二八の装ひも見ず、幼より佛門に入った輜衣圓頂の若き女僧貞心尼の
心にも春は訪れて来た。かの女のきめこまかな色白い天来の麗質はなま
めかしい脂粉の香こそなけれ、墨染の衣の中よりめけ出た一輪の白百合
の花の如くけだかくも藹たけた姿に清新な乙女の誇りは照り輝いていた。
然し、かの女の妖艶な黒みをとって鈴を張った様な瞳には、にじみ出る
さびしい若いなやみがひそんでいた。かの女の歓心を買ふために村のた
れかれや、家中の若侍共が俄に佛信心を始めるなど、美しい娘のたれも
が一度は持つ華やかな世界が彼女の上にも巡って来た。そして、佛の道
に叛くとは知りつつも、かの女の胸に段々濃くなり大きく育っていく魔
物の影は、か弱い女の力ではどうする事も出来なかった。人もあらうに
師と仰ぐ海端の情を受けたのは、花恥ずかしい彼女が二十三歳の春四月、
甲斐平城のかなたに大きな朧月が静かに懸かった晩であった、ほんに思
ひば、今から七年の昔・・・とまろび泣くこのあはれな尼僧姿の彼女の
狂乱生活は庵に移って一年後から始まった。道行く人も足を留めて此の
若い美僧をあはれみ惜しまぬものはなかった。
つづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます