モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ダークパープルが渋い。サルビア・スプレンデンス(Salvia splendens)の花

2008-06-23 07:21:34 | セージ&サルビア
何故か国体などの大きなスポーツ大会になると
真っ赤な花がパレードコースの脇などに植えられている。

この真っ赤な花は、サルビアであることが多かった。
この頃は、この真っ赤な花が嫌いだった。(いまでも嫌いだが・・・)

きれいに整備された競技場に、とってつけたように真っ赤なカーペットを作り、
そして、大会が終わると取り払われる。
主催者の安直な構想での花の選択が嫌いだったのだろう。

だがついに、手を出してしまった。

結構 気にいってしまった。

だが、緋色のサルビアではなく、ダークパープルの花だから。

(写真)S.スプレンデンスの花


もう直ぐ咲き終わるので、葉を1枚残す感じで切り戻しておくと
その下から新しい芽が出て秋にはまたこの花に会えるという。

置き場所は、ブラジルといえども標高が高い高地に自生しているので
高温多湿を避け涼しい半日陰が良さそうだ。

冬でも10度以上を保てれば多年草の性質を引き出せるかどうか試してみよう。

S.スプレンデンス発見者の話
サルビア・スプレンデンスは、
ドイツ生まれの植物学者セロウ(Friedrich Sellow 1789-1831)によって
ブラジルで発見された。

セロウはポツダムの王立庭園の庭師の子供として生まれ、
庭師の勉強を積み、ベルリン植物園で働きながら勉強をし、
1810年にはパリで当時に最高の植物学者であるラマルク(Jean-Baptiste Lamarck)
キュヴィエ(Georges Cuvier)から教えを受け
科学的な植物学に接した。

1811年には、フンボルト(Alexander von Humboldt 1769-1859)の支援を得
オランダとイギリスで勉強をしたが、ナポレオン戦争が始まりドイツに戻れなくなり
縁あって、1814年にはリオデジャネイロに行った。


そこでセロウは、ブラジルを中心に植物探索を行い900以上の新種を発見しており、
ブラジルの植物研究への貢献は素晴らしいものがある。

セロウが採取した植物は、スポンサーがいるロンドンにも送られており、
そのうちの一つがS.スプレンデンスだった。
この花は、当時“Lee's Scarlet Sage”と呼ばれ、
イギリス、ドイツでの夏の園芸商品として人気を博したようだ。

1831年彼は42歳の若さで亡くなった。なんと川で溺れ死んだようだ。

ポツダムの庭師の子供が、当時のヨーロッパ最高の植物学者たちの知遇をえて
これを吸収し、植物学的な真空地帯であったブラジルで花開き
駆け足で一生を走り抜けていった。

その1輪が緋色をしたセージスカーレットセージ(Scarlet sage)を残して。

すでにその機会を失した私は、緋色をしたセージを嫌い
ダークパープルなセージを楽しむことにした。

(写真)S.スプレンデンスの立ち姿


サルビア・スプレンデンス(Salvia splendens)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がない多年草だが、越冬が難しいため1年草として扱う。
・学名は、Salvia splendens Sellow ex Roem. & Schult。英名はscarlet sage。別名bonfire salvia(大きなかがり火のようなサルビア)。和名はヒゴロモソウ(緋衣草)
S.コクシネアもスカーレットセージと呼ばれるが、こちらが本筋。
・原産地はブラジル。
・草丈30cm程度。
・開花期は6~10月で花と顎のツートンのダークパープルが美しい。花が散っても顎だけでも様になる。
・花が咲き終わったら切り戻しておくと秋に2番目の花が咲く。


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