夏の陽は、全てのものに等しく降り注ぎ、
焼き尽くさんとし、陰さえもつくらせない。
秋の陽も、全てのものに等しく降り注ぐが、
そこに見慣れないものをつくり、
気づいてもらいたいと待っている。
いつもの光景の中に、
光の濃淡によるカーテンがつくられ、
このカーテンが、錯覚をもたらし、喜怒哀楽を刺激する。
朝の陽は、躍動感があり、活力を刺激するが
夕方の陽は、静寂と郷愁・人恋しさを刺激し、帰るところを探す。
暗示にかかったかのごとくパターンを踏襲するが、
しかし、時々、違った光と影の啓示に気づく。
光だけでは、コクも旨みもない。
影が味を創っている。 と思う。
この影がおいしい季節になった。
何気ない、いつもが、
気づくとおいしい季節でもあり、
その価値がわかる季節・・・・なのだ。