モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

その53:西洋と東洋をつなぐ喜望峰。その認識と植物相⑦

2008-08-28 06:37:17 | プラントハンターのパイオニア、マッソン
~マッソンが採取し、キューを魅了した植物。==ソテツ==

マッソンの帰国を迎えたバンクス卿は、
1778年には王立協会の会長となり英国の科学技術の振興を推進する栄誉を手中にした。

マッソンを送り出し成果があったことで会長職に着いたわけではないが、
それほどマッソンの成果は画期的で、根底にある思想は
1760年頃から始まっていた産業革命とシンクロし、英国のグローバリゼーション、
ごく普通に言うと帝国主義化を推進する戦略眼が確信されたとも見れる。

面白いのは、バンクス卿によるプラントハンティングの最初の契機は、
キュー植物園には、めぼしい植物がなくなりもぬけの殻だった。
ということのようだ。

この庭園を管理していた人間を国王が首にしたことが原因で、めぼしい植物がもぬけの殻になった。
国王ジョージⅢ世から相談を受けた時には、

バンクス卿は、既にキャプテン・クックとの太平洋探検航海を実施しており、
わからないことには、ヒトを派遣し、組織的に情報を収集分析することが必要ということを自ら体験していた。

後世ではこれを“Catch the roots”といっているが。
もぬけの殻を単に埋めるのではなく、わからないことを調べるというスタンスをつくりあげたから
英国がライバルよりも強国になったのだろう。

だが実際は、バンクスのカリスマ性で効果がよくわからないことに
無駄かもしれないコストを使うということが出来たようだ。

バンクス卿は1820年に亡くなるが、これ以降は金庫が閉ざされ、
キュー植物園は、ダーウィンが活躍し、世界の種の情報センター化構想がスタートするまで眠りにつくようになる。

■ キュー植物園が誇るマッソンの遺産
エンケファラルトス・アルテンステイニー

(出典)キュー植物園にあるマッソンが持ってきたソテツ





マッソンそしてバンクスの自慢の一品は、鉢に植えて1775年にマッソン自らが英国にもって帰ったソテツだ。
鉢植え植物としては、世界でも最も古いものの一つであり、
225年の時を越えていまでもキュー植物園のソテツの温室にあり来園者を迎えてくれる。

このソテツは、ツンベルクのソテツともよばれているが、
マッソンとツンベルクが、1775年に東ケープ地方の探検をした時に海岸沿いの崖で発見したという。

このソテツが珍重されているのは、植物学上のことがまずあり
2種のソテツ(E. natalensis とE. ferox)が自然に交配したハイブリッドであることと、
ソテツは雌雄異株であるためこの1株だけでは子孫繁栄とはならないが、
自然交配種であるのに、この種と同じ種の株が1株しか発見されていない。
ということで絶滅の危機にある唯一の株を持っているという緊張感がある。

マッソンとツンベルクはラッキーにも唯一に近いソテツに出会ったようだ。

さらに、
マッソン、ツンベルクそしてバンクス卿の世界的な植物フロンティアの夢があり、
“やはり”という驚きと必然とも思いたくなるめぐり合わせに出会った。

ソテツは数年に一度子孫繁栄の準備をする。
マッソンが持ってきたソテツは、これまでにたった一度だけこの準備をし、

 
円錐形の球果といわれるマツカサをつけた。

なんとそれは、1819年でキュー植物園に持って来られてから44年後であり
バンクス卿もこれを見に来たという。

翌年バンクス卿は他界した。
それから190年が経過したが一度としてマツカサをつけることがないという。

【出典】
キュー植物園のソテツ




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