小学5年生が電車にはねられ、亡くなったそうですね。
自殺と見られています。
遺書には、小さな命とひきかえに、学校の統廃合を止めて下さい、と書かかれていたとか。
なんでも統廃合により母校が無くなり、級友はそれぞれ別の小学校に通うことになっていたとか。
痛ましいかぎりです。
しかし多くの級友は冷めた目でこの自殺を見ているのではないでしょうか。
小学生にとって小学校は生活のなかで大きな比重を占めているでしょうが、しょせんは人生のほんの一時期通うだけの仮の場。
どんなに仲の良い友人でも、卒業すればほとんど会うこともなくそれぞれの人生を歩まなければなりません。
もちろん当の小学5年生にはまだよくわかっていなかったのでしょうが、それが人生の真実であるに違いありません。
それは学校に限らず、サークルや職場などでも同じこと。
何十年も机を並べて働いたって、退職してしまえば会うこともないでしょう。
だからこそ、人は結婚という別れることを困難にする装置を考え出し、家族を持とうとするわけです。
しかし困難とはいえ、離婚という別れる方法も残されており、人は本質的孤独から逃れることはできません。
また、おしどり夫婦などと言われ、生涯添い遂げたとしても、死ぬのは別々。
一緒に死ぬとしたら、それは事故か事件か心中しかありません。
仮にほぼ同時に亡くなったとしても、その瞬間は一人一人が背負わなければなりません。
それが冷酷な現実です。
もう自殺してしまったものは仕方ありませんが、学校の統廃合のごとき小さな出来事に抗議の自殺をすることがどれほど愚かしいことかを世間に示すためにも、統廃合は粛々と進めるべきでしょう。