シリーズ 被災地の復旧、復興に一つになろう、日本! (その3)
2、福島原発被災事故への対応と今後の電力政策
福島原発被災事故は、東日本大震災による被災対策を非常に複雑且つ危機的なものにすると共に、首都圏の経済社会活動に大きな影響を与え、それへの対応が長期化する様相を呈している。同時に、今後原子力政策や電力供給政策の再検討を余儀なくされている。
基本的に「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが十分でなかったことが明らかになったと共に、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったように思われる。これまで検出されている放射能レベルから原子炉内の核燃料や冷却されている使用済み核燃料が融解、損傷し始めていることは明らかであり、強い放射能の漏出のため冷却装置の復旧作業を一層困難にしている。その安定化には相当の長期を要するものと予想される。
この状況は、核融解の瀬戸際という国家危機とも言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超える段階に来ていると言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な核安全基準の暫定評価を最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。この評価についても、86年のチェルノブイリ原発事故と比較して放射能レベルは低い、或いは公表が遅すぎた、今後更に何が起こるのかなど、様々な意見が出されている。
放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があろう。
3月11日に発電施設が地震と津波で被害を受け、原子炉等の冷却装置が作動しなくなって以来、東電の職員、関係者や消防、自衛隊等が昼夜に亘り事態に対処しているが、放射能の危険の中で免震重要棟において寝泊りし最悪の事態を回避するため原子炉の安定化に努力している姿は、日本人の責任感の強さと士気の高さとして多くの国でも賞賛されている。後手に回っている、情報伝達が遅いなど各方面からの批判はあるが、過酷な状況で健康を掛けて沈静化作業に当たっている現場の作業員を激励し、支援することも重要なのであろう。少なくても寝具、食料や放射線防護用品などを十分に供給すると共に、放射線量なども勘案してローテンションを組み、休憩組みは少し離れた適当な宿舎で休ませるなど、作業員の健康保持に留意することが強く望まれる。
今後原子力政策は再検討を余儀なくされ、また原子力発電所建設に関する途上国援助についても安全性の向上や危機時の対応の必要性を含め慎重に再検討する必要があろう。そして今後の電力供給については、電力消費の節減を図る一方、原子力発電の安全性向上のための更なる研究はもとよりのことであるが、基本的に原子力に依存しない体制を築いて行くことが望まれる。例えば高層ビルや工場については、屋上や屋根に太陽光パネルを敷設し、或いは太陽光フイルムを窓ガラスに張るなどして太陽発電をもっと組織的に利用するなど、技術力を発揮すべきであろう。また水力発電についても今一度国レベルだけではなく、地域レベルでも再検討して良いのであろう。若干コスト高になるが、地域、コミュニテイ・レベルでの中規模水力発電なども検討の価値があろう。また東日本と西日本とで電気の周波数を統一するか互換性を持たせることが急務だ。
危機時にはシナリオはない。どのような危機も、想定外の災害や事故が重なり危機的な状況となって行くので、どうしても芋ずる式対応になりがちだ。それを事象が分ってから批判することは簡単であるが、大切なことは現場の者を鼓舞し、対応の仕方を示して挙げることであろう。現場の者は全て各々真剣に事態に対応しており、事態の収束を最も強く願っているのも現場の者である。
しかし行政組織を一つにまとめるためのリーダーシップが必要だ。リーダーシップとは、判断の上決断し、その結果に責任を取るということであろう。行政執行の専門集団である行政各部は、責任を共有する組織であるので、どうしても責任が分散されることは避けられない。また従来築かれた制度、ルールに従って行動している以上、どうしてもそれを擁護する意識が働くことは自然な流れであろう。それだけに大きな政策判断や危機時などには政治的リーダーシップの下での決断が重要になって来るのであろう。
各種の批判等があるが、旧来の政治・行政では想定していなかった大震災に遭遇しているので仕方がないのであろう。東電福島原発自体が被災者でもある。大災害への備えが十分でなかったとの批判があり、これらの制度を築いて来た人達を含め誰も予想し得なかったとしても、結果論としては批判は避けられないのであろう。過去の安全・保安体制に不備があったことは明らかであり、再検討を余儀なくされよう。しかしそれは当面の危機を回避し、6基の原子炉が安定状態となったからでも遅くはない。
当面の国民や世界の関心は、危機の回避、原子炉の安定化、放射能の封じ込めである。小異を越えて政府、与野党が一つになりこの国家危機を回避して欲しいものだ。(2011.04.) (All Rights Reserved.)(不許無断引用)
2、福島原発被災事故への対応と今後の電力政策
福島原発被災事故は、東日本大震災による被災対策を非常に複雑且つ危機的なものにすると共に、首都圏の経済社会活動に大きな影響を与え、それへの対応が長期化する様相を呈している。同時に、今後原子力政策や電力供給政策の再検討を余儀なくされている。
基本的に「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが十分でなかったことが明らかになったと共に、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったように思われる。これまで検出されている放射能レベルから原子炉内の核燃料や冷却されている使用済み核燃料が融解、損傷し始めていることは明らかであり、強い放射能の漏出のため冷却装置の復旧作業を一層困難にしている。その安定化には相当の長期を要するものと予想される。
この状況は、核融解の瀬戸際という国家危機とも言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超える段階に来ていると言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な核安全基準の暫定評価を最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。この評価についても、86年のチェルノブイリ原発事故と比較して放射能レベルは低い、或いは公表が遅すぎた、今後更に何が起こるのかなど、様々な意見が出されている。
放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があろう。
3月11日に発電施設が地震と津波で被害を受け、原子炉等の冷却装置が作動しなくなって以来、東電の職員、関係者や消防、自衛隊等が昼夜に亘り事態に対処しているが、放射能の危険の中で免震重要棟において寝泊りし最悪の事態を回避するため原子炉の安定化に努力している姿は、日本人の責任感の強さと士気の高さとして多くの国でも賞賛されている。後手に回っている、情報伝達が遅いなど各方面からの批判はあるが、過酷な状況で健康を掛けて沈静化作業に当たっている現場の作業員を激励し、支援することも重要なのであろう。少なくても寝具、食料や放射線防護用品などを十分に供給すると共に、放射線量なども勘案してローテンションを組み、休憩組みは少し離れた適当な宿舎で休ませるなど、作業員の健康保持に留意することが強く望まれる。
今後原子力政策は再検討を余儀なくされ、また原子力発電所建設に関する途上国援助についても安全性の向上や危機時の対応の必要性を含め慎重に再検討する必要があろう。そして今後の電力供給については、電力消費の節減を図る一方、原子力発電の安全性向上のための更なる研究はもとよりのことであるが、基本的に原子力に依存しない体制を築いて行くことが望まれる。例えば高層ビルや工場については、屋上や屋根に太陽光パネルを敷設し、或いは太陽光フイルムを窓ガラスに張るなどして太陽発電をもっと組織的に利用するなど、技術力を発揮すべきであろう。また水力発電についても今一度国レベルだけではなく、地域レベルでも再検討して良いのであろう。若干コスト高になるが、地域、コミュニテイ・レベルでの中規模水力発電なども検討の価値があろう。また東日本と西日本とで電気の周波数を統一するか互換性を持たせることが急務だ。
危機時にはシナリオはない。どのような危機も、想定外の災害や事故が重なり危機的な状況となって行くので、どうしても芋ずる式対応になりがちだ。それを事象が分ってから批判することは簡単であるが、大切なことは現場の者を鼓舞し、対応の仕方を示して挙げることであろう。現場の者は全て各々真剣に事態に対応しており、事態の収束を最も強く願っているのも現場の者である。
しかし行政組織を一つにまとめるためのリーダーシップが必要だ。リーダーシップとは、判断の上決断し、その結果に責任を取るということであろう。行政執行の専門集団である行政各部は、責任を共有する組織であるので、どうしても責任が分散されることは避けられない。また従来築かれた制度、ルールに従って行動している以上、どうしてもそれを擁護する意識が働くことは自然な流れであろう。それだけに大きな政策判断や危機時などには政治的リーダーシップの下での決断が重要になって来るのであろう。
各種の批判等があるが、旧来の政治・行政では想定していなかった大震災に遭遇しているので仕方がないのであろう。東電福島原発自体が被災者でもある。大災害への備えが十分でなかったとの批判があり、これらの制度を築いて来た人達を含め誰も予想し得なかったとしても、結果論としては批判は避けられないのであろう。過去の安全・保安体制に不備があったことは明らかであり、再検討を余儀なくされよう。しかしそれは当面の危機を回避し、6基の原子炉が安定状態となったからでも遅くはない。
当面の国民や世界の関心は、危機の回避、原子炉の安定化、放射能の封じ込めである。小異を越えて政府、与野党が一つになりこの国家危機を回避して欲しいものだ。(2011.04.) (All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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