全英連参加者のブログ

全英連参加者の、言葉やその他諸々についての雑感... 不定期更新です。

「所見」について思うこと。

2007-03-27 15:42:28 | 教師の仕事 2006

 所見の記入。昨日、今年の担任クラス生徒全員の調査書をプリントアウトして、所見欄を読み直した。総合所見も5年間保存。やはり改めて読み直すと、僕がそれぞれの生徒をどのように見て(観て)いたかわかる。

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 現在は学校教育そのものが疑われ、信用を失っている時代。もちろん疑われたり、糾弾されても仕方ないことがあることは認める。それに僕たち(特に公務員組織)は気を配る必要があることも認める。でも、最近の世の中は学校に対してヒステリーでクレイジーだと思うことが多い。調査書や指導要録を書くと、いつもこんなことを感じる。ある生徒が自分について何が書かれているか知りたい場合、調査書や指導要録も開示請求ができる。いまはそんな時代である。教師もそれが前提で作成することが当たり前になっている。開示を前提にしなかった時代と、現在でもっとも状況が異なったのが、「総合所見(人物考査)」の書き方だろう。

 所見・考査・評価。どんな呼び方をしても、最後は書く側の主観である。担任教師が各生徒をどのように見たかを表すもの以上にはなり得ない。仮に開示になった場合、保護者・本人の納得を得なければ、存在が否定されるとまでは言わないが、なかなか自由に書けない雰囲気ではある。

 開示が前提でなかったころは、よく言えば本音が出ていたと思う。欠席理由、日常の生活態度、、、ありのままに記入した記憶がある。現在は通り一辺倒の書き方になっている。それがいいか悪いかは難しい問題だ。高校時代のことなんて、どうでもいいと言えばどうでもいい。当てになるもではないのも事実だとも思う。

 でも何か社会の学校への不信。。。いやだなあ。

 お世話になった先輩の先生が、ここ数年定年を前にずいぶん退職をしている。もう疲れた、いやになった。精一杯まじめに仕事をし続けてきたことに何の評価もなく、いつでも悪者扱い。我慢ならん。クタクタになっている状況だ。僕もその気持ちがわかるような気がする。
 …話がそれてきた。

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 僕が最初に担任をした生徒たちは昭和59年(1984年)に高校入学だった。昭和62年(1987年)3月に高校を卒業しているから、昭和62年度(1987年度)から平成18年度(2006年度)まで指導要録は保存されていることになる。この世代は適用法規が旧法なので保存年限が20年なのだ。あの学校では、僕が初めて記入した指導要録が4月になると処分が始まることになる。

 「所見」、確か原稿とってあったような気がする。処分しなくっちゃ。

 今日の午後は、約半分の生徒の所見欄を書き上げた。無理をすれば終わらせることができたけど、間違いが増えそうなのでやめた。また明日もがんばろうと思う。

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