千葉市中央区登戸に鎮座される「登渡(とわたり)神社」。西千葉の総鎮守で、通称「登戸神社」と称され、御祭神は造化三神『天御中主命・高皇産霊命・神皇産霊命』。『天日鷲命(あめのひわしのみこと)』を配祀。
由緒に【千葉氏の末裔『登戸権介平定胤』が祖先を供養するため、正保元年(1644)に地区の最高点である遠望台に「千葉妙見宮」の末寺を勧請、「白蛇山真光院定胤寺」を起縁とする。慶応3年(1867)に「登渡神社」と改め、祭神を「妙見菩薩」と同一視される「造化三神」に定める。明治41年(1908)に「鷲神社」を合祀し、『天日鷲命』を加えて4柱となった。】
拝殿前左右より神域を守護されるのは、 宝暦9年(1759)建立、口中に朱の跡が残る狛犬さん一対。 阿吽のどちらも、歯科学会から表彰されそうな美しい歯並び、かなり羨ましい😅。
何が原因だったのか社殿の画像が他に無い・・ので、代りに絵馬。総欅造の本殿は、入母屋造平入で屋根は銅板瓦葺。元は寺院であったために伽藍構造をしているとあります。
本殿の小壁嵌板彫刻は、信州上諏訪・立川流の彫刻師『立川内匠正(和四郎富昌)』。細部まで躍動感にとんだ素晴らしい仕上がりで、こんな時はつくづく上等のデジカメが欲しいと思います😓 左右の貫から見下ろす獅子と獏、折り曲げられた爪の先、足の裏にまで、彫り師の技が冴えます。
何と言っても圧巻なのは、本殿扉の上部に施された彫刻。題材としては「箏(そう)を奏でる君子」。その昔、宋や唐の時代においては「箏」を奏でることは君子のたしなみであったと云われます。
扉には、好き勝手に戯れる「唐獅子牡丹」が彫られており、わずかに彩色の跡も見られます。 立川流の彫刻としては最も東にあるこれらの彫刻は、昭和43年(1968)に千葉市文化財に指定されました。
神社の裏参道に並ぶ庚申塔や青面金剛などの石塔群。それはかってここが、妙見宮の末寺であった時代を物語っています。
最期の一枚は、やはり境内の一画で見つけた句碑ですが、残念ながら一部分が読めたのみ。「拍子木」の文字が見える事から、おそらく祭礼の様子を詠んだ物と思われますが、わかりません。もしもご存知の方がいましたら、ぜひコメントください🙏
参拝日:2014年5月21日
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