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『クリスマス・カロル』
ディケンズ(英:1812-1870)
村岡花子 訳
"A Christmas Carol" by Charles John Huffam Dickens (1843)
1952年・新潮文庫
++++
「あなたも苦しいでしょう――
私たちの今までのことを思い返せば、あなただって苦しいはずだと、せめては考えたくなります――。
ほんのちょっとの間で、私のことはあなたのおもいでの中から消えて行くことでしょう。
役にも立たない夢として、そんな夢からは醒めて幸せだったとお思いになるでしょう。
あなたの選んだ生活がどうぞおしあわせであるようにと、お祈りします!」
娘は男から離れて行った。
これで二人は別れ果てたのだ。
++++
この季節、
ク~リスマス・キャロルが~♪
という、あの鬱陶しい歌が耳について離れないが。
何年か前に『クリスマス・カロル』 を読もうと思った・・・
のだが、勿論、真夏の満員電車で読む気にもならず。
肝心の師走は飲み会やらで忙しく、ほったらかしになっていた。
しかし、カーテン事件によるハートブレイクで一人大掃除大会が【大中止】になり、そのチャンスが訪れたのだった。
160年前でも、人に愛されないと冬の寒さが耐え難いのは今と一緒で、これはまあ、予想できた事だ。
だが、加えて、団結と孤独を際立たせて、一人一人に噛み締めさせるという、クリスマス・イベントの特性まで、19世紀ロンドンのそれと現代日本で寸分の狂いなく一致してるんです、先生。
突然現れた幽霊に、主人公スクルージは過去やら未来やら、いろいろと連れまわされる。
しかし、とりわけ堪えたのは、若い頃に別れた女が、現在の夫と幸せな家庭を築いていて、
二人で、『意地悪で、嫌われ者で、一人ぼっちな自分』 の噂話をしている姿を見せられた時じゃなかろうか。
これは、まあまあキツいんでは。
些細なことですぐ心がポッキリンコしてしまう現代人であれば、果たしてこんな罰に耐えられるだろうか。
一方、悪徳スクルージ以外の登場人物は、極端に貧乏で、みんなソックスに穴が空いている。
あの貧しい人々の描写を読んでいくと、清貧という言葉を思い出すが、勿論、新中野の居酒屋 『清貧』 のことではない。
(あそこはなんと、食材や調味料を借りて自分たちで調理するという店なのだ!)
まあ、本書の読後感としては、自分を取り囲む家族、愛人、知人に感謝して暮らそう!
という、ディケンズが死ぬほど昔に書いた時に狙ったままの感想を覚えるね。
と、同時に、
「でもまあ、やはり小銭くらいは余分に持っておいたほうが良かろう」
という、ディケンズが訴えてないことも思うでしょうね、現代の子供たちなら。
不思議ね。人間の本質は今も昔もお国の違いがあっても変わらないってこと?かな。
私はこの時季のうっとおしい歌も、浮かれた人々の言動・行動もそれなりに好きなのよねー。なんか、見てるほうも楽しくなる(気がする)
からー。
でも自分は季節によって浮かれたりしたくないんだな(浮かれているとは思うけど)。
季節じゃなくて大切な人のそばにいて一生、浮かれてたいわー、と思えた今年のクリスマスだったとさ!