昔ながらの港町の面影を残す宇和島市津島町岩松地区。旧宇和島街道に沿った町並には明治から大正の建築が残されており、風情のある町並を楽しむことができます。
岩松川沿いに建つ「大畑旅館」。終戦直後『獅子文六』が執筆の為に滞在したという部屋が残されているとか。
何ともにぎゃかな看板の「大野文六堂」。前述の『獅子文六』の小説「てんやわんや」にちなんだ「文六餅」なるものが販売されているそうですよ。
岩松地区最大の建造物群とされる「西村酒造場」。白漆喰の壁と格子戸の対比が眩しいほど鮮やかで、町並の中でもかなり目立つ存在です。
さらに際立って足を止めさせる、西国三十三観音霊場 第15番札所「金龍山:臨江寺」の山門。昭和14年に建立された鐘楼門の二階部分には中央に花頭窓、左右に格子が嵌め込まれた窓が設けられ、お寺と言うよりも別の建物を髣髴させる・・優美な佇まいです。
神社と違ってお寺の場合、檀家でもない者が出入りするには何となく敷居が高く、手軽に入って参拝と言うのは意外と臆するのです。特に私達のような余所者には・・
だからと言って建物だけ写真に撮って素通りなんて・・罰当たり過ぎて😅 ご本尊様がおいでであろう本堂に向かい、神妙に手を合わせて御真言を唱えさせていただきました🙏🙏
敷居が高いと気軽に建物などを画像に収める事が躊躇われます。そんな訳で画像に残したのは山門の彫刻くらいですが、それも何故かひっそりと・・って・・・まるで不審者ですよね😅
ひっそりと写した彫刻ですが、向背の龍の躍動感は迫力満点。牡丹を咥えて振り返る獅子も魅力たっぷり、特にビックリしたような目がこの上なく可愛らしく。
さらに私たちを静かに狂喜させたのが、山門の留蓋😲。足元に紅葉が散らばり、左小脇に抱きかかえているのが鹿だとしたら「寿老人」かな?
はて、そうするとこちらはどなたを表しているのでしょう?大人と子供の組み合わせですが、どちらも半裸で剃髪しておられる所を見ると、俗世の人ではない気もします。色々と調べてみましたが、結局何も分からず😔❓
とっても活きのよいお魚がはねるのは「酒庵・まほろば」の壁。私が育った瀬戸内海の小さな漁船では「ガシラ」と呼んでいたような気がするのですが、確信はゼロ!😅
岩松の繁栄を支えていたといわれる「大庄屋:小西本家」。貞享元年(1684)宇和島から岩松に移住して酒造商を営み、三代目で苗字帯刀を許され、宇和島藩では最も家格の高い庄屋として活躍した小西家。明治初期には岩松村の土地の半分以上を所有する豪商となったと云います。
駆け足で通り過ぎた津島岩松の町歩き。本当はもっと沢山の見所があったのですが、結果としてはほぼ半分以上が「臨江寺」の紹介(極一部)となりました。八年近くも前の思い出ですが、それでもこうして振り返ると懐かしさで一杯です。
訪問日:2013年3月25日
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