成田市成田にある「成田山新勝寺」。真言宗智山派の仏教寺院で同派の大本山の一つ。 関東三大不動の一つとされる『不動明王』を本尊とし、不動明王信仰の一大中心地として栄えてきました。
「成田不動」「お不動さま」などといった通称で、民衆にも広く親しまれてきた「成田山新勝寺」。約20万㎡の境内には、多くのお堂が建立されており、そのどれもが素晴らしい佇まい。 それでは参道から順を追って「成田山新勝寺」へ。
まずは参道入り口の新勝寺飛び地に建つ「薬師堂」。明暦元年(1655)に旧本堂として建立されたものです。 延宝2年(1674)には『徳川光圀』が、また、元禄元年(1688)には『初代:團十郎』も参詣したと言います。 成田山に現存する建造物では最古のお堂でしたが新しい本堂の建造に当たり、安政2年(1855)に表参道の現在地へ移築。 昭和44年(1969)に成田市指定文化財に指定。2013年の開基1080年祭記念事業の際に修復されました。
石段参道の入り口より守護をされるのは、寛政10年(1798)5月建立の、まさに「こま犬」さん!!
これまでにも沢山の狛犬さんを見てきたし、こういう犬らしい狛犬さんも初めてではありません。 それでもその可愛らしい顔立ちを見ていると「もしやモデルは愛犬では?」とか、彫士のその時々の心情が見えてくる気がします。
きれいな前垂れはどなたが奉納したのでしょうか?結び目に付けられた大きな鈴が何とも印象的。 2014年の参拝の際には見かけなかった狛犬さんですが・・どこに隠れていたんでしょうね😊
「薬師堂」の斜め向かい、参道を隔てた一角に建立されているのは『三橋鷹女(たかじょ)』像。 成田山新勝寺の重役『三橋重郎兵衛』の末子として、明治32年(1899)に生まれた『鷹女』。 昭和期に活躍した女性俳人の『中村汀女(ていじょ)・星野立子・橋本多佳子』とともに、四Tと呼ばれたそうです。 傍らの説明には彼女の遺作となった句【千の蟲 鳴く一匹の 狂ひ鳴き】が記されています。
参道沿いに並ぶ建物は、門前町として栄えた往時を忍ばせる佇まい。 九時前という時間の所為か人通りはそれほど多くありませんが、それが逆に風情を感じさせます。
参道を抜けたとたんに目に入る観光バス、そこから出てきたけたたましい集団と鉢合わせ。最近特に有名な観光地ではこうした場面に頻繁に遭遇します。 2007年に開基1070年祭の記念事業として竣工された総欅造りの「総門」は、ここに行ってきたんだよと自慢できる格好の撮影スポットらしく、次から次へと引っ切り無し。けたたましい大声で連れを呼ぶ人、無遠慮に建物に寄りかかってポーズを決める人。ああ・・・言葉はわからないが、う・る・さ・い!!
五間三戸・十二脚の楼門の建築を請け負ったのは、世界最古の会社「金剛組」の宮大工。 金剛組は「四天王寺」のお抱え宮大工であった『金剛重光』が578年に創業、まさに世界最古!! 楼門の二階には『不動明王』や『千手観音』など、八体の木製仏像が奉安されています。
その総門前を守護されるのは、文化11年(1814)甲戌3月建立の、堂々たる江戸流れの狛犬さん。 台座には『石工・五印兵衛』の名が刻まれており、おそらく名工とされた人物だろうとおもいます。
まるでお団子のような宝珠を載せた阿形さん、うっかり身動きしたら宝珠が落ちてしまうのではないかと・・何とも味のある上目遣い😄
対する吽形さんにはとっても立派な角があるのですが、それにしてもその角。体に比例して大き過ぎませんか?
本人(狛犬)も同じように感じているのか、なんともしょっぱい顔、この顔・・誰かに似てる・・ 誰だろう?そこそこ有名な人だった筈なのに・・・ 書きかけのブログを見た亭主殿が一言「・・・花菱アチャコ ・・😄」 笑いすぎて息が止まるかと思いましたよ(大爆笑)
総門をくぐった先にも見どころが一杯、一杯過ぎて中々上まで辿り着けそうにありません😅
という事で、この続きは明日の「成田山新勝寺~其の二」で
参拝日:2014年5月20日&2019年3月18日
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