冬の京都を行く━其之参━からへ続く
2日目は、友人のリクエストである池田屋事件で有名な池田屋に向かいました。
池田屋事件とは、
1864年(元治元)7月8日に京都三条木屋町の旅籠池田屋に潜伏していた長州・土佐などの浪士を新撰組が襲撃した事件のこと。
池田屋
建物はとっくに、なくなっていて居酒屋はなの舞が池田屋として営業しています。
ちなみに、伏見の寺田屋も鳥羽伏見の戦いで、建物が消失して、今現在ある建物は再建されてものだそうです。
池田屋から歩いて錦市場へ。
錦天満宮
平安時代前期の10世紀初頭、学問の神となられた菅原道眞公(管公)の生家『菅原院』に創建されました。
管公の死後、嵯峨天皇の皇子である源融公の旧邸跡六条河原院に場所を写し「歓喜寺隣、その鎮守社として天満自在天神をお祀りしたしたのが始まりと言われています。
そこから300年後、後伏見天皇より天満宮の宸翰を授与され、その際に河原院跡を京都八幡宮に寄進。塩釜宮を鎮守とする歓喜光寺と改名されました。
歓喜光寺の創建から274年後、豊臣秀吉の都市計画によって、時宗四条道場とすても有名な金蓮寺の敷地に移転。以後、錦天満宮として現在地に鎮座しています。
1872年(明治5)には、神仏分離令によって社が独立。歓喜光寺は東山五条へ移り、残された神社は同年、新京極通開通の際、社地を縮小し、現在に至っています。
錦天満宮本殿
錦天満宮御朱印
目的地の京都の台所、錦市場。
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錦天満宮 http://nishikitenmangu.or.jp
冬の京都を行く━其之五━へ続く
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