのままでは大きく育ったときに十分な日光が当たらないので、間伐をしなければばりません。十分な手入れができずに放置された森林は荒廃し、台風などで容易に倒れてしまう弱い木しか育ちません。森林は間伐することによって木が生き生きと強くなり、二酸化炭素の吸収も大きくなり、日本の森林の活性化と地球温暖化防止の為に貢献することになります。文字通り本製品は「森林を育てる割箸」なのです》。

《材料産地限定製造(石川県、北海道)という割箸では初めての商品作りを試みました。また商品は全国森林組合連合会の主催する“間伐材認証マーク”を使用した森林・緑を連想するシンプルなデザインです》。北陸や北海道でなく、ぜひ吉野の間伐材を使っていただきたいところだが、「間伐材認証マーク」はどんどん広めていただきたいものだ。同社は短く収納できるお弁当用のプラスチック箸「イート・スティック」というアイデア商品も開発している。


イート・スティック(ホームページより)



ひと口に木製品といっても、いろんな種類があるものだ。いくらプラスチックや金属類に置き換えられても、日本人には、やはり身の回りに木を置きたいという潜在意識があるのだろう。

以前、田中淳夫さん(森林ジャーナリスト)のブログでは、「たこ焼きのフネ(舟皿)は、やはり木製でなければならない」という話で大いに盛り上がったが、「この商品は木製、しかも国産材でなければならない」というイメージを確立することが大切なのだろう。その意味で、川上さぷりのフロアパネル(少々高価だが)は、良いところに目を付けている。
http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2007/12/post_ab24.html


フェアの看板娘たち。いずれアヤメかカキツバタ

今から木造の家に建て替えるのは大変だが、調度品や身の回り品に国産の木製品を採り入れるのは、そう難しくない。地場産業育成のためにも、日頃から心がけたいと思う。
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コスモス日和

2008年10月17日 | 写真
10/14(火)の「なら百景」(奈良テレビ放送)は、般若寺のコスモスを取り上げていた。この番組は「真珠の小箱」風にカッチリ作られたミニ番組で、いつも楽しみにしている。

今秋はとうとう般若寺には行けずじまいだったが、コスモスの写真は何枚かカメラに収めた。以下の3枚の写真は、10/11(土)に「花空間けいはんな」(京都府相楽郡精華町)で撮ったものだ。風車のある広い庭園の中で、元気よく咲いていた。この日は風が強くて、茎の長いコスモスは左右に揺れるのだが、その風情は中国名の「大波斯菊(オオハルシャギク)」という勇ましい語感にピッタリだった。なお波斯は「ペルシャ」のことだと、以前典Bさんに教わった。







ピンクや赤がペルシャのイメージだとすれば、奈良のイメージにピッタリなのが「キバナコスモス」だ。上の写真の「オオハルシャギク」とは、同じキク科コスモス属だが「種」が違うので、交配できないのだそうだ。私は勝手に「奈良のコスモス」と呼んでいる。

冒頭の写真も下の写真も、9/28(日)にウチの近所の街路で撮ったものだ。濃い橙(だいだい)色の花は、お寺の境内とか、明日香村の野原などにとても似つかわしい。もっとこの花が奈良県下を彩ってくれることを望んでいる。




befor

同じ日に撮ったこの花の写真を、会社の先輩だったm-familyさんの掲示板(Guest Book)に送ったところ、次のようなきれいな絵手紙風に仕立てていただいた。このまま壁に飾りたいほど、見事な出来映えである。
http://www3.kcn.ne.jp/~m-family/


after

般若寺のコスモスはそろそろ見納めだそうだが、この花の盛りはあと少しである。皆さんも悔いの残らないよう、今秋のコスモスをしっかり見届けてほしい。
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旬どき・うまいもの自慢会 奈良~08年秋の集い~

2008年10月15日 | グルメガイド
以前、当ブログで、(株)今西清兵衛商店が主催する「旬どき・うまいもの自慢会 奈良」のことを紹介したことがある。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/fdf18d777ef7ef8f25b319ac3bb0d4b3

前回(6/21)は「夏の集い」だったが、10/12(日)に「秋の集い」が開かれた。今回も、同社で総務を担当される亀村慎さんにお声を掛けていただいた。

この「自慢会」は、全国の酒蔵によるネットワーク組織で、現在20社(20都県)が加盟している。春分・夏至・秋分・冬至の年4回、全国ほぼ一斉に開催され、その模様は各社がネットで紹介している。
http://umaimonojiman.jp/

さて今回の自慢会は、近鉄新大宮駅前のワールドキッチン&バー「paso A paso(パッソ ア パッソ)」(=一歩一歩)で開かれた。以前、生駒のいぐいぐさんが行って三つ星をつけられていたので、私も行こうと思っていた店だ。お店のHPには、「スペインのバルをイメージし、多国籍な料理と100種を超える酒、オリジナル・カクテル等を温かい雰囲気でワイワイと楽しめるキッチンバーです」とある。
http://www.paso-a-paso.jp/


paso A pasoのマスター

今回の料理は「paso A paso」のほか、和食は、ならまちの「美酒楽菜 酒楽(びしゅらくさい しゃらく)」が担当された。
http://kumakokumakuma.blog119.fc2.com/blog-entry-4.html

テーブルには、お酒の名前と杯を置く場所を印刷したB5サイズのテーブルマットが置かれている。お酒は、ひやおろし、超辛口、零下で210日熟成の純米吟醸生原酒(「炭火焼鳥おっとり」で出てきたお酒)、KIOKE-SAKE露葉風(木桶酒つゆはかぜ)、極味(ごくみ)、の5種類だった。
※お酒の説明はこちら(春鹿のホームページ)
http://www.harushika.com/


「極味」は誰かが持ち去ってしまった



冒頭、運営スタッフの櫻井大貴さん(中央)と亀村さん(右)から、重大発表があった。「春鹿純米吟醸原酒」が、全米日本酒鑑評会で金賞に輝いたというのだ。先月通知があり、賞状は前日に届いたばかりだという。確かに「2008 Golden Award of Exellence Ginjo」「Harushika“Junmai Ginjo Genshu”」「Imanishi Seibei Shoten」の文字がある。おめでとうございます!
http://a3haru.exblog.jp/9033004/

なお、冒頭の写真は櫻井さんと奥さんだが、なんと彼女は蔵人(くらびと=酒人)なのだ。いただいた名刺には「醸造部 掌酒」とある。辞書を引くと「さかびと【酒人・〈掌酒〉】 神酒(みき)の醸造をつかさどる人」とある。役柄は違うが、ふと『夏子の酒』の和久井映見と萩原聖人を連想した。女性の蔵人とは、頼もしい。男性とはまた違った視点から酒造りができるだろう。

テーブルには、この日のメニューが置かれていて、ざっと20種類もある。和食と南欧料理が、交互に出ている。とてもすべては紹介できないので、印象に残ったものをざっと並べてみる。


サンマの昆布締め&マリネ


なす田楽(これに味噌味のソースをかける)


大和肉鶏の煮込み


大和肉鶏の胸肉たたき

珍しいのがハナビラタケだ。免疫力を高める「βグルガン」が豊富と評判のキノコである。この日は朝から「奈良公園に生えてる?なキノコを食べちゃおう!?」という企画があって、これを摘んできたのだそうだ。キノコは素人が勝手に取って食べるのは危険だが、ちゃんと大和菌学研究所(磯城郡三宅町)の藤本大道さんが付き添ってチェックされたので、大丈夫なのだそうだ。


調理前のハナビラタケ(お味はマイタケ風)


説明される藤本さん

嬉しかったのは、割り箸である。当ブログ愛読者である櫻井さんは、上北山村製の杉の天削(てんそげ)箸を人数分ご用意され、「割り箸のことを話して下さい」と、時間まで取って下さったのだ。おかげで、国産割り箸の使用(木づかい)が森を保全すること、国産割り箸の8割は奈良県で作られていること、輸入割り箸からは有害な薬剤が検出されていること、だから(マイ箸でなく)国産の「マイ割り箸」を持とう、ということなどを話させていただいた(ほとんど、田中淳夫著『割り箸はもったいない?』からの受け売りだが)。櫻井さん、どうも有り難う。


上端が斜めにカットされているのが天削箸(割り箸の見本から)

食事中にお酒のアンケートがあり、最後にこれを使った抽選会があった。見事当選し、春鹿の法被(はっぴ)とお酒を射止めたのが、写真右端のT氏だ(実は隣の奥さんの方が、お酒は断然強いのだが)。



締めに茶がゆ(炒った米から作ったもの。とても香ばしい)が出てきて、デザートの大和茶プリン(まるす らぱん製)は、お持ち帰りとなった。家でいただくと、緑茶が香り立つ素晴らしいプリンだった。

それにしても楽しい会だった。お酒も料理もたくさんいただいた。翌日スッキリ目が覚めたのは、良いお酒の証拠である。メンバーが固定してはPR効果が薄くなるのだろうが、お声がかかれば「冬の会」にも参加したいものである。
亀村さん、櫻井さん、有難うございました。

割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書 658)
田中 淳夫
筑摩書房

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石崎義公著『まぁいっぺん聞いとくなはれ』

2008年10月13日 | ブック・レビュー
面白い本を読んだ。株式会社タカコの会長・石崎義公(いしざき・よしとも)氏が書かれた『まぁいっぺん聞いとくなはれ』(産経新聞出版刊 1400円)という本である。

(株)タカコは、油圧ポンプ部品(超精密高圧ポンプのピストン)の量産化に成功し、国内シェア80%、世界シェア50%を占めるという「ものづくり」企業で、精華町祝園(京都府相楽郡)の本社・研究開発センターのほか、国内に滋賀工場、海外では米国のカンザス州とベトナムのホーチミン市に製造子会社を持っている。

石崎氏は1944(昭和19)年、滋賀県甲賀市信楽町多羅尾(最寄りのJR島ヶ原駅まで徒歩3時間という山村)生まれ。地元の中学を卒業後、大阪の町工場に集団就職し、働きながら府立布施工業高校夜間部に通う。その後、大学の理工学部金属工学科へ(専門科目のみ履修して中退)。社名のタカコは、故郷の高香山(たかこやま)に由来するという。

版元の同書紹介文には《中学を出て、集団就職で大阪へ、夜間高校から夜間大学へ、そして29歳で独立。たった一人で始めた会社を、アメリカやベトナムに工場を設立するなど、やがて油圧ポンプの分野で世界一の企業に育てた著者が薀蓄に富んだ発想を披瀝する。面白くてためになる本!》とある。全体は4部構成で“「BOOK」データベース”には以下の通り概要が紹介されている。

第1部 ビジネス・ものづくりなど
(ドイツの国際見本市で京人形を飾る/ベトナムで1000人を雇用 ほか)
第2部 苦言・雑感
(肌触りの柔らかい下着買ったのに/「こんなん食べたことない!!」って言ってるでぇ ほか)
第3部 提言
(日本の人口2700万人の時代に/なぜ野党は核議論に反対するのか ほか)
第4部 自伝編
(高価な壷/月池に飛び込む ほか)

つまり第1部はビジネスのヒント集、第2部はエッセイ、第3部は政府への注文、そして第4部は半生記、という盛りだくさんな内容である。石崎氏の発案で、同書のあちこちにほのぼのとした漫画が描かれ、飽きずに読める工夫もされている。

印象に残った部分を紹介する。第1部では「ドイツの国際見本市で京人形を飾る」の章が面白い。29歳のとき「超精密高圧ポンプ部品メーカー」で独立したものの、資金が底をつきかけた。そこで起死回生の策として、工業製品の国際見本市として世界一のドイツ「ハノーバー国際見本市」に出展した。大手企業同士のすき間の5mほどの狭いスペースを借りたものの、超精密な高圧ポンプユニットは複雑すぎて分かりにくい。

そこで石崎氏は、ブースの中央に京人形を載せ、モーターで回転させた。人形を見て足を止めたエンジニアらしき人に片っ端から声をかけ、その結果ボルボ社などとの取引が決まり、おかげでトントン拍子に世界的な大企業と取引ができるようになったという。

第2部では「『こんなん食べたことない!!』って言ってるでぇ」(中国で野菜に高濃度の農薬をかけて栽培していたがそれは輸出用で、現地の人は決して食べない)や、「アメリカで車に追突された…」(アメリカでは踏切前で一旦停止の規則はない。「日本の鉄道は、止まらなければ見えないほど早いのか」と逆襲された)など、目からウロコの話が登場する。第3部では、カジノや国民総背番号制などの問題に、石崎氏独自の提言・苦言を述べておられる。

やはり胸を打ったのが、第4部の自伝だ。「月池に飛び込む」の章に登場するのは、中風(脳卒中)で闘病中の父親と、家計を土方仕事と夜の製茶工場勤務で支える母親、中一の石崎氏と小三の弟である。

ある日、疲れて帰ってきた母親が晩ごはんを作って4人で食べていると、寝たきりの父親がささいなことで怒り始めた。それまでも病気によるストレスで暴君的に振る舞っていたが、この日は特に荒れ、ちゃぶ台をひっくり返すだけでなく、12月の冷水を首筋から母親に浴びせかけた。

父親が寝床に入り、夜の9時を過ぎた頃、母親は2人の子供の手をひいて「これから行こう」と外へ出た。《「きれいなところに行くんやなあ。もうこれからは楽しい楽しい毎日を過ごせるんやで」と、笑いながらふたりに話しかけた》。母親は山の向こうにある月池という池に向かっていた。あまりにつらい暮らしと父親の状況に悲観して、身を投げようとしているのだ。

母親の足を止めたのは小さな弟のひと言だった。《「おかさん。楽しいところへ行くのはええけど、ちいちゃん(一番下の姉)が帰ってきて家に誰もいてへんだら可哀相やんか」と言った。(中略) その言葉を聞いて母親の足がピタリと止まった。そしてほどなくして、「そらそやな。ちいちゃんが帰ってきたら可哀相やなぁ」。(中略) もしあのとき、弟の言葉がなかったら、母はそのまま池まで行っていたかもしれない》。

現在石崎氏は仕事の傍ら、大学の非常勤講師や講演会の講師など、多方面で活躍されている。
※参考:石崎氏の講演「我が社のオンリーワンへの道」
http://www.mtc.pref.kyoto.jp/ce_press/no_018/club.htm

辛酸をなめながらも、常にポジティブ思考で取り組む石崎氏の姿勢は、素晴らしい。「日本のものづくりは、こういう人たちが頑張って支えて来られたのか」と素直に感動できる本である。学生や若いビジネスマンにとっては、ビジネスチャンスのヒントが見つかるだろうし、またそれ以上に、立派な経営者は何をバックボーンにして難局を乗り越えてきたのか、という「生き方」を知ることができる。一読をお薦めする。

まあいっぺん聞いとくなはれ
石崎 義公
産経新聞出版

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関西大学の「ふるさとづくり」

2008年10月12日 | 日々是雑感
関西大学が、「ふるさとづくり」という壮大なプロジェクトに取り組んでいる。07年度の文科省・現代GP(現代的教育ニーズ取組支援プログラム)に、関大が申請した「農山村集落との交流型定住による故郷(ふるさと)づくり―持続的に“関わり続けるという定住のカタチ”による21世紀のふるさとづくり―」が採択され、3年計画でスタートしたものだ。

私はこの話を、9/24(水)に大阪市内で開かれた「産学連携」をテーマとしたセミナーで知った。
http://blog.livedoor.jp/agent930/archives/51480693.html



当日の講師として、同大学からは、この計画を立ち上げた環境都市工学部の江川直樹教授と岡絵理子准教授が招かれていた。まず江川教授が生活景観の話をされた後、岡准教授が「関わり続けるという定住のカタチ、21世紀のふるさとづくり」として、このプロジェクトの話をされた(冒頭の写真)。

関大にほど近い千里ニュータウンは、町開きから45年が経過したが「果たして千里ニュータウンは“ふるさと”になれるのか? なっているのか?」という疑問が最初にあったそうだ。当日のメモから岡氏の話を拾うと、

《ふるさとには、思い出や伝説(不思議な話など)がつきものだが、新しく作られた町は“ふるさと”になれるのだろうか。学生に聞いてみると「今住んでいるところは、ふるさとにならない」「ふるさとは親の実家」という答が返ってきた》《ふるさとを失った若者のためにふるさとを作ろう。学生・卒業生とその家族が常に住まい、訪れ、帰ることのできる環境を作ろう、と考えた》。


現地で講義をする岡氏(HPより)

実践する現場は、兵庫県丹波市青垣町の「佐治」という集落だ。このプロジェクトのホームページによると、青垣町は《人口7100人の町です。佐治の集落は、江戸時代は宿場町として、その後も明治中期には製糸業により賑わいを見せ、現在もその面影の残るきれいなまちなみですが、人口も減り、ひっそりとした町になっています》。
※同プロジェクトのホームページ
http://www.kansai-u.ac.jp/Fc_env/2007gendaigp/introduction/

《環境都市工学部が学部全体で取り組み、現地にTAFS佐治(丹波青垣フィールドスタジオ・佐治スタジオ)を活動拠点として整備し、丹波市・青垣町との交流や地域活性化活動を行うとともに、学生の教育を支援します。また、TAFS佐治との緊密な連携を図るため、関西大学千里山キャンパス内にもTAFS千里山を設け、双方向での研究・計画・教育支援体制をとります。関連の講義科目のほか、演習科目でフィールドワークとしての現地調査、交流ワークショップを実施します》。


学生たちの作業(床を剥がして土間に戻す HPより)

《本プロジェクトの遂行には、丹波市と住民の方々からも大きな期待が寄せられており、2007年4月以降、すでに数回の現地交流ワークショップや交流ゼミを開催しています》。関大は、学生が丹波にすぐ行けるよう、また丹波市民が関大の公開講座を聴きに来れるよう、直通バスも走らせているという。

ホームページでは、江川教授がこの取り組みの趣旨・目的を語っている。《過疎の根本的な問題解決は一朝一夕にはいきません。学生や先生が出かけていって、簡単なアンケート調査などをして何か提案し、さっと去ってしまう。学生や先生の論文は書けるかもしれないが、現実に村や町は何も変わらない》。

《過疎の社会には構造的な問題がいっぱいあります。その一方で、経済活動にのまれないで残っている美しい景色があります。数多くある空き家は放っておくと、維持する人がいないから壊れていくだけです。長期間にわたって住民とつきあい、本音を知り、地域のさまざまなことを体感するなかで、住民と一緒になって議論し、何かを行うことが重要なのです》。


江川氏(9/24撮影)

《定住が求められていても、実際は過疎の農山村に多くの人々が定住することは難しい。そこで、大学という形態を利用して、「持続的に“関わり続けるという定住のカタチ”」を考えました。つまり、学生が毎年途切れることなく、継続的に地域と交流すれば、常に学生が居続けることになります。それを定住の第一階層ととらえると、実際に住み続ける定住、つまり第二階層の定住もこれらの中から生まれてきます》。

「定住」と「交流」とは、本来は反対語であるが、継続的に交流することによって「疑似定住」状態を作り出せば、その中から将来的には実際に定住する人が生まれるだろう、ということだ。

《学生自身が農山村と中長期的に交流を続けることができたら、彼らにとってはかけがえのない「ふるさと」を持つことになります。日本の美しい、大切な社会資源を考える教育目標も達成されます》。

《日本の山は自然林と人工林が混じっていて、それぞれの役割を担っています。人工林というのは木を育てて、それを切って使うという仕組みです。農業が育てた作物を食べるように、木造住宅は育てた木を使いますが、その仕組みが今の日本では崩れてきています。実は、田舎の山は都会にとっても大切なのです。山が変われば川の水も変わります。山を管理する人がいなくなり、みんな都会に出てお金で利便性を買う生活をするとどうなるか。田舎が壊れたら都会も壊れるのです。もうかなりその兆候が表れてきています。過疎化がどんどん進む田舎を、きちんと整備していかなければなりません。学生たちはそういうことにも気づき、いろいろなことを学んでくれると思います》。


奈良県の山村(宇陀郡曽爾村)

林業の話は、私が現在関心を寄せている奈良県の山村の話とオーバーラップする。若者がこういう構造に気づいてくれることは、日本の林業にとって、とても有り難いことである。

このプロジェクトは、「ふるさとを持たない若者にふるさとを」、「若者のいない過疎地に若者を」という日本社会が抱える2つの大きな問題を同時に解決しようという素晴らしい構想である。岡氏の話の中では、学生たちが生き生きと働き、また村の人たちと交流する画像がたくさん紹介されていた。

江川氏は学生に《「考えるより先に感じろ」と言っています。そして「結論を急いで出すな」と。答えはすぐに出さなくてもよいのです。(中略) 大事な問題の答えは、関わり続けて、一生かかって出てくるものです》とおっしゃっている。

過疎地で学生たちは何を感じ、それが卒業後どんな形となって現れるのかは未知数だが、これは得難い体験である。奈良県をはじめ各地に過疎の山村は多いが、将来の日本を背負う若者が、山村から感じた「何か」を一生の糧にしていただきたいと思う。
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