会津坂下町光明寺東甲に門を構える曹洞宗寺院「虚空山:法界寺(ほっかいじ)」。木造『釈迦牟尼仏』を本尊とします。
室町時代・永享10年(1438)、淳宗により創建。天寧寺の末寺として、天寧寺九世:喜恕により開山。慶長元年(1596)に堂宇を建造。この寺の境内に、戊辰戦争で散った中野竹子女史の墓があると聞き、詣でさせて頂きました。
会津藩江戸詰勘定役中野平内の長女、中野竹子らにより自発的に組織された女性だけの郷里防衛隊「娘子(じょうし)隊」。慶應4年(1868)8月25日、戊辰戦争において若松の町外れ越後街道の涙橋のあたりで、長州、大垣の兵と遭遇した娘子隊。薙刀を振るい新政府軍と勇敢に戦った中野竹子は銃弾に倒れ、首級を奪われる事を恐れた妹:優子(16歳)の手によって介錯。その首は遺品とともに法界寺に埋葬されたと伝えられています。中央に「中野女子之墓」。右手に「嗚呼壮烈」碑。
「小竹女史之墓」碑「小竹」は、竹子女史の号。
出陣に際し、薙刀に結び付けていたという辞世の句【 武士の 猛き心に比ぶれば 数にも入らぬ 我が身ながらも 】
竹子女史の父・『中野平内』歌碑
「中野竹子の墓」案内
散(ざん)切りにした頭に白羽二重の鉢巻き。同じ布の襷(たすき)で裾をからげ、義経袴に大小刀を手挟む。その姿は胸が痛いほど雄々しく美しく・・・わが身を賭して守ろうとした会津の魂。その心根を想う時、飯盛山で流した涙に再び胸塞がれ、声にならない嗚咽を抑えるのが精一杯でした。
「慰霊 戊辰役殉難碑」
訪問日:2015年6月28日
おはようございます!
今朝も雪降りの札幌です。
現在マイナス一度。
なんか根雪になるのが早いなぁと感じます。
これから週一のリハビリです
金曜日は二か所の通院だし
一週間が速すぎて忙しい(笑)
リハビリ大変ですね。ご主人様は嫌がらずなさっていらっしゃるのですね。
金曜日は二カ所ですか。
お身体に気をつけてくださいお二人とも。
会津のお話しは辛いです。
意を決して
5年ぶりの短距車泊に行ってきました
温泉に入って 道の駅で新鮮なお野菜を買って
久しぶりに車でお泊り
どきどきでしたが、楽しい時間でした