旧北宇和郡津島町(つしまちょう)は愛媛県の南西部、南予地方に位置した町です。宇和島市、南宇和郡愛南町に。また県を跨いで、高知県宿毛市、四万十市に隣接。宇和海に長く突き出した由良半島の概ね北側半分が町域で、東半分は標高が500メートル以上の山間地。西半分はリアス式の海岸で、海岸線は95キロメートルに達し、その一部は足摺宇和海国立公園を形成。平地は岩松川とその支流に沿ってわずかに開け、真珠・魚類の養殖が盛ん。また獅子文六の小説「てんやわんや」のモデルとなった事でも知られます。「町の木:ヤマモモ」「町の花:ショウブ」「町の鳥:シラサギ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、北宇和郡津島村・清満村・北灘村・畑地村・下灘村が発足。
1895年、北宇和郡津島村が、岩松村と高近村に分裂。
1899年、北宇和郡清満村から、御槙村が分立。
1919年、岩松村が町制を施行、北宇和郡岩松町が発足。
1938年、岩松町と高近村が合併、北宇和郡岩松町(第二次)が発足。
1955年、岩松町、清満村、御槙村、北灘村、畑地村、下灘村が合併、北宇和郡津島町が発足。
2005年、旧宇和島市、北宇和郡吉田町、三間町と合併し、宇和島市津島町となりました。
マンホールには町章を中心に「町の鳥:シラサギ」「町の木:山桃」「町の花:しょうぶ」がデザインされています。
昭和44年(1969)1月1日制定の町章は「満願寺の境内にある「二重柿」を図案化し、「ツシマ」を表したものです。」合併協議会資料より
撮影日:2013年3月25日
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旧北宇和郡吉田町(よしだちょう)は愛媛県南西部に位置した町です。西予市、宇和島市、北宇和郡三間町に隣接。宇和海に突き出した半島と付け根の部分にあり、急傾斜地が多く、平地はわずかに10%程度。正面の宇和海では真珠・ハマチ養殖が盛んで筏が並び、背後の山々には山頂近くまで果樹園が切り開かれ、日本一のみかん産地として有名。かって旧吉田藩の陣屋として栄えた歴史があり、それが町名の由来とされます。「町の花:ミカン」「町の鳥:メジロ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、北宇和郡吉田町・立間尻村・奥南村・立間村・喜佐方村・高光村・東宇和郡玉津村が発足。
1938年、北宇和郡立間尻村を編入。
1955年、北宇和郡奥南村、立間村、喜佐方村、高光村知永、東宇和郡玉津村と合併、北宇和郡吉田町(第二次)が発足。
2005年、旧宇和島市、北宇和郡津島町、三間町と合併し、宇和島市となりました。
昭和32年(1957)9月25日制定の町章は「中央に頭文字のYをおき、市の特産品である蜜柑の花を表しています。」合併協議会資料より
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旧北宇和郡三間町(みまちょう)は愛媛県の南予地方に位置した町です。西予市、宇和島市、北宇和郡吉田町・鬼北町に隣接。三間盆地を形成する流域は水田地帯で、かつては吉田藩の穀倉地帯であり、今日でも三間米の産地として知られています。「町の木:クスノキ」「町の花:コスモス」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、北宇和郡三間村・成妙(なるたえ)村・二名村が発足。
1954年、北宇和郡三間村、成妙村、二名村が合併、北宇和郡三間町が発足。
2005年、旧宇和島市、北宇和郡津島町、吉田町と合併し、宇和島市となりました。
昭和43年(1968)11月1日制定の町章は「「三間」を図案化したものです。」
(※)旧北宇和郡吉田町・旧北宇和郡三間町は未訪問のため、ご当地マンホールの有無は未確認です。
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