深夜に目が覚めた時のことだ。
普段なら、考え事をグルグルしだすところ。
「呼吸の祈りをして、寝よう。」
闇は、まだ深い。
祈りを呼吸でする。
……けれども、なかなか寝付けず、浅い覚醒状態が続いた。
そんな時だ。
おもむろに。
じんわりと、意識が移り変わる。
祈りの領域が、〈呼吸〉から〈存在〉に、移りゆく。
花がらが落ちて、小さな実が顔を出すように、ささやかな新世界。
もはや、祈りは、呼吸ではなかった。
祈りは、この存在。
存在が、祈りなのだ。
―――
以前、「ここに居るだけでいい」ということを理解しようと、励んでいた。
たとえば
「愛されるための何かをしなくても、すでに愛されている」
「一生懸命にしていなくても、ここに居ていい」
「ただ居ることが、何にも代えがたく尊い」
こういう、自分の〈大切さ〉を、理解したかった。
けれども、根底には「何かをしていなければ、何かができなければ、わたしには居場所も価値もない」という呪いがあった。
だから、矛盾や葛藤で雁字搦めになってしまった。
ときには、反動のように、傲慢になり、ワガママになった。
こんなわたしにとって、自分の〈大切さ〉みたいなものは、雲のようで。
そこにあるはずなのに、つかみどころがないのだった。
ーー
先述した、深夜の祈り。
そこで感じたものは、まさに「ここに居るだけでいい」という感覚だ。
けれども、言葉にしようとすると、どうにも「雲のようなもの」なのだった。
文章にできる自信が、まるでなく。
『頭で理解する』こととは、まったく別次元の感覚で。
矛盾や葛藤、埋まらない溝、ズレなど、微塵もない。
けれども、『言葉』もない。
わたしは、ここに居る。
ただ『事実』だけが、身体にある。
……存在は、祈りなのだ。
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追記
あの感覚を忘れたくなくて、言葉にしたのだが。
感覚が、思考になり、思い込みへと変化した。
そうすると、『この存在が祈りである』という思い込みにより、動作や行為としての祈りが疎かになる。
「だって、この存在が祈りだもん」
どこか開き直ったような感覚へと、変化してしまう。
ゆえに、いまいちど、丁寧な所作を取り戻すことが必要になった。
感覚を言葉にするというのは、思うより難しいのだなぁ。