tokyo.sora

坂、建物、映画を中心に書いていくブログです。

冬の京都を行く━其之弐━

2017-03-16 23:18:03 | ┣TRAVEL【近畿】

冬の京都を行く━其之壱━からの続き

 


南禅寺を後にして、哲学の道を通って銀閣寺。
今月末には、賑わうであろう哲学の道もまだ、この時は閑散としていて、あちこちで工事していました。


銀閣寺総門
慈照寺(銀閣寺)
東山慈照寺と号する臨済宗相国寺派の寺で、八代将軍足利義政の隠居所「東山殿」を遺命によって寺としたものである。
東山殿は、1482年(文明14)から建設が始まり、東山文化の粋を尽くした数々の仏殿や庭園が造られた。しかし、1558年(永禄元)の兵火により観音堂と東求堂を残して焼失し、現在の寺観は、1615年(元和元)に整えられた。
銀閣寺は俗称であり、正式には東山慈照寺は義政公の法号慈照院にちなみ、後に命名された。

 


総門から中門への参道。
生垣と銀閣寺垣と言われる竹垣です。
入ったら、すぐに銀閣が見えないというちょっと焦らす演出がにくいです。

 


銀閣は、1489年(延徳元)建立の杮葺二階建てで、下層は心空殿と呼ばれる書院造の住居、上層は観音像を安置する潮音閣と呼ばれる禅宗様仏殿となっている。実際には、銀箔は貼られなかったが、北山の鹿苑寺に金閣に対し、一般に銀閣と呼ばれている。金閣に比べて枯淡幽雅な特色見られ、東山文化を代表する名建築である。

 


方丈
江戸中期に建立されたものです。

 


方丈から見た銀閣
手前は、銀沙灘と向月台

 


東求堂
1486年(文明18)建立の義政公の持仏堂。一層のい入母屋造り、檜皮葺きの現存する最古の書院作りです。南面に拭板敷、方二面の仏間が設けられ、北面には六畳と四畳半の二室がある。北面東側の四畳半は、同仁斎と呼ばれ、茶室の原型とも言われている。


上段の庭から見た銀閣寺全景
寺院の伽藍がよくわかります。

 


銀閣寺御朱印

冬の京都を行く━其之参━へ続く

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
銀閣寺 http://www.shokoku-ji.jp/g_about.html

 

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冬の京都を行く━其之壱━

2017-03-15 10:14:54 | ┣TRAVEL【近畿】

だいぶ経ちましたが、先月23・24日と京都に行ってきました。
今回は、連れの友人の希望ということで、南禅寺、銀閣寺、金閣寺、池田屋、伏見稲荷というコースで巡ってみました。

 


3度目の南禅寺。
前回の紅葉の時とは違い、やはり人出は多少少ないです。




南禅寺中門からほど近い順正で湯豆腐を食べました。

 


オーダーしたのは、ゆどうふ(花)¥3,090
どれもこれも繊細な味でした。


庭も名教楽地という回遊式庭園。
手入れの行き届いた庭です。
南禅寺は、前回の時に紹介しているので省略します。

冬の京都を行く━其之弐━へ続く


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
南禅寺順正 http://www.to-fu.co.jp
京都府京都市左京区南禅寺草川町60
TEL 075−761−2311
Open 11:00〜21:30

 

 

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京都紅葉便り━南禅寺・永観堂 其之五━

2016-12-16 09:38:52 | ┣TRAVEL【近畿】

京都紅葉便り━南禅寺・永観堂 其之四━からの続き

永観堂で一番高い場所にある多宝塔に行ってみます。

 


多宝塔
1928年(昭和3)、篤志家の寄付で建設されました。
上部は円形、下は方形の二重塔。

 


多宝塔からの眺め
正面の風景は二条周辺。
目をこらすと、左大文字が右側に見えます。

 


左大文字。

降りてきて、池の周辺を散歩。


放生池

 

 


永観堂御朱印。

さすが、京都随一のもみじ寺、落葉していてもなかなか見事のものでした。
去年の紅葉とはえらい違いで、今年の紅葉はなかなかよかったです。

おまけ
帰りにぶらぶらしていたら、偶然本能寺の前を通りかかりました。
寺町商店街にあったので、なんとなくイメージと違います。

 


本能寺
法華宗本門流の大本山で1415年(応永22)、日隆上人によって創建された。
当初は、本応寺と称していたが、1433年(永享5)、六角大宮に移転した際、本能寺と名を改めた。さらに1545年(天文14)、油小路蛸薬師一帯に移転しました。
1582年(天正10)に本能寺の変の際に焼失してしまったが、豊臣秀吉により現在地に移転再建した。江戸時代後期に、天明・元治の大火で、再び焼失してしまい、現在の堂宇は1928年(昭和3)に再建されたものである。


京都紅葉便り━南禅寺・永観堂 おわり━

 

 

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京都紅葉便り━南禅寺・永観堂 其之四━

2016-12-15 18:29:04 | ┣TRAVEL【近畿】

京都紅葉便り━南禅寺・永観堂 其之参━からの続き


南禅寺から歩いて、京都随一のもみじ寺と言われる永観堂に来ました。


永観堂総門
永観堂(禅林寺)
聖衆来迎山と号する浄土宗西山禅林寺派の総本山で、正式には無量寿院禅林寺という。
中興の祖、永観律師にちなみに永観堂と呼ばれている。
1082(永保2)年2月15日未明、念仏を唱えながら本堂を歩く修行していた永観の前に、本尊の阿弥陀如来が一緒に加わった。夢ではないかと立ち止まる永観に、阿弥陀如来は後ろを振り返り「永観、遅し」と発したと伝えられる。
その姿を仏像にした「阿弥陀如来立像」(重文)は、首を左に向けて微笑みを湛える珍しい姿で、「みかえり阿弥陀』として親しまれている。
鎌倉時代には浄土宗西山派開祖・證空の弟子が浄音が住持となり、浄土宗一派の本山の基礎を固めた。
その後、応仁の乱により堂宇が焼失したが、1497(明応6)年後土御門天皇の命により再興され、現在の伽藍が整えられた。

 


中門
見ての通り、かなり落葉していますが、まだまだ見られます。

 


勅使門・盛砂
この門は唐様式で別名、唐門呼ばれています。1811年(文化8)、江戸時代の再建。
この寺は、863(貞観5)年に清和天皇の勅願によって建立された。
天皇の勅使参詣のため、この勅使門が設けられた。今日では、住職の遷化の時のみにに使われる。
盛砂は、清めの砂で勅使がこの門を入られ、砂の上を歩いて清められた。また、月明かりをこの砂に受けて、明かりとりとしても使われたと言われる。


阿弥陀堂(本堂)
1597(慶長2)年に大阪四天王寺に建立された曼荼羅堂を、慶長12年に豊臣秀頼の命により、移築された。
正面七間側面六間西向きの一重入母屋造り本瓦葺きで正面三間の向拝がある。当時の極楽の荘厳を表したものです。
本尊は「みかえり阿弥陀如来」で、像高77センチ、制作年代は平安末期と考えられている。

 

 


階段から見上げる阿弥陀堂

京都紅葉便り━南禅寺・永観堂 其之五━
へ続く

 

 

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京都紅葉便り━南禅寺・永観堂 其之参━

2016-12-13 08:40:07 | ┣TRAVEL【近畿】

京都紅葉便り━南禅寺・永観堂 其之弐━からの続き


本坊
常住とも呼び衆僧生活の場であるとともに、臨済宗南禅寺派の宗務を取り扱う寺務所となっています。

 


外から見た大方丈

方丈
南禅寺の方丈は大方丈とその背後に接続した小方丈からなっています。大方丈は内陣、御昼の間、鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間、柳の間、六畳、様屋の間、広縁よりなる入母屋造杮葺。小方丈は虎の間、三室、広縁よりなる背面切妻造杮葺です。
大方丈は、1611(慶長16)年、御所の建物の下賜を受けて再建されたもので、寺伝では天正年間(1573〜1592)の内裏清涼殿を移築したものとされていますが、女院御所の対面御殿を移築したものとの説もあります。
小方丈は、寛永年間(1624〜1644)の建築で、伏見城の遺構とされています。大方丈の前面の庭園は「虎の子渡しの庭」と呼ばれ、小堀遠州の作と伝えられています。




虎の子渡しの庭

 


如心庭

 


六道庭

 


龍吟庭・涵龍池

 


還源庭

 

南禅寺御朱印

どれもこれも素晴らしい庭でした。
そして、撮影不可でしたが、狩野派の襖絵も見事なものでした。
南禅寺を後にして、永観堂を向かいます。


京都紅葉便り━南禅寺・永観堂 其之四━へ続く

 

 

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