街道を行け!

街道を行く日記

70年も山を登れば!(10)

2024-11-16 09:45:08 | 旅行

 

  薄雪草さん(仮名)pertⅡ

 茅野のビジネスホテルで朝食をしっかり食べて、待ち合わせ場所の「道の駅蔦の木」へ行く。薄雪草さんは福井敦賀の自宅を昨夜出て、軽四車中泊で来たと話した。車二台で釜無川ゲートに向かい、ゲート手前に駐車した。薄雪草さんの荷物をマウンテンバイクに固定し、自分の荷物は背負う。午後一時、私は自転車を押し、薄雪草さんはほぼ空身の徒歩で出発。林道3時間半で前日張ったテントに到着。一泊なので荷は結構ある。水を汲み、焚火を起こし食事の準備に入る。薪を探す際、動物の骨を見つけたが薄雪草さんには話さなかった。夕食を終え、薄雪草さん『これが私の元気の源』と、小さな丸薬を飲んだ。一粒3000円で、薬草を煮詰めたものだと話してくれた。火が朝まで持つようにして就寝。私は火の傍で「ワイルドターキー」を舐める。『これが私の元気の源』。朝5時行動開始。前日、試登してあるので何の問題もなく登れた。80歳の薄雪草さんはスピードこそないが、しっかり登れる。岩稜もロープを掴みしっかり上下できた。テント場着午後一時。テントを回収する。全荷物を持って、私は自転車で車まで下り。荷物を降ろして、空身の自転車で薄雪草さんを迎えに戻る。5㎞程戻ると、何と薄雪草さんは工事用車両に同乗していた。『このままゲートまで乗せていって貰う』と言う。『もう歩けないって言って乗せてもらっての。』。賢い。こうして、80歳にして300名山完登を目指す薄雪草さんとの初ガイド山行は無事終わった。


70年も山を登れば!(9)

2024-11-16 05:51:44 | 旅行

  

 薄雪草さん!(仮名)

 80歳で300名山達成!

 『私、ウスユキ草が好き。』。私が薄雪草さんのガイドを始めて引き受けた時、彼女はこう言った。薄雪草は、日本の中級山岳にさくエーデルワイスに似た花である。薄雪草さんは「梅干しおばあちゃん」だった。少し薄雪草に似ていた。

80歳で300名山完登を目指す人だった。

 鋸岳(2685m)

 最初に薄雪草さんを紹介してくれたのは、谷川岳ヨモギ峠の小屋番「高波じい」だ。爺は言った。『倅が鋸岳のガイドを引き受けたんだけれど都合が付かないんだ。土屋さん行ってくれるかい。』、『ようがす。』と引き受けた。薄雪草さんにTELし日程他を決め、MAILで装備、心構えを含める契約書を送り、ガイド契約を結んだ。ガイド前日に、下見を決行した。暴れ川富士川の源流、釜無川のゲートにD-5を止めマウンテンバイクを降ろし装備を積む。ゲートから工事用道路を11km遡る。時としてバイクを押し、二時間半で小屋に着く。小屋のテラスに、明日来る「薄雪草さん」用のテントを張る。鋸岳釜無川ルートの試登に入る。小屋からルートは①細流沿いに横岳峠まで上る。②右から来る尾根に上がり90度左折。③約2時間進み左から来る尾根に上がり、右に90度右折。④稜線上を南に進む。⑤三角点ピークに達する。⑥ここから鋸岳山頂まで30分たらずだが、ロープ、ハーネスが必要なる。

 鋸岳は南アルプスに属するが主稜線から外れているので、アプローチが長く、登山道や小屋等も整っていないので、登山本来の難しさがあり楽しめる。100名山と200名山、300名山の価値や難しさはここにあると言える。

 ルートの③地点は、下山する際左折せずに直進する「道迷いが」多発する。道迷いが多いため、明瞭な直進踏み跡が付いている。私も試登時直進し、少し先の少ピークに乗り上げた。『うん!』とパニックになりかけたが、霧が晴れた際に灌木に這い上がり見回すと、左方向に下るべく尾根が見えて戻ることが出来た。小屋でマウンテンバイクを拾いゲートへ。D-5駆って茅野のビジネスホテルに泊まる。翌日初めて道の駅で薄雪草さんに会った。(薄雪草さんpertⅡ)へ続く。