ふとした病がもとで床につき、丁度庵に移転して三年目の九月、海端が死んだ
命日に彼女は、しばし神がかりの如き状態となり、私が死ねば魂塊は出雲國馬木
の荘松尾山金言寺に立帰り庭のほとりに捨てられてある、あの銀杏の碁盤の中央
から芽を生じ永くこれに留まり海端の霊を慰めん、又、諸人の病気、殊に女の病
気一切を全治せん。と叫んだかと思うとそのまま息は絶えた。
数奇な運命にさいなまれるた可憐な乙女、白百合の花の精にも似た彼女の生涯
はあまりにも弱く、あまりに短かった。
有縁無縁の衆相はかつて、彼女の最後をあはれみ、庵のかたはらに、一基の地
蔵尊を安置し貞心地蔵尊と名づけその後供養を怠らなかったと傅へられている。
つづく