街道を行け!

街道を行く日記

70年も山を登れば!(31)オールドエベレスト街道踏査

2024-11-25 07:33:19 | 旅行

 私は、今から約45年前の高校時代N高校の生徒寮に寄宿していた。私を含む一年生三人に、先輩から命令が下った。『豚の毛を三本抜いてこい!』。豚舎の床は排泄物で滑る。豚さんの動きは、予想より遥かに素早い。時には、反撃してくる。『豚の毛を、人間が抜くのは不可能!』と、私は学んだ。今回の私の「オールドエベレスト街道踏査」は、この時以来の動物の素晴らしさに接する機会でもあった。ネパールではロバ、馬、山羊、羊、猫、犬、鶏、ゾッキョ、水牛等が人と共に暮らしていた。人と動物が融和していた。

 いよいよルクラ着

 今日はいよいよルクラに着く。前日の払いは(宿へ520円、昼食170円計690円)、正に「エコノミックツアー」実践版ではないか。朝7時出発。今日の行程は①両側が鋭く切れ落ちる尾根の天辺をほぼ水平に1~2時間進む。②進んだ後、九十九折にルクラの下の位置するサーク村へ向けて高低差500mを下る。幹線道なので、やはり行きかう人の数は多い。天気はすっきりせず、気温も低い。自分でコーヒーを入れる気にならず、九十九折り手前で茶店に入るが、これが『ネパール史上最悪の茶店』であった。腹が立つので詳細は記さないが、『こんなあからさまに悪い奴がネパールにいるのか!』と思った。

 両端切れ落ちの尾根から派生する尾根を回り込むと、下に「ルクラ」の村と飛行場がが見えた。今日も風が強く、飛行機は飛んでいない。風に強いヘリだけがカトマンズ~ルクラを航行している。下り2時間で、「サーク」村に着いた。村の入り口の橋の手前に、「COFFEE SHOP」の看板があり、入る。店主夫婦と客が一人いた。客はルクラのガイドである。彼から以下の情報を聞き出した。『ルクラから先はヒマラヤントラストの規定で①宿泊は朝食付きで一泊3000円、②ダルバートは500円、③ポーターは一人一日3000円+チップ④ヘリは5人乗りチャーターで一機約45万円、⑤この先チヤウチカルカにだけ安宿がある。⑥シーズンオフで日本人ゲストは少ない。』以上の情報を入手した。コーヒー代60円を払い外に出て、ルクラは迂回して、一時間先のチヤウチカルカに向かい宿泊した。


70年も山を登れば!(30)オールドエベレスト街道踏査

2024-11-25 05:32:18 | 旅行

 この写真を見てください。穢れ・汚れた私の目から、一筋の「感涙」が流れています。私は今、感激・関心しています。

 エベレストを超えるもの

 私の目の前に「剣劇少年」、「竹籠の赤ちゃん」、「20代のお母さん」の三人がいる。三人の住環境・自然環境は、決して恵まれているとは言えない。家の前にはエベレストがみえる。エベレスト登頂者の偉業と、ここで暮らす三人の偉業を比べて見た。わたしは『三人の偉業は、エベレスト登頂者の偉業を超える!』と思う。私は、三人の過酷な生活に思いを馳せ、一筋の感涙を流したのだ。ここで休んでから1~2時間、相変わらず人通りの多い道を進むと、峠手前で道が凍って来た。凍った道は、山腹を大きく巻いて行く。巻き道のドン詰まりに、吊り橋が懸かっている。吊り橋を渡ると、木造の昔風のロッジが建っていた。もう4時なのでここに泊まることにした。宿泊代は100円。現地の職人宿である。木挽人、乾燥肉の行商人、ポーター、ロバ隊差配人が宿っていた。夕食前後、かれらは「可愛い小博打」に興じた。宿はお目付け役のお婆さん、一切を切り盛りするお母さんと、英語を話し通訳を兼ねる10才位の女の子、三人でやっていた。私は、そんな彼ら・彼女等をロキシーを飲みながら暖かい気分で見ていた。夜空には、目を疑う程沢山の星が出ていた。