湯川村勝常代舞に門を構える真言宗豊山派寺院「瑠璃光山:勝常寺(しょうじょうじ)」。会津五薬師の中心として会津中央薬師とも称される『薬師如来』を本尊とします。
「大同2年(807)、法相宗の硯学『徳一上人』によって開かれた東北を代表する古刹。創建当初の寺院名は詳らかではないが中世以後、勝常寺としている。創建当初は七堂伽藍と百余りの末寺を持ち、十二の僧坊を備えていたとされる。鎌倉時代後期からは真言宗に属するようになり、近世まで仁和寺の末寺であった。伊勢氏侵攻による兵火で堂宇を失うが室町時代に再興される。現在残されている建物は応永5年(1398)に再建の講堂(現・薬師堂)のみで、それ以外は近世以降の建物である。」
国重要文化財の薬師堂は、室町時代初期に蘆名氏家臣・富田祐持によって再建。和様・唐様を併せ持った構造で、桁行5間、梁間5間、寄棟造で、屋根はもと茅葺きでしたが、昭和39年に銅板葺となりました。
第十番札所 勝常観音:御詠歌碑【 幾たびも 歩みを運ぶ勝常寺 生れ会津の 中の御佛】
仁王門内より仏域守護に努めておられる仁王像一対。
信徒の方からの差し入れなのか、それともこのお姿が定番なのか、紙垂の付いた藁蓑に、暖かそうな藁の脚絆を着けておられます。
「拓忠碑」 国の礎となられた方々の慰霊・顕著の碑と思われます。
「土井晩翠ウォーナー碑」 第二次大戦中、米軍の爆撃から寺をまもったウォーナー博士の碑と言う事で、全国に同じような碑が6カ所も立てられています。
しかし、1994年にアメリカが公開した戦争中の機密文書のなかで、「ウォーナー伝説」は戦後GHQの占領政策として作られた「つくり話」であった事が明らかになりました。早い話「戦争中にもかかわらず、アメリカは日本の文化財を守ってやったんだ。日本人は感謝しろ。」代表的な例として「京都は歴史がある街だから爆撃をしなかった」という与太話は「京都は原爆投下目標都市であったため、通常の爆撃は禁止されていた」という事実。また同様に「奈良・鎌倉は小都市であったため爆撃順位が遅かった」という事実。それを免れたのは、日本が全面降伏をし、多くの人が処刑台の露と消えたから、それだけの理由です。それが明らかになった今でも、このような碑が後生大事に建てられている事に対し、日本人として非常に屈辱に思います・・こんな惨めな与太話さえも信じ込まされ、有難がる・・戦争に負けると言う事はそういう事なのだと・・思います。
参拝日:2015年6月28日
今朝、起きたら辺り一面真っ白!?
今シーズン初めての雪かきに追われました。
これから毎日の雪かきに頭を痛めておりますww
まあ北国だから仕方ない。
雪は好きなんだけどもう少し少なかったら
いいのですがねエ。。。。
もうすぐ日暮れを迎え
あたりはうっすらとオレンジ色
今年初の雪かき お疲れ様です
北海道はいよいよ冬将軍の天下ですね
けがなどしませんように🙏
「土井晩翠ウォーナー碑」には、心から驚きました。
この作り話を広めたのも朝日新聞で、作り話を暴露したのも朝日新聞だったと言うことが、二度の驚きです。急いで調べた結果を、ご報告します。
・ウォーナー博士は米国の美術品学者
・博士の友人が中川伊太郎博士
・中川氏は京都・奈良の爆撃がなかったのは、ウォーナー博士の提言ではなかったかと、敗戦直後CIEに確認に行きます。
・CIEは現在のCIAの前身の組織で、相談を好機と利用することを考えた。
・朝日新聞が早速大ニュースとして、全国に報道した。
・記事の見出しは、「京都・奈良無傷の裏」「作戦、国境も超えて、「人類の宝を守る」米軍の隠した日本美術品」
しかし数年後ノンフィクション作家?の吉田氏が、「アメリカによる作り話だ」と言う本を出版しています。
何とそれが、朝日新聞出版局が出している「朝日文庫」です。
「土井晩翠ウォーナー碑」は、全国6ヶ所にあるといわれますが、事実が判明して撤去されたところもあるそうです。
大嘘とわかっていても撤去しない寺社があり、その一つが勝常寺だそうです。何も知らない人々が、今でも感謝して拝んでいるのです。
ここまで知りますと、常勝時はとんでもないお寺になります。
土井晩翠の名前がどうして一緒に書かれているのかも含め、何とかしなくてならない日本の恥じではないでしょうか。
Tononeko殿とtibinekoさんに教えて頂かなかったら、ずっと知らないままでした。旅のお供をさせて頂き、感謝いたします。
特に京都に関しては
例えば修学旅行で京都に行くことになった際、必ずこの爆撃回避の話が出ます。
子供の頃は「そうなのか・・アメリカも歴史のあるものは大事にしたのか」と・・愚かにも刷り込まれていましたが・・
それでも、子供心に「何故?京都や奈良や鎌倉?」との疑念が残り、事実を知った時の悔しさ無念さは言葉にできませんでした。
ただただ、「ふざけるな!!!」
そんな罵倒の言葉が頭の中を駆け巡ったことを、今も忘れられません。