シャーマンの呼吸

自然と人を繋ぐ

シャーマンの弟子

【遊ぶ・楽しむ・クリエイティブ】

2024-02-11 00:00:00 | 創作術

 

まずネガティブなことを考えてしまう。

ときに重箱の隅をつつくように、わざわざネガティブな部分をクローズアップさせてしまう。

そうして、結局なにもすることができない。

 

楽しむ余裕がないなんて、悲劇だよな。

 

こないだ、『自傷思考』というテーマの文章を書いた。

それ以来、自分の在り方が変わってきた。

 

 

 

 

甘いものを食べる。

甘いものを食べに出かけてみる。

 

こうしたことを、今まで全くしたことがなかったワケじゃない。

でも、質が、なんというか、すごくシリアスだった。

 

理屈を持ち出して言い訳をしなければ、ただ遊ぶことさえできず。

何か正当な理由をつけなければ、ただくつろぐことさえできず。

計算して合理的としなければ、ただ美味しいものを食べることさえできず。

 

そういうときのわたしは、罪悪感が服を着て歩いてるようなものだった。

 

『何もしないでいること』と同じくらい、『遊び楽しむこと』ができなかった。

そんな自分に、気づくことさえ、なかったなんて、悲劇だよな。

 

 

 

 

 

少しだけ掘り下げる。

 

例えば、食事中。

隙を作ることが、できない。

常に神経を張り巡らせる癖が抜けない。

他人の気を損ねないように、と。

そういう『他人の視線』が内在化していて、『自分を監視する自分の視線』ができてしまっていた。

だから、ひとりでいるときでさえ、常に気を張ることになってしまったんだ。

 

悲劇だよな。

 

それならば、意図的に、隙を作ればいい。

隙をなくしているのは、自分なのだから。

自分で、隙を作れるはずなのだ。

それは、「余白」や「遊び(カラの部分・余裕を含ませる)」に繋がる。

 

 

 

 

 

悲劇だったよな。

 

ちいさな気づきの積み重ねによって、大きな変化を感じるこの頃だ。

朝起きただけでいちいちシリアスになってる自分、隙あらば勝手に悪い想像をしている自分、……それら「自動思考」を「自傷思考」と名付けた甲斐あってか、「あ、自傷思考だ」と気づくのが速くなった。ポイっと捨てることもできるようになった。

 

悲劇の舞台から、降りることができる。

 

 

 

 

やってみたいことを、やってみる。

 

人の評価を気にする前に、純粋な好奇心で探求の領域へ。

 

 

 

 



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