モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

その54:西洋と東洋をつなぐ喜望峰。その認識と植物相⑧

2008-08-30 08:39:05 | プラントハンターのパイオニア、マッソン
~マッソンのプラントハンティングの旅==ツンベルクとの出会い==

マッソン(Francis Masson 1741-1805)は、
1772年から1775年までの3年間、および、1786年から1795年の9年間ケープ植民地に滞在し、
南アフリカ全域をカバーするぐらいの探検を行い、1000以上の新しい種をキュー植物園に送った。
キュー植物園では、南アフリカの珍しい植物に興奮し、これらを展示するための展示室をつくった。

マッソン最初の探検は上陸後直ぐであり、季節的には春から夏へという最もいい時期で、
内陸部のステレンボッシュ地域(the Stellenbosch area)とホッテントット・オランダ山脈(the Hottentot Holland Mountains)に約2ヶ月の探検に出かけた。

もうこの探検で、ケープ地域の植生すばらしさと植物の宝庫を体感したことだろう。

ゴードン、ツンベルクとの出会い
ケープ植民地に戻ると、マッソンは意外な人物ツンベルクと出会い探検をすることになる。
マッソンとツンベルクをつないだのは、東インド会社のゴードン大佐のようだ。

ゴードン大佐(Robert Jacob Gordon 1743-1795)は、スコットランド系のオランダ人で、
南アフリカの探検家であり、オレンジ川の命名者としても知られる。
また1780~1795年は、東インド会社のケープ要塞守備隊の大佐として戻ってきた。
ゴードンは、1772~1773年にケープ植民地に来ており、ここで、マッソン、ツンベルクと出会う。

ツンベルク(Carl Peter Thunberg, 1743-1828)は、
東インド会社の船医としてケープ植民地に1772年4月に到着し、日本に行くためのオランダ語の研修を実施していたが、
ケープの東インド会社は、植物探検のための費用を出さなかったようで困窮していた。

これを救ったのがゴードンで、ツンベルクをマッソンに紹介し、マッソンはツンベルクのスポンサーとなる。
ここからが推測なのだが、プラントハンティングの費用はマッソンが持ち、
生きた植物をキュー植物園に送ってもよいが、学名などの新発見の名誉はツンベルクがもらう。
こんな契約をしたようだ。
さらに、ツンベルクはオランダの東インド会社に植物を送ることも了承させたようだ。

こう推測すると、コレクターとしても命名者としても学名への関与が低いマッソンの事実が納得できるようになる。

ちなみに、マッソンの年俸は100ポンド、活動費は200ポンドという契約のようで、
マッソンのような階級にとっては魅力的な給与のようで、さらに困窮していたツンベルクにおいても同じだろう。
活動費200ポンドは十分にツンベルクのスポンサーとなれる。

さらに余分な当時の状況だが、死亡率が高い船乗りを集めることは大変みたいで、
酔っ払って寝ていた人間をも誘拐するなどの手を使ってでもかき集めていたそうだ。
船の操縦にかかわる上級船員である士官と海兵隊員は誘拐はしない・・・・

プラントハンティングの旅
マッソンは、ゴードン、ツンベルクと3人でケープ植民地とファルス湾(False Bay)の間の山を徒歩で小旅行の探索をした。
ここで先ほどの契約が成立したのだろう。

1773年の9月にマッソンとツンベルクは4ヶ月に及ぶ長期の探検旅行をする。

マッソンは寡黙でかつ記録に残すことが多くないが、この探検日記が残っている。
ツンベルクは記録することが職業の基本である学者であり克明に日誌に残しているが、
西部劇に出てくる荒々しい山で道に迷い野宿する場面を想像して欲しい

ツンベルクは世も終わりと悲観しているが、マッソンは楽しい思い出というトーンで記述しており、
科学のために努力している英才と、趣味で稼いでいる実務家との違いが鮮明になっている。

ツンベルクは母校ウプサラ大学でリンネの跡を継ぎ教授・学長となり銅像が残った。
マッソンはカナダの荒野で凍死する。
死の瞬間の走馬灯は如何だったのだろうか?

最後のシーンはこの通りだが、二人の出会いの最初に答えが出ているようだ。
マッソンは薄れて行く感覚で、楽しかった~と思っていたのではないだろうか!!

マッソン、ツンベルクのプラントハンティングは、実り多かった。
その成果を取りまとめるのは次回とする。


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