モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

淡麗辛口 鄙願(ひがん)

2014-11-06 10:14:02 | グルメ
新京成線八柱駅近くにある「すし勘」で美味しい酒に出会った。
その名を『鄙願(ひがん)』という。


「すし勘」は、所要で二ヶ月に一回八柱に行った時に顔出す店で、“〆張鶴”を飲むのを楽しみにしている。

この日も好みの“〆張鶴(宮尾酒造・新潟)”か、店定番の“ねぶた(桃川・青森)”を飲もうかと思っていたら、珍しい酒があるというので味が分かる最初の1合として頼んでみた。

「ん~・・・・・、いい感じかな!」
飲み口が良く、後味の最後まで最初の味がしっかりとしていた。
飲んだ瞬間に うまい と言ってしまう酒ではないが、とてもバランスが良い酒だと思った。 このバランスの良さは、“〆張鶴”“ねぶた”を飲んで比較してよく分かった。

それぞれの酒のキーワードを見ておくと、“〆張鶴”は淡麗旨口、“ねぶた”は、純米酒に淡麗な味わいと喉越しを求めた辛口の酒で、いわゆる 両方とも端麗辛口 の酒である。

「おやじさん、この酒 何?」
何を聞いているのか良く分からない問いかけだが、何を聞いているかを察知して答えてくれる。優れた人は、次の質問を用意して答えてくれるのだから会話がつながる事になる。

「〆張鶴と同じ新潟の酒で、“ひがん”といいます。」
と言うことは、“〆張鶴”同様に端麗辛口タイプの酒なんだ。
端麗な酒は、限りなく水に近づくので、この点では、“〆張鶴”が一番好きだが、“ひがん”は、矛盾する表現だが、味がしっかりある淡麗な酒のようだ。

開封していない一升瓶が壁際にあったが、書道家の手になる読めない字の一升瓶が2本あり、首にステッカーが掛けてあり 良寛さんの俳句か何かがかけてあった。

家に帰り、“ひがん”を調べていたら、これが“鄙願(ひがん)”だった。
通常は酒蔵が造った酒が販売されるが、この酒は、新潟県 燕市大武新田の酒屋「越後分水・酒・ほしの(有限会社星野商店)」が、月山に近い新潟県村上市にある大洋酒造㈱に製造委託して作りこれを販売している。
ということだが、入手が困難な酒のようだ。

(写真)鄙願(ひがん)
 
(出典)日本の大吟醸
コメント

柏 竹やぶ

2014-08-21 09:13:57 | グルメ
柏市の手賀沼が眺望できる丘の上にある『竹やぶ』は、蕎麦通の人は一度は暖簾をくぐって見たいという店のようで、店主はこの道では有名な安部孝雄という。

物の本によると、20歳のときに江戸蕎麦の伝統を引き継ぐ「藪」「更科」「砂場」のうち『藪』系統の「池之端藪蕎麦」で修行し、22歳の1966年のときに柏駅前で「竹やぶ」を開業したという。

しかし以上のようなことは、訪問後しばらく経ってから知ったことで、柏公園の近くにうまい蕎麦屋があるという情報だけで行ってみた。

駐車場がよくわからなかったので公園の駐車場に入れ、道路際から20~30mそびえる崖上に向かって歩いて登って行った。
帰りに気づいたのだが、公園から竹やぶに行くには3つのコースがあり、最も遠回りをしてしまったようだ。

(地図)竹やぶに歩いて登る3つのコース


正しくは、竹やぶの崖下駐車場に入れ、コーヒーハウスの左脇にある上り坂を登っていくのだが、最初はこれがなかなか分かり難い。つい、3号宮前緑地にある上り坂を歩くことになる。よく見ると、7号宮前第二緑地に行く公園からの歩道橋があることに気づく。このコースは歩いていないが、歩道橋を渡っている人を下から見上げたら天空を歩くという不思議な光景だった。


(写真) せいろそば 


肝心の蕎麦の味はどうだったかといえば、水切りが悪いのかヌメとした感じが最初にありこの感じはいただけないが、後は可もなく不可もなかった。
藪そばによくある値段が高いごく普通の蕎麦かなという印象だった。

驚きと感動は、蕎麦ではなく帰り道にあった。

入ってきた方向と反対の庭に出てみると、蕎麦とは無関係の世界が広がっていた。
和と洋が混沌とした中で調和していてこれは何だろう? と感じた。
完成形ではなく発展途上にあるということでは、ガウディ(Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet, 1852-1926年)のスペイン、バルセロナで現在も建築中のサグラダ・ファミリアSagradafamilia に近いものを感じる。

蕎麦だけではなく空間をも楽しんでもらおうという安部孝雄の考えで始まったようだが、これは一見に値すると思った。

安部孝雄の世界
(写真)玄関を出た庭


(写真)下に降りる道と東屋


(写真)東屋


(写真)途中にある門


(写真)道の脇にあるガジェット






(写真)門の先の下り坂 


(写真)登り口にある喫茶店


(写真)駐車場脇の入り口、ちょっと分かりにくい!


コメント

ナポリタンスタジアム グランプリを食する!

2014-01-26 21:12:09 | グルメ
「ナポリタンスタジアム、グランプリ」のナポリタンが食べられる。
という新聞記事を見て柏にある高島屋に立ち寄り、地下2階の催事場片隅にあるところで食べた。

どんなイベントで優勝したのかなど全く背景を知らずに、“優勝の味”にだけ興味を持ち行ってみた。自分で作れるなら真似してみようという気持ちも多少あったが・・・・。

(写真)黄金比率のハンバーグのせ赤ナポリタン
 

出てきたのは、ハンバーグ乗せのナポリタン。ナポリタンなので、お世辞にも豪華・上品・雅などとは言えない。
材料は、茹でたスパゲティとピーマンとトマトソース等なのでナポリタンでコンテストというのは難しいのではないかと思ったが、ラーメンでは多様な味の開発が進んでいるので、ナポリタンでもコンテストが成立するのだろうな~と思いながら食べることにした。

スパゲッティはオーソドックスなトマトソース味で違和感がない。
ハンバーグも可もなく不可もなくデミグラソースは美味しいかなと思った程度で、これがグランプリ? というのが素直な感想だった。
あまりにもど真ん中直球勝負のナポリタンなので、目新しさ等の新奇性がなかった。

トマトの良いものが手に入れば(カゴメのカットトマト水煮パックでも良いかな!)この味は作れると思った。
塩・コショウだけで素材の味を引き出しているので、家庭でも定番として作ってみたいというベーシックな味が評価されたのだろうか? と。

グランプリを取ったナポリタンの正式名称は、仙台市にあるハンバーグ専門店のHACHIが作った ナポリタンの専門店「東京ナポリタン⑧(マルハチ)」の“黄金比率のハンバーグのせ赤ナポリタン”(880円)という。

ナポリタンスタジアム
家に帰ってからイベントを調べてみたら、カゴメが主催したイベントで、2013年11月2日~11月4日には、ナポリタン発祥の地といわれる横浜(赤レンガ倉庫)で、全国の味自慢の店15店と中国上海から1店舗が参加しで、食べた人の投票(インターネットでの投票もあったみたいだが)でグランプリが決まった。

 

焼きそば、ちゃんぽんでナポリタン、或いは、ホワイトソースなど変わったものもあり、調べているうちに食べてみたくなった。第二回があったら行ってみようかな~!

ナポリタンブームがイベントに
このナポリタン、横浜の「ホテルニューグランド」で戦後物不足の頃の進駐軍の米兵に提供するために考案されたというが、ナポリタンだけでなくドリアもこのホテルの厨房で生み出されたという。
今ではイタリアに逆輸出されているというが、わが日本でも2012年頃からナポリタンがブームになっているという。
このブームの中心は40~50代の男性のようであり、この年代の男性がブームを作り出したこと自体が珍しいということはさておき、ナポリタンに光が当たったことは喜ばしいことだ。

トマトにこだわりを持っているカゴメがこの“ナポリタンスタジアム”を企画展開したことに敬意を表し、第一回で終わることなくフライパン一つで作れる世界がさらに広がって欲しいものだ。

コメント (2)

古民家レストラン 「カフェフラココ(FURACOCO)」

2011-11-16 23:06:46 | グルメ

(写真)スパゲティ


美味しいものがないとあきらめていた町で驚きの味に出会った。
ランチタイムのスパゲティで、野菜・キノコなどをトマトソースでスパゲティを包んだ見た目にありふれた料理だったが、後味がよく最後まで美味しかった。
食べ終わってから、食材と調味料が何だったか気になったが後の祭りだった。きれいさっぱりと食べてしまっていた。

「カフェフラココ(FURACOCO)」との出会いは、諦めているとはいえ「野田のグルメ」で検索したら「古民家カフェ FURACOCO」が見つかった。
この町では味に期待できないので“古民家”というのが気になりこれを見るつもりで行ってみた。
事前に地図でわかっていたはずだが、見つからずに通り過ぎてしまった。
当然あるべき“私の店に来て欲しい!”というサインを発する客寄せの看板がないのだ。

この辺から何かに自信がある店だなと気づくべきだったが、この町には旨いものを食べさせる店がないという先入観から抜け出していなかった。

(写真)室内


建物は昭和初期のつくりでしょうか?
ちょうど西岸良平原作「三丁目の夕陽」、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のセットのようで、戦後ベビーブーム世代の私にとっては見慣れた住宅でした。
今の若いヒトには古民家でも、これは古民家じゃないよな~。
住宅というかあらゆる物は、作られたときから価値が下がり続け、これが底をうち価値が上がるようになった時から“古民家”とか“骨董”とかになるのかなと思うので、解体して立て直すかどうか悩むような古い家というのが妥当な気がする。

この古い家を修理して使う際のセンスが重要だが、“FURACOCO”のセンスはなかなかだった。新しさ・豪華さ・奇抜さを入れずに建物と同じ時代でまとめているところが良い。
そこには、懐かしさ、素朴さ、貧しさ、そして助け合って生きてきた大家族の温もりがあった。

食べ終わって気づいたが、このセンスが食にも一本筋を通しているようで、無農薬・有機栽培の野菜、穀類、そして、氏素性がしっかりした調味料を使用するこだわりを持っていた。
オーガニック(有機肥料)を売りにしたレストランがあるが、「FURACOCO」は、農薬・化学肥料が高価で買えなかった昭和初期の当たり前の農業であった、有機肥料と人力での除草で育った無骨だが味のある野菜・穀類とそれらを使った味噌・しょうゆなどの調味料を大家族の食卓で食べた家を再現しているようだ。

一つ一つの野菜の個性的な味、それを旨みとして引き出す調味料の力、これが美味しいと感じたのだろう。 とてもやさしい味だった。

気になったのは、店の名前だ。何か由来でもあるのだろう?
フランス語、イタリア語、ポルトガル語、ラテン語など調べたが“ない”。
ひらがなで「ふらここ」と入れてみたら、

ふらここ=【鞦韆】【秋千(しゅうせん)】=「ぶらんこ」に同じ。
エ~。「ブランコ」なんだ!


ランチのメニューは、3種類から選ぶようになっていた。①スパゲティ ②おにぎりプレート ③大豆ハンバーグ。 おにぎりプレートの写真だけでも載せておきましょう。 これも結構美味しかったな。

(写真)おにぎりプレート


「カフェフラココ(FURACOCO)」
住所:千葉県野田市柳沢40
電話:04-7121-2327
営業日・時間:ランチ:11:00~16:00 ディナー:17:30~21:00 (月曜日休み)
 ※2012年1月から金曜日休み、
 ※初めてのヒトは電話してから行った方がいいです。(ディナー休みの場合あり)

コメント

行列のできるスィーツ「モンシュシュのクッキーシュー」

2009-10-10 15:31:42 | グルメ
『堂島ロール』というのが人気になっているそうだ。


とある蕎麦屋でご馳走になったが、柔らかい甘みのクリームが美味しく、なるほど人気になるだけのことはあると思った。

宴席での御呼ばれがあったので、手土産にいいかなと思い、日本橋三越に行ったが既に3時には完売で手に入れることが出来なかった。
行列のできる人気商品だけのことはある。

何しろ、一階案内で“”並んで買うロールケーキ“と言っただけで、新館B2の奥にある店と教えられるほどなので、毎日行列が出来るのだろう。

(写真)モンシュシュ(Mon chou chou)売り場
   

バームクーヘンにしようかと思ったが、5時から『クッキーシュー、ピエール』が一日200個限定で販売されると言うので、並んで待ち一人5個限定のシュークリームを買った。

相手が2名の場合もあるので、念のために再度並びもう5個も手に入れた。

この間1時間。
手土産なので味を見ることは出来なかったが、『堂島ロール』のクリームであればきっと美味しいのだろう。

5時間保冷が効く有料のバックを含めて1500円。手土産としては安すぎるが、1時間並んで買った気持ちが入る分御礼の気持ちが伝わるだろう。

   

モンシュシュ(Mon chou chou)は、大阪堂島にある洋菓子店。東京では三越(日本橋、銀座)などに出店。「堂島ロール」がお奨め。

コメント (7)

日本橋さくら通り探索

2009-09-05 11:39:09 | グルメ
『池田町 レストラン十勝』と喫茶&バー『ぺしゃわーる』

『レストラン十勝』
十勝ワインで有名な池田町は、最も近い釧路からJRで1時間30分もかかるところにあるということがはじめてわかった。
チーズなどの乳製品にはお世話になっていたが、ワインはあまり飲まないので味見程度、牛肉にいたってはまったく食べたことがなかった。

日本橋高島屋界隈を散策していて、何もなさそうだなと思っていたところ東京駅八重洲方面から高島屋に向かう“さくら通り”という並木道があり、ここに十勝ワインとステーキの店『池田町レストラン十勝』があった。

(写真) 看板
   

よく確認できなかったが、池田町にある「池田ワイン城」の4階にある町営レストラン十勝の姉妹店のようだ。
ということは、経営者は池田町役場ということになるのだろうか?

十勝の産品、町営に興味を引かれ地下に降りていった。
13時から十勝牛のステーキランチというのが千円であり、これ以外気になるモノがあいにくなかった。ついでに、あまり飲まない十勝ワインの赤を頼んだ。

(写真)野菜スープとステーキ
   

   

最初に野菜スープとサラダが出てきたので、この野菜スープをいただいたが、シャキッとした歯ごたえの野菜がありこれが意外と美味しかった。
煮崩れないシャキッとしたこの感覚は初めてに近く、なんだろうなと気になったので尋ねたら「企業秘密です!」ということで教えてくれなかった。

おい~おい~、池田町の野菜を使っているならば、これをPRする気はないのかという疑問を抱いたが、池田町の野菜を使っていないので教えられないのかもわからないと思いなおし、深く突っ込むことはしなかった。

よくきざなラーメン店で、美味しい汁のことを聞くと、同じように「企業秘密」と返ってくる。競争が激しくすぐ真似られるのでしょうがないとは思うが、
美味しいと思った人の頭にその美味しさのワケを叩き込むことは、口コミなどで重要な働きをすることを知らないのだろうか?

ならば、その狭量を口コミで言ってやろうという客の心理を知らないのだろうか?

大体、狭量な店に次に行くと客足が衰えていることが多く、さらに久しぶりに行くと店がなくなっている。ラーメンの競争が激しいのか、狭量なところが見透かされたのか真剣に調べたことがないが、繁盛していたのにだんだん選ばれなくなったことは間違いない。味だけで人は店を選ばないということだろう。

大体これで、勝負ありかなと思った。
後は時間つぶしをするだけだった。

まあ~町営だから成り立っているのか、安い値段でステーキが食べれるので成り立っているのかよくわからないが、経営の仕方をうまくやるともっと繁盛するし、池田町の物産を広められ通販でも売れるのではないだろうかな?
とも思ったりした。


喫茶&バー『ぺしゃわーる』
さくら通りに出て、タバコが吸える喫茶店を探し、「レストラン十勝」の斜め前あたりに『ぺしゃわーる』という地下に行く喫茶店があった。

おっと、お気に入りのクラシカルなバースタイルの喫茶店ではないか。
入り口正面に細長いカウンターがあり、その両サイドに個室ぽくなる10名ぐらいが座れる椅子席がある。

若い時ならばデートで個室ぽい所を使ったのだろうが、今はカウンターで一人で飲めるほうがうれしい。

頼んだブレンドコーヒーは、小さいカップに思いっきりカフェインを絞り込んだストレートコーヒで、久しぶりに強烈だった。ミルクを入れても強烈であり、相当の量の豆から搾り出したようだ。
一杯630円、喫茶タイムに一日50人が来たとして31500円。
家賃を払っていたらこれでは厳しいだろうな~

夜は19時からバーになり、2時まで開いているようなので夜の経営状況も見てみようかなと思った。

東京では良質なカウンターバーがつぶれて減っているし、喫茶店も減っている。
一人で飲む大人が減っているのだろうか?
それとも孤独に耐えられず自分とも戦いたくない人間が増えているのだろうか?
カウンターバーは初めての客が来ると、カウンター全体が凍りつく瞬間がある。これに耐えられると一見の客から昇格し仲間として迎えられるのだが、ワカラナイだろうな~。

この『ぺしゃわーる』意外だったのは、ホテル・ニューオータニの本館にも出店していることだった。

初めての店は、失敗もあるし意外な発見もある。
だから街の探索は面白い。
コメント (4)

わがまま贅沢

2009-09-03 05:59:43 | グルメ
名のある店に自分の食べたいモノがメニューとなる
ということをやってみたかった。
これが出来そうだ。

神田神保町の古本屋さんに行った帰りは、飲む前の腹ごしらえとしてすずらん通りにある「SANKOUEN」という中華の店に立ち寄る。

この店のお気に入りは、一人で食べるのに適しているウエイティングバー的なカウンターがあることだ。さらに、目の前に瓶だし紹興酒の瓶があり、秋から春にかけてはこの紹興酒を常温で一杯だけ食前酒として飲むと美味しい。

ここで、メニューにないものを頼んだりする。
最初の頃は、さほどわがままを言ってもいけないので、仕上げとしてチャーシュ麺のチャーシュー抜きでネギだけのつゆソバなどを遠慮がちに頼んだりしていた。
一度これが可能になることがわかると、メニュー以外でおいしものなどを言うことになる。

最近は、“オイスターソースだけで炒めたヤキソバ”というのを頼んだ。
これは、四谷にある嘉賓という中華の店の名品で、自宅でも作って食べる。

出来てきたものは、嘉賓のヤキソバとは程遠いが、これはこれでありというものだった。
しかし特色がないので売り物とはならないだろうと思ったので、後味の単調さを直すといいものになりそうだと話して帰った。

しばらく時間がたってから行ったら、香港から麺と醤油を取り寄せこのヤキソバにチャレンジしていることがわかり、日にちを決めて試食に行った。

(写真)試作品のヤキソバ


この写真がその二度目の試作品だが、前回よりは数段に美味しくなり麺と醤油を取り寄せただけのことはあった。
だがまだ物足りなく、後味の単調さが直っていないので、前菜で頼んだ唐辛子入りの白菜の酢漬けの残り汁をかけてみると、これが良かった。

お店へのアドバイスとして、唐辛子の辛味を入れるとバランスよく美味しくなるということを意見としていった。

三度目は友人たちと夕食に行った時だが、(写真は撮り忘れました)仕上げそばとして頼んでみた。
白髪ネギがちりばめられたヤキソバに、唐辛子油が添えられ見た感じが完成品のようでもあった。

全員が美味しいという評価であり、これならいけるのではと思った。
スタート時は、四谷の嘉賓のヤキソバであったが、味的にはオリジナルになり特色があるシンプルなヤキソバとなった。唐辛子のオイルをかけるとまた新鮮な味となり、締めの腹ごしらえとして適した一品となった。

いよいよメニューとして登場するようだ。
応援しなくちゃ~。

コメント (6)

久しぶりの長崎チャンポン、八丁堀『思案橋』

2009-07-31 14:33:13 | グルメ
長崎チャンポンが大好きだったことを忘れていた。
久しぶりに食べたくなり八丁堀の『思案橋』に行ってみた。

火災により銀座八丁目から人形町に移った『思案橋』の味が大好きだったが、今回は八丁堀にした。
というのは、八丁堀という地は、こじんまりした小料理屋があり一度夜でも来て見ようかなと思っていたので、お店探索をもかねて行ってみた。

(写真)大盛りの長崎チャンポン


この店の大盛りをわからないままで頼んでみたら、普通の1.5倍以上はある見ただけで無理かなというものが来てしまった。
この最初の絶望感が味にも影響を及ぼし、可がなく不可だけが目立ってしまった。

あっさりとしたスープ、もうちょっと海鮮の味が利いていて欲しかった。
煮すぎの野菜、強い火力で短時間に仕上げて欲しい。
柔らかすぎる麺、腰が欲しい。

こんな不可だけ目立ってしまった。

いつもだとスープまで残さないで平らげてしまうが、今回はギブアップしてしまった。
とはいえ、この店は由緒ある長崎チャンポンの店であり、町のチャンポンとは出来が違う。と思う。

昔書いた原稿を読み直したら、『思案橋』という暖簾を引き継ぐ一族の店が東京に3店ある中で、最も相性の悪い店だった。
八丁堀でも斜め前に同じ一族の『思案橋』があるが、この店のほうが好みだった。さらに人形町の『思案橋』の方がもっとおいしかった。

記録に頼らないで、記憶に頼っていくと失敗する格好の事例だった。

よさそうな小料理屋がいくつか目に付いたので、八丁堀にちょっと近寄ってみたくなり調べてみたらこんな歴史の街だった。

八丁堀の歴史のさわり
徳川家康が江戸幕府を作ったころは、日比谷あたりまで海があり浅瀬だったようだ。
運河を作りこの土砂で埋め立て新橋・銀座・日本橋が出来たのが1600年代の初め頃のようで、八丁堀も埋め立てで出来た町だ。

桜田門といえばいまは警視庁がある場所だが、八丁堀は、与力・同心の町だったようだ。
江戸時代の町奉行所は、侍・坊主を除いた町方の治安・衛生・商い・生産・トラブルなどあらゆることを取り扱った総合省庁であり、あまりの激務のために御奉行様は現職での過労死が多かったといわれている。だから家柄に関係なく取り立てられたのだろう。

当然、与力も優秀なものが多く、元禄時代頃には、八丁堀に役宅をもらい50人ほど住んでいたという。役宅の目安が300坪といわれている。又同心は200名が住んでいて100坪の役宅のようで、与力・同心(=八丁堀の旦那)の町といってもよさそうだ。

一方、ご存知「銭形平次」は神田明神下に住んでいたが、彼は岡っ引きだったので、八丁堀には住めない設定になっているので時代考証がきちんと出来ているということだろう。

日本の役人の根性を形づくったのがこの江戸時代の役人とも言われる。
幕末になるに従い、米本位制から貨幣本位制に移行するに従い武士の賄いが苦しくなった。就職できない二男三男は養子縁組があれば良いが、無いと悲惨だったようだ。
そこで、アルバイトをするとか、口利き料をとるとか、賄賂を要求するなど、役得を存分に生かす役人が多くなったという。

戦争が無いと活躍できない武士の職務、死ぬために買われている武士階級は、平和な江戸時代は生きにくかったのだろう。

この状況は、いまの役人にも引き継がれており、歴史で磨かれた巧妙さがプラスされている。外郭団体という出島を作りここで飲めや歌えやの花見酒をやって食いつぶしている。

過労死した初期の頃の江戸町奉行の時代に戻って欲しいな~
と八丁堀で思いました。
過労死はさせませんから、日本のためにということで活躍して欲しいな。自分のためにはそろそろ止めようね。


コメント

松江の味『皆美(みなみ)』の「鯛めし御前」

2009-07-19 06:32:41 | グルメ
「鯛めし」というものはいろいろあるものだと思った。
これまでは、焼いた鯛を炊き上がったご飯に乗せ、小骨を取り身をほぐし混ぜ合わせた炊き込みご飯のようなものだとばかり思っていたが違ったものもある。

島根県松江といえば、小泉八雲が1890年から居住し、翌年小泉節子と結婚し「八雲立つ出雲の国は・・・」から日本名を付けたと知られているところだが、ここには古い格式のあるいい旅館があることを何かの折に聞いていた。

名前を忘れていたが『皆美館(みなみかん)』というそうだ。

東京では御茶ノ水にある「山の上ホテル」もそうだが、文人・作家が静養なのか原稿書きでのカンヅメなのかわからないが逗留する隠れ家のようなところのようだ。
カンヅメされるほうとしては、逃げ出したい欲求との格闘でつまらないことにいちゃもんをつけてしまうが、こじんまりしていて落ち着けてうまいものが食べれるところだと我慢しやすい。こんなわがままに答えられるところが『皆美館』のようだ。

日本橋でお昼を食べるつもりで友人に聞いてみたら、この「皆美」を薦められ松江の老舗旅館だということを思い出した。

きっと、納得できる和食が食べれるだろうという期待感が高まり、さらに、珍しいものがあれば申し分ないと思い行ってみた。

お店の場所は、地下鉄日本橋で降りてすぐのコレド日本橋ビルの4階にある。
このビルは、高層のオフィスビルと5階までの商業ビルで成り立っている。4階以外は特別によさそうな店が入っている感がなかったので、日本橋の集客力が停滞しているのかなと思った。

『皆美』の名物は、「鯛めし」だが、“鰻まぶし”“鮎めし”など魅力的なものがあった。多少迷ったが、「皆美家伝の鯛めし」を頼んだ。

(写真)鯛めし御前


(写真)鯛のデンブと薬味(そば具)


(写真)だし汁をかけて鯛茶


何が変わっているかというと、鯛の影も形もなくデンブになっていて卵の黄身、白身と別々に山に盛ってあった。
これをお茶碗に盛り付け、独特のだし汁をかけて茶漬けとして食べる。
ワサビ、海苔、大根おろし、万能ねぎを薬味としてちらし、ワサビがピリッと上あごを刺激して淡白な味に活を入れる。

良く聞こえなかったが、一通りの作法をセットする間に由来に関して仲居さんから口伝があった。後で調べるとこんな内容だった。
“江戸文化文政時代の頃、松江藩七代藩主松平不味公、この人は不味流の茶道の開祖のようだが、消化のよい汁かけご飯が好きでそば具と呼ばれた調味料を工夫していたようだ。ちょうど長崎帰りの用人がオランダ料理を持ち帰りこれを工夫してそば具と汁かけをミックスして日本風の御殿料理に仕立てたという。”

『皆美』は明治21年に創業し、初代の板前長がこの汁かけご飯を「鯛めし」として考案し家伝料理として伝承したという。

確かに御殿料理として洗練されていた。

私の理解では、これは「鯛茶づけ」であり「鯛めし」とは言わないが、新橋の『宇和島』などにも「鯛めし」というのがあり、これは生の鯛の刺身を汁と一緒にぶっ掛けて食べる野趣あふれるものがある。瀬戸内の海賊が考案したというから荒削りだが無駄な様式がない。

「皆美の鯛めし」「宇和島の鯛めし」とも甲乙つけられないが違いがあって面白い。


コメント (7)

日本橋室町『ざくろ』

2009-07-11 08:28:05 | グルメ
日本橋三越の真正面のビルの地下一階に赤坂に本店がある『ざくろ』の室町店があった。

この『ざくろ』は、関東で最初の“しゃぶしゃぶ”の店として知られる。
若かりし頃は、人形町の『今半』と並び牛肉が食べたい時の憧れの店であったが、今では牛肉を食べたいとも思わないのですっかり忘れていた。

行燈に『ざくろ』とかかれたものを見て、懐かしさを覚え入ってみることにした。

2時を過ぎていたので、店内は客が少なく仲居さんのほうが目立っていたが、広い空間なので落ち着いた雰囲気がある。

定番の「すき焼き定食」を頼み、壁には版画が数点かけられていたので見渡した。
忘れていたが、この店のオーナーは棟方志功が大好きだったのだ。
『ざくろ』と棟方志功はセットになっていて赤坂店にも掛けられていたっけ。
朱印が押されサインもあったので、価値ある刷りのようだ。

前日飲みすぎていたので感受性が鈍く、棟方志功の絵に感動するまでには至らなかったが、絵に囲まれての食事は“ほっこり”する。
若い頃は、牛肉もさることながら棟方志功の絵に感激したような気がするが、鈍くなれば鈍くなるものだ。

(写真)ざくろのすき焼き


すき焼きはビールのつまみとし、ご飯と赤出汁だけを先に食べたが、この赤出汁が美味しかった。化学調味料を使っているのか使っていないのか良くわからなかったが、ダシのコクがたっぷりとでていてこれだけでご飯が食べれた。

すき焼きは伝統的なすき焼きで可もなく不可もなかったが、やはり私には無縁に近いものになっていた。砂糖が入ったすき焼きが食べたかったあの若かりし頃のご馳走が今ではご馳走ではない代物になっていた。

味的には子供が喜ぶ味だが、値段がちょっと問題なので、すき焼きはいずれ消える運命にあるのだろうか?
或いはすき焼きを売りにしている日本料理店が消えるのだろうか?

懐かしい行燈とザクロと棟方志功の絵は残って欲しいなと思いつつ、ロビーでタバコを一本吸ってから銀座に向かった。不自由な時代となった。

コメント (2)