ヨーロッパを訪れると、どの美術館のどの部屋も、宗教と神話に題材をとった絵画であふれかえっています。が、キリスト教に馴染みのない日本人が好むのは印象派の作品だとか。多分にもれず、私も聖母子像以外は宗教画を一歩引いた感じでしか観られませんでした。
私の学生時代に、雑誌社が「もし無人島に行くとしたら何の本をもっていきますか?」というアンケートをとり、その一位がなんと聖書だったのです。遅れをとらじと、黒表紙の無味乾燥な分厚い聖書に何度か挑戦しましたが挫折ばかり。
確かに西洋の文学も音楽も美術も、聖書の知識なくしては理解できません。そんなときに、書店で目にした阿刀田高『旧約聖書を知っていますか』(新潮社)にすっかりはまってしまいました。
『アイヤーヨッ』の文章で始まり、アはアブラハム、イはイサク、ヤはヤコブ、ヨはヨセフとまず系図の覚え方に親しみがもてました。枝葉の部分は省略して、エッセンスの部分を書いた『阿刀田式古典ダイジェスト』版です。これに続いて、『新約聖書は知っていますか』(新潮社)まで一気に読めます。
これに続くのが中丸明『絵画で読む聖書』(新潮社)。会話体の部分がなんと名古屋弁で書かれており、その面白さと親しみやすさと悪ふざけのところが、堅い聖書を私の目の高さまで引き下げてくれました。旧約の世界を創りだすための男女の人間的な行為と会話は、まさにお笑いの世界。ここまで表現に「冒険」していいものかと心配になるくらいです。真摯な信者は憤慨するでしょう。ところどころに挿入された絵の写真も分かりやすいです。
『西洋絵画の主題物語』(美術出版社)は、カラー多色刷りの美しい美術書です。さすがにこちらはまじめな解説で、聖書の物語を手っ取り早く理解できる優れた本です。
聖書の多くの登場人物と旧・新の長い歴史に、一つ一つは覚えられませんが、絵画を観るときに、今までとは違った興味で楽しく観られることは確かです。
ありがとうございます!
まず太い幹を確認して、それから枝、葉をつけていくと分かりやすいですね。
スペインが出てきたついでに。
キリスト教側によって書かれたスペインの歴史には、8~11世紀のイスラム文化の果たした役割の大きさが消されているようですね。そこには当時最大の図書館が作られ、そこから学問がヨーロッパに広まっていったそうです。もしこの時代がなかったら、
ヨーロッパの発展が遅れていたのは確実とか。その時代はユダヤ人もイスラム教徒もキリスト教徒もうまく共存していたそうです。
スペイン、トルコを旅して、自分が西欧の文化をキリスト教側の一方的な知識で解釈していたのがわかりました。
今日のニュースで知ったのですが、自民党の山崎拓さんが失言とか (>_<)
イスラム教徒とユダヤ人は仲良く暮した時期もあり、十字軍によって虐殺されたりしますが、その後ムスリムの支配下では共存体制ができたりします。うまくいっていたのに、近代ヨーロッパのナショナリズム台頭により、イエスを殺そうとしたユダヤ人として差別の対象になっていく・・・。
1947年の国連分割決議で、ユダヤ人迫害問題がヨーロッパの問題からパレスチナの問題へとすり替えられ、関係ないアラブ人が犠牲になったときいています。
パレスチナ問題は何回聞いても複雑です。
ギリシャ神話も、恥ずかしいけど『ギリシャ神話を知っていますか』で簡単にすませてしまいました。
ダイジェスト版でも、物語のつながりや発展の巧みさには舌をまきます。
訳本を読む気力はもうありません・・・。
サラの召使いのハガルは、アブラハムの寝屋に送り込まれてイシュマエルを産みますが、エジプト人のハガルは異教徒。
ユダヤ人のサラから生まれたイサクしかユダヤ教徒になれない。
ユダヤ人だけがエホバによって救われる・・・という排他性のために、
ハガルとイシュマエルは、わずかな食料と水を与えられただけで
砂漠へと追いやられたというのです。
つまりユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、アブラハムに始まっているのです。
その出発のときの角度は少し違っただけかもしれませんが、何百年も経つうちに、その違いはどんどん大きくなってごらんのような世界に・・・。
出発点に戻れる可能性があるのでしょうか・・・。
papahaponさん。こんばんは!
ブログの写真で、教会を拝見してへ~ッと思うくらい、キリスト教というのが意外でした。暑い夏のクリスマスの写真もありましたね。
NHKの「引き裂かれた村 ~日米戦の舞台・フィリピン~」を見ましたか?
欧米、そして日本の植民地獲得競争に翻弄されたフィリピンの人々。
深く心をえぐられるような気持ちで見ました。
フィリピンが、今のように親日的になったのはいつの頃からですか?
私このごろ眼が弱くなって本読むのが億劫になりました。
フィリピンではカソリックの中にどっぷり浸かっていますが
聖書は読んだことがありません。
フィリピンの地名はSan・・・と聖者の名前が多いですが、
その聖者がどんなことをしたのか、何故そこの地名に
その聖者の名前をつけたのかなど調べるだけでもいろいろ
面白いストーリーが見つかると思うのですが、、、、、w
私も詩亜さんの年齢のときは、聖書に興味を引かれませんでした。
とっつきにくく、読みにくく、理解しにくくて・・・。
やっと面白いダイジェスト版を入手して、年齢的にも読むゆとりが
でてきたのだと思います。
旧約は宗教書というよりは、物語と思って読んだほうが
面白いと思います。
いまさらながら私の4年間を恥じ入るばかりです。
新約の教義の解説は単位のためにレポートも書きましたが、若いとはいえ罰当たりなことでしたね~。
紀元前18世紀から紀元1世紀間までの長い長い物語の聖書。少しでも知っていれば文学、文化が分かりやすくなります。旧約のほうが面白いと思いました。
オペラのサムソンとデリラの切ない歌声も絵も、中丸氏の本によればあけっぴろげな閨房に様変わり。でも面白かったですよ。
何しろ、中学がクリスチャンの学校だったので・・・毎日礼拝があったのです。
聖書のお勉強の時間もありましたし・・・だけど、私ってあまのじゃくの生意気な生徒だったので、ちーっとも真面目にやってなかった。今思えば、惜しいことをしました。
宗教と思わず、歴史と思えば、違った見方もできたのではと、今思ったりします。
十字軍がひどいことをしたというのは、私も聞いたことがあります。
要するに略奪と侵略の戦争だったとか聞くと、宗教って恐ろしいなと思います。
中世の教会の堕落はひどかったようです。
オスマントルコの残虐さが言われますが、十字軍の残虐さも相当なものだったようですよ。
誰が歴史をしるすかによって、内容が全然違ってくるのが残念?おかしい?です。
タムさん、こんばんは!
聖書に入っていくのが、信仰心からでなく、芸術や文学の理解の手助けにと思うところは一緒ですね。
聖書のひと言ひと言はすんなり理解するのは難しいですが、ダイジェスト版で読むと
ものすごくでっかく楽しいおとぎ話の感じがしますね。
6,15のブログを拝見しました。漫画があることは知りませんでした。これなら視覚的にも分かりやすいでしょう。随分前に出版されていたのですね。
まずは情報を得ることの大切さが分かりました。
酒徒善人さん、こんばんは!
楽しく読みたいなら中丸明氏の本がいいですよ。
アダムとイブも、ソドムとゴモラの町も、サムソンとデリラも、名古屋弁で書かれていて、その強烈な表現に絶対忘れませんよ!殿方向きかも。
kjuさん、こんばんは!
おすすめのブログ拝見しました。確かな知識で丁寧に書かれていて大変参考になります。
旧約聖書は、きちんと読むには理解しにくくて疲れてしまいます。
顰蹙を買いそうですが、ここはダイジェスト版が一番楽しく読めます。
宗教書としてでなく、物語として読んでも、縦に連綿とつながっている系図で、横に広がりながらもまとまりがあるところが面白いですね。
聖書にはタネ本があり、人類の祖はアダムではなく、シュメール人だという説も面白いです。
φ(..)メモメモ
あれって歴史書や、物語として読むには面白そうなんだけど、ちょっとわかりにく書き方なのでとっつきにくいですよね。
ブログ仲間のcojicoさんは、美術に造詣が深く、のぞいて見てください。
http://cojicoviaggio.cocolog-nifty.com/
旧約聖書は面白いですが、疲れますね。
ダイジェスト版が一番。それを探すのも楽しいのではないでしょうか。
秋の夜長・・・良いかも知れませんね。
いろいろ教えてください。
少し分かれば、美術館巡りの楽しさも増えそうですからね。
http://tyui-kal.cocolog-nifty.com/hinatabokko/2006/06/index.html