tokyo.sora

坂、建物、映画を中心に書いていくブログです。

原宿駅

2017-01-27 17:33:24 | 古い建物

原宿駅【東京都渋谷区神宮前1−18−20】
設計:長谷川馨
竣工年:1924年(大正13)6月
Photo:2016年6月

 


原宿駅は、開業1906年(明治39)。
開業当初、駅舎は代々木駅寄りにありました。現在の駅舎は、2代目で渋谷寄りに移動しています。
また、現在ではほとんど使われませんが、皇室専用ホームがあるのもこの駅の特徴です。
都内最古の木造駅舎で、尖塔付きの屋根に白い外壁でハーフティンバー様式。
一時期の欧米の住宅建築に見られたものです。鎌倉駅駅舎もこの様式で建てられています。

 


正面口に寄って見ました。

 


ホームから見た様子。


皇室専用ホーム。
正式名称は、宮廷ホームというそうです。
2001年から16年間使っていないそうですが、手入れはしていて、きれいです。

 

 

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戸定邸━其之弐━

2016-11-25 09:36:08 | 古い建物

戸定邸━其之壱━からの続き

 

表座敷棟・客間
戸定邸の中心となる部屋です。
南側と西側が庭園に包まれ、皇室や華族家の大切なお客様を迎える部屋と昭武が暮らす部屋があります。大名屋敷では来訪者と家族の部屋は、別々の棟にありましたが、ここでは一つの建物にあります。
四面が柾目の柱や75cm幅の一枚板を用いた杉戸などの最上等の杉材を使っている。華美な装飾を排して簡潔にまとめられた空間は庭園との一体感をもたらしています。

 


御居間
屋敷の主人だる昭武が暮らす部屋です。
客間と居間の境には空間を明確に区切る杉戸が使われています。
ここから、富士山を眺めることができます。


中座敷棟
表座敷棟と奥座敷棟にはさまれ、東側に台所棟があります。開口部は西側だけなので、日当たりはよくありません。
屋根の形状を調べると、増築であることが判明します。
昭武は6人の子供がいたので、当初は子供部屋として使われたものと考えられます。


奥座敷棟
戸定邸が落成した時には一番北の奥にある建物です。
その東半分は中座敷棟でふさがれ、日当たりはよくありません。
普段は、側女中であった妻の八重が暮らしていて、夜に昭武が御寝所として使われたものと思われます。


庭から見た戸定邸

 


庭の木々も紅葉しています。


天気のいい日は、ここから富士山が見えます。
関東の富士見百景にも選ばれています。

戸定邸━おわり━

 

 

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戸定邸━其之壱━

2016-11-23 10:25:52 | 古い建物

戸定邸【千葉県松戸市松戸714−1】
設計:不明
竣工年:1884年(明治17)5月
Photo:2016年11月

日曜のこと。
松戸にある戸定邸に行ってきました。

 


戸定邸。
明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物です。
建物と庭園を作ったのは徳川昭武。江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の弟です。
明治時代になり、昭武は松戸に7万㎡以上の土地を取得し、1884年(明治17)に戸定邸を建設しました。
増築を経て、現在は9棟が廊下で結ばれ、部屋数は23を数えます。
基本的には江戸時代の大名屋敷の系譜上にありながら、徳川家が権力の座を離れたため、生活様式が大きく変化し、規模は著しく縮小しています。最上等の杉材をふんだんに使う一方で装飾を最小限に留めた空間になっています。
戸定邸表座敷棟の南と西には芝生の庭が広がります。昭武が建物との調和に心血を注いだ庭園です。
洋風技法による芝生面は国内現存最古で、樹木の木立を主要景観に取り入れる手法は類例がありません。

 


玄関部分
東側の正面に玄関があり、その左側に内玄関とそれに続く使者の間があり、右側には会計室と執務室がある。この構成は玄関の左に使者の間、右に侍詰所を設ける江戸の大名屋敷の間取りをそのまま受け継いでいる。

 


使者の間
皇室や華族など大切な方からの使者や身分の高い来客のお供の人々は内玄関を入り、この建物に案内されました。ここで用件を伝えたり、主人の用が終わるのを待っていました。
来客が使う部屋の柱は木の中心部を使わない高級なものですが、ここの柱は中心部を使っているため割れやすく、不規則に割れるのを避けるため、外側に面した部分を意図的に割っています。南側の部屋の下段の押入れの床板はケヤキの一枚板で、押入れに使われるのは異例です。
欄間には福を招くとされるコウモリが舞っている。

 


欄間のコウモリ

 


内蔵
住居に接して設けられた耐火建築の蔵で、内部に2階部分があります。
蔵の周りは厚い土壁で正面の扉と壁は白セメントに白榴石、黒色の霞石、石灰を混ぜて塗り、乾く前にブラシでこするという技法で仕上げられています。
扉の下の人造石は普通セメントと寒水石、蛇紋岩を混ぜ、表面を磨き上げる磨き出しという技法で仕上げられています。

戸定邸━其之弐━へ続く

 

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旧安田楠雄邸━其之弐━

2016-04-08 09:11:15 | 古い建物

 

旧安田楠雄邸━其之壱━からの続き


残月の間
中央棟は京間寸法でゆったりと造られています。柱や長押は栂材、床柱は北山杉の絞り丸太、壁は聚楽土で、天井は幅広の竿縁天井です。
床の間は表千家残月亭の床の間を模しています。鳥の透かし模様が入った照明は創建当初の器具です。

 


2階に上がり、予備室。

 


予備室
東壁面には土壁の上に板を嵌め、竹釘を打った織部床が設けられており、略式の床の役目をします。
障子は雪見障子となっておりますが、外側のガラスは下部だけでなく上部にもガラスが入っています。上部の障子は固定され、下りてきません。
西側障子の外には折れ戸式の雨戸があります。戸袋を設けることができないため、このような工夫がされています。
襖は雲母の型押しで松原が描かれています。

 


客間

 


客間から見える枝垂れ桜。
ちょうど見頃を迎えていました。
なかなか、座りながら間近枝垂れ桜を見ることはできないので、圧巻でした。

 


入園時間ギリギリで行ったので、かなり割愛しましたが、まだまだ見所はあるので、今度はゆっくり見たいなあと思いました。

旧安田楠雄邸━おわり━

 

 

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旧安田楠雄邸━其之壱━

2016-04-07 09:21:08 | 古い建物

土曜のこと。
前から行きたかった、旧安田楠雄邸の桜が見頃を迎えそうだというのを聞きつけて行ってきました。

旧安田楠雄邸【東京都文京区千駄木5−20−18】
設計:不明
竣工年:1919年(大正8)5月
Photo:2016年4月

 


旧安田楠雄邸は、1919年(大正8)に「豊島園」の創始者である実業家・藤田好三郎によって作られ、1923年(大正12)には旧安田財閥の創始者・安田善次郎氏の女婿・二代目善四郎氏が買い取り、住んでいました。
その後、長男楠雄が相続し、1995年(平成7)に他界すると、翌年幸子夫人が公益財団法人日本ナショナルトラストに寄贈したものです。
1998年(平成10)には、東京都の名勝として文化財指定されました。2003年(平成15)、建物の修復工事に着手し、2007年(平成19)から一般公開しました。
当初1800㎡(現在は、1500㎡)であった敷地は東西に長く、雁行式に配した日本家屋に沿って、前庭・主庭・中庭・坪庭の四つの庭園が配されています。
特に南側の主庭は滝石組を含む東西16mある流れを主景とし、各室からはそれぞれに異なる景色を楽しむことが出来ます。
また、建物も、洋風の応接間を併せ持つ近代和風建築であり、照明や家具も当時のままに残されています。

 


内玄関にある上の棚にあるのは、安田家の家紋である輪違い紋。

 


応接間。
壁のクロス、カーテン、暖炉上部の絵画、ガラス窓等は当初からの物が残されています。欄間に型板ガラス、装飾窓には膠ガラスが用いられています。絨毯は、アキスミンスター織で復元しました。
天井の漆喰は「落とし塗」という技法で塗られ、天井の石膏花飾りは、寒天型を用いて作られました。
柱、造り付け家具、扉等の造作材には、クルミが使われています。

 


サンルーフ。
応接間に隣接しています。
床はゴムタイルを使っています。

 


台所
こちらは、北向きなので天窓で明かりをとっています。

旧安田楠雄邸━其之弐━へ続く。

 

 

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