~ケープの植物相とマッソン
ケープ・タウン、いま、昔
マッソンが降り立ったその日の喜望峰を
キャプテンクックの航海日誌ではこう表現している。
1772年10月30日
『午後2時喜望峰を見る。ケープ・タウンのうしろにそびえるテーブル・マウンテンは東南東にあり距離12ないし13リーグ。午前7時テーブル湾に停泊。・・・(略)・・・
我々の到着を総督に知らせるため士官を一人派遣し、彼が帰還した時、要塞に向けて11発の礼砲を撃つと答礼があった。」
(注1)1リーグは3海里で1海里は1852mなので約5.6㎞。12リーグは約66㎞となる。
(注2)船舶での一日は、その日の12時に始まり翌日の12時までをいう。
(写真)海から見た喜望峰by google
ケープタウンから喜望峰までは、目と鼻の先と思いがちだが70kmも離れており、
両者の間には、テーブル・マウンテンと呼ばれる標高1000m程度、長さ3kmで、
頂上がテーブルのように平らな山がある。
アフリカ南部は、500~1000mの平らな高地が続いていて、いきなり海に絶壁の崖として落ちる。
砂岩・石灰質の土壌は、海の中で洗われ削られて平らになり、そして隆起して出来たのがアフリカの大地であり、
地球誕生、いや神がデザインしたとしか思えない創造物=南アフリカがそこにある。
アフリカ西海岸は絶壁が海岸線まで迫っており、港には適していないところが多いが、
喜望峰は、海岸から50~100mの高台状の大地であり、
さらに、ケープタウンの年間平均気温は15度で、乾燥した地中海地域に近い快適なところだ。
マッソンはラッキーだった。
ラッキーその1
ケープ地区は植物の宝庫で、ここにしかない原種が多数ある世界にまれなところだ。
これは、気候条件が異なる植生環境がそろっているからで、
地中海性気候のケープ・タウン、その背後に1000mのテーブルマウンテンには高山植物・温帯の植物があり
ケープ地区の北部大西洋側には本物の砂漠といわれるナミブ砂漠があり、
その途中はカール台地と呼ばれる潅木地帯がある。
これだけ異なる植生環境がそろったところはあまりない。
しかも、南アフリカからアフリカ東岸周辺には、人類の先祖といわれるホモ・サピエンスの生活の痕跡があり、
ケープ・タウンから300kmほど東のインド洋に面する海岸の洞窟(ブロンボス洞窟)からは、
7万5千年前の人類最古のデザインといわれる作品が出土している。
というぐらい、人類史で最も古い生活エリアでもある。
ラッキーその2
キャプテン・クックの第二回の航海では
「マディラ島で乗員が必要なだけのぶどう酒を積んだら、喜望峰に直行し、必要とする補給品を搭載せよ」
という指令を受けており、喜望峰が実質的な最初の寄港地であった。
これもラッキーだが、このぐらいの遠距離航行が出来るほど船の大型化と航海術が向上していた。
そして上陸したところが植物の宝庫と来ているので成果が出ないわけがない。
ラッキーその3
このシリーズの最後のほうで取りあげる予定だが、ツンベルクがケープ植民地にいて、
日本に来るためのオランダ語の学習をここでしていた。
マッソンとの大きな違いは、ツンベルクはリンネの弟子であり学者だったということだ。
リンネの植物体系を強化するための未開拓地での植物収集に力を入れているが、
それが、生きている必要がなかった。標本・植物情報でよかったのだ。
マッソンはイギリスで栽培でき人々が求める植物の生きた実物を求め、
学名に名を残すなどの名誉を求めていなかった。
オランダの植民地でライバルでなかったことが決定的にラッキーだった。
ケープでのマッソンの採取の旅と採取した植物を次回から紹介する。
ケープ・タウン、いま、昔
マッソンが降り立ったその日の喜望峰を
キャプテンクックの航海日誌ではこう表現している。
1772年10月30日
『午後2時喜望峰を見る。ケープ・タウンのうしろにそびえるテーブル・マウンテンは東南東にあり距離12ないし13リーグ。午前7時テーブル湾に停泊。・・・(略)・・・
我々の到着を総督に知らせるため士官を一人派遣し、彼が帰還した時、要塞に向けて11発の礼砲を撃つと答礼があった。」
(注1)1リーグは3海里で1海里は1852mなので約5.6㎞。12リーグは約66㎞となる。
(注2)船舶での一日は、その日の12時に始まり翌日の12時までをいう。
(写真)海から見た喜望峰by google
ケープタウンから喜望峰までは、目と鼻の先と思いがちだが70kmも離れており、
両者の間には、テーブル・マウンテンと呼ばれる標高1000m程度、長さ3kmで、
頂上がテーブルのように平らな山がある。
アフリカ南部は、500~1000mの平らな高地が続いていて、いきなり海に絶壁の崖として落ちる。
砂岩・石灰質の土壌は、海の中で洗われ削られて平らになり、そして隆起して出来たのがアフリカの大地であり、
地球誕生、いや神がデザインしたとしか思えない創造物=南アフリカがそこにある。
アフリカ西海岸は絶壁が海岸線まで迫っており、港には適していないところが多いが、
喜望峰は、海岸から50~100mの高台状の大地であり、
さらに、ケープタウンの年間平均気温は15度で、乾燥した地中海地域に近い快適なところだ。
マッソンはラッキーだった。
ラッキーその1
ケープ地区は植物の宝庫で、ここにしかない原種が多数ある世界にまれなところだ。
これは、気候条件が異なる植生環境がそろっているからで、
地中海性気候のケープ・タウン、その背後に1000mのテーブルマウンテンには高山植物・温帯の植物があり
ケープ地区の北部大西洋側には本物の砂漠といわれるナミブ砂漠があり、
その途中はカール台地と呼ばれる潅木地帯がある。
これだけ異なる植生環境がそろったところはあまりない。
しかも、南アフリカからアフリカ東岸周辺には、人類の先祖といわれるホモ・サピエンスの生活の痕跡があり、
ケープ・タウンから300kmほど東のインド洋に面する海岸の洞窟(ブロンボス洞窟)からは、
7万5千年前の人類最古のデザインといわれる作品が出土している。
というぐらい、人類史で最も古い生活エリアでもある。
ラッキーその2
キャプテン・クックの第二回の航海では
「マディラ島で乗員が必要なだけのぶどう酒を積んだら、喜望峰に直行し、必要とする補給品を搭載せよ」
という指令を受けており、喜望峰が実質的な最初の寄港地であった。
これもラッキーだが、このぐらいの遠距離航行が出来るほど船の大型化と航海術が向上していた。
そして上陸したところが植物の宝庫と来ているので成果が出ないわけがない。
ラッキーその3
このシリーズの最後のほうで取りあげる予定だが、ツンベルクがケープ植民地にいて、
日本に来るためのオランダ語の学習をここでしていた。
マッソンとの大きな違いは、ツンベルクはリンネの弟子であり学者だったということだ。
リンネの植物体系を強化するための未開拓地での植物収集に力を入れているが、
それが、生きている必要がなかった。標本・植物情報でよかったのだ。
マッソンはイギリスで栽培でき人々が求める植物の生きた実物を求め、
学名に名を残すなどの名誉を求めていなかった。
オランダの植民地でライバルでなかったことが決定的にラッキーだった。
ケープでのマッソンの採取の旅と採取した植物を次回から紹介する。
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