(写真)ヒメヒマワリの花
「ヒメヒマワリ」の花は、鮮やかなイエローオレンジの八重咲きであり、その一つ一つの花びらは芯が入ったかのように硬い。だからだろうか長期間咲き続け、花数は少ないが花の持ちがよい。
葉は、濃緑色で光り輝きゴワゴワしている。
この花の学名Heliopsis scabraは、属名が太陽の花を意味し、種小名がざらざらしているを意味する。実に花の特色をとらえた命名となっている。
まるで、生きたドライフラワーのようだ。
耐寒性・耐暑性とも強いので、夏場の水遣りだけ注意すれば実に育てやすく、彩としても使い勝手がある。
本物の「向日葵」では2mぐらいまで育つので庭向きではないが、この「ヒメヒマワリ」ならば1m以下にもおさえられる。
(写真)ヒメヒマワリの葉と花
ヒメヒマワリ(姫向日葵)
・キク科ヘリオプシス(和名キクイモモドキ)属の耐寒性がある多年草。
・学名は、Heliopsis scabra Dunal。別名はヘリオプシス、和名はキクイモモドキ、別名が宿根姫ヒマワリ。
・属名のHeliopsisは、ギリシャ語の太陽を意味する“helios”と花を意味する“anthos”を語源とし、“太陽の花”を意味する。種小名のscabraは、ざらざらしたとかうろこ状を意味する。
・原産地は北アメリカの南部。
・草丈50~100㎝で6~9月の夏咲き。
・3cm程度のイエローオレンジ色の花が咲く。一重と八重があるがこれは八重咲き。
・葉は長楕円形で濃緑色、ザラザラしているのが特色。ザラザラしていない葉の場合は別種のヒマワリモドキ(Heliopsis helianthoides)
・耐寒性・耐暑性とも強く、日光と排水のよい土で育てる。
・わが国へは明治時代の中頃に渡来したようだ。
命名者
宿根姫ヒマワリの学名は、1819年にフランスの植物学者Dunal, Michel Félix (1789-1856)により命名された。
彼は、ヨーロッパ最古の医学部で有名なモンペリエ大学の植物学教授であり、トマト、ジャガイモなどの新大陸アメリカの産物が所属するナス科での著名な研究業績があり、これらの功績を評し、ナス科の一つの属に彼の名前つけた“Dunalia”属が出来た。
(写真)咲いたばかりのヒメヒマワリ
<Contents of the last year>
ヒマワリの歴史
ヨーロッパにはない、アメリカ大陸原産のヒマワリをスペインに持ってきたのは、コロンブス後のスペイン人であり1510年頃といわれている。
育ての親となったのは、スペインの医師・植物学者そしてマドリッド植物園の園長ニコラス・モナルデス(Nicholas Monardez 1493-1588)だった。
モナルデスは、1571年に出版した『新世界の薬草誌』で、タバコは20以上の病気を治し空腹や渇きを軽減するとタバコ擁護論を展開し、タバコの普及に弾みをつけたことで著名だが、マドリードの王立植物園でヒマワリを栽培したのもモナルデスだった。
新大陸原産のダリア、コスモスもこのマドリードの植物園で最初に栽培されたことで知られる。
だが、ヒマワリがスペインから国外に持ち出されるのに100年近くもかかり、17世紀になって、フランス、ロシアに伝わったという。
そしてその200年後には、南仏アルルでゴッホが「ひまわり」を描くことになる。
日本には、江戸時代の元禄期に中国から入り、太陽を追って動くので「日廻り」という名が広まったようだ。
「ヒメヒマワリ」の花は、鮮やかなイエローオレンジの八重咲きであり、その一つ一つの花びらは芯が入ったかのように硬い。だからだろうか長期間咲き続け、花数は少ないが花の持ちがよい。
葉は、濃緑色で光り輝きゴワゴワしている。
この花の学名Heliopsis scabraは、属名が太陽の花を意味し、種小名がざらざらしているを意味する。実に花の特色をとらえた命名となっている。
まるで、生きたドライフラワーのようだ。
耐寒性・耐暑性とも強いので、夏場の水遣りだけ注意すれば実に育てやすく、彩としても使い勝手がある。
本物の「向日葵」では2mぐらいまで育つので庭向きではないが、この「ヒメヒマワリ」ならば1m以下にもおさえられる。
(写真)ヒメヒマワリの葉と花
ヒメヒマワリ(姫向日葵)
・キク科ヘリオプシス(和名キクイモモドキ)属の耐寒性がある多年草。
・学名は、Heliopsis scabra Dunal。別名はヘリオプシス、和名はキクイモモドキ、別名が宿根姫ヒマワリ。
・属名のHeliopsisは、ギリシャ語の太陽を意味する“helios”と花を意味する“anthos”を語源とし、“太陽の花”を意味する。種小名のscabraは、ざらざらしたとかうろこ状を意味する。
・原産地は北アメリカの南部。
・草丈50~100㎝で6~9月の夏咲き。
・3cm程度のイエローオレンジ色の花が咲く。一重と八重があるがこれは八重咲き。
・葉は長楕円形で濃緑色、ザラザラしているのが特色。ザラザラしていない葉の場合は別種のヒマワリモドキ(Heliopsis helianthoides)
・耐寒性・耐暑性とも強く、日光と排水のよい土で育てる。
・わが国へは明治時代の中頃に渡来したようだ。
命名者
宿根姫ヒマワリの学名は、1819年にフランスの植物学者Dunal, Michel Félix (1789-1856)により命名された。
彼は、ヨーロッパ最古の医学部で有名なモンペリエ大学の植物学教授であり、トマト、ジャガイモなどの新大陸アメリカの産物が所属するナス科での著名な研究業績があり、これらの功績を評し、ナス科の一つの属に彼の名前つけた“Dunalia”属が出来た。
(写真)咲いたばかりのヒメヒマワリ
<Contents of the last year>
ヒマワリの歴史
ヨーロッパにはない、アメリカ大陸原産のヒマワリをスペインに持ってきたのは、コロンブス後のスペイン人であり1510年頃といわれている。
育ての親となったのは、スペインの医師・植物学者そしてマドリッド植物園の園長ニコラス・モナルデス(Nicholas Monardez 1493-1588)だった。
モナルデスは、1571年に出版した『新世界の薬草誌』で、タバコは20以上の病気を治し空腹や渇きを軽減するとタバコ擁護論を展開し、タバコの普及に弾みをつけたことで著名だが、マドリードの王立植物園でヒマワリを栽培したのもモナルデスだった。
新大陸原産のダリア、コスモスもこのマドリードの植物園で最初に栽培されたことで知られる。
だが、ヒマワリがスペインから国外に持ち出されるのに100年近くもかかり、17世紀になって、フランス、ロシアに伝わったという。
そしてその200年後には、南仏アルルでゴッホが「ひまわり」を描くことになる。
日本には、江戸時代の元禄期に中国から入り、太陽を追って動くので「日廻り」という名が広まったようだ。
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