ブログを延滞したので冬になっちまいました。
先日の全日本インカレをもって引退しました、元470リーダーの山本航平です。最近は金欠と卒論の進捗の不味さが相まって、バイトと卒論執筆に明け暮れており、特段人との関わりも無くなってしまいましたが、後輩から送られてくる練習の動画が生きる上でせめてもの励みになっています。感謝感謝。
まずは、先日の全日本インカレを終えた所感ですが、端的に「弱さ」を突きつけられました。チームリーダーとしても一選手としても、負けてしまったことに対して責任を感じています。沢山の人に応援していただいた中で結果を残すことができなかったことは、本当に悔しく感じています。
結局チームで掲げた目標や行動指針に到達できていなかったという成相の指摘はもっともだと思いますが、他にも色々あることと思います。現役で考えといてください。
今回のブログを書くにあたっては、友人の立教健児から教わった「道を示して己を示さず」の精神に倣って、個人的な思い出よりも、4年間の経験を経て自分が感じたことを書き綴らねます。
「弱さ」とは何か、それはもちろん狭い意味では否定し克服されるべきものかもしれません。しかしそもそも、人間は弱いのではないか、そういうものではないのか、と思います。僕の4年間での大きな気づきは、人間とは弱さである、ということです。僕の母校でも、古文の先生は「人間の本質は葛藤です」と言っていたが、どうもそういうことみたいです。人間の人間たる所以は、弱さであり、矛盾、葛藤であるのではないか、と思うわけです。
この等式が成り立つ以上、人は一旦これを引き受ける必要があるのではないか、というのが僕の結論です。弱さや葛藤を引き受けなくてもいいのは、人間未満(ネコ😹など)か人間を超越した神です。(言われてみれば、小松さんはヨットの聖母の処女懐胎で生まれた「ヨットの神」なので、例外です。)
練習から逃げたい弱さ、他人の意見?批判に耳を塞ぎたくなる弱さ、感謝を伝えるべき時に伝えられない弱さ云々、ヨット部で生活していると、こんなことはよく起こります。でも、それは必ず「葛藤」として現象します。例えば「練習しないと上手になれない」という意識を持てない人には練習から逃げたい弱さが自覚されることはないはずです。
この類の弱さや葛藤を、単に否定的なものとして否定することも、反対に肯定的な何かを理想として持ち上げて、直接にそれになろうとするのも無意味です。というか無意味でした。
具体的には、技術的な話で言うと、己の下手さを否定することと、岡田圭樹さんをいきなり目指し始めることは同じように、「弱さ」からの逃走であり、背走です。小松さんの教えの本質もここにあると思います。(誰か上手い人が言ってた話を鵜呑みにして今までのやってきたことを顧みずに真似っこだけするのを、小松さんに何度となく咎められた人は多いと思います。)
「人間」とは弱さであり葛藤であると言うのは、僕の世界観ですが、同時に一つの真理だと考えています。だからこそ、葛藤=弱さを露悪的に表現する太宰治も、ある種の理想主義的なマッチョイズムでこれらを自覚的に覆い隠そうとする三島由紀夫も、一見正反対に見えるが根底は同じ類の「弱さ」を抱え込んでおり、多くの人の感情に訴えるわけであります。
ヨット部のチーム作りにしても、悪いチーム像を否定、いいチーム像を肯定、という枠組み自体は当然持たなきゃいけないと思うけれど、その過程が大事で、いきなり表面的な部分を真似てそれを体得することは原理的に不可能であり、必ず葛藤に向き合ってステップを踏まないといけないわけです。
端的な否定ではなく、今までの良いも悪いも飲み込み乗り越えていくときに、それは「強さ」へと繋がる一縷の希望になるはずで、その先に、東大ヨット部の「文化」が拓けてくるのだと思います。
これは何も、卒論に追われて疲れ切った哲学科の寝言ではなく、小松さんが常日頃おっしゃっていたことを自分なりに飲み込める形に変形したものであり、小松さんのいろんなお話もこの一点に懸かっていたのではないかとさえ思われます。思い返してみると、技術面も組織面も、地に足のついた試行錯誤の繰り返しの中にこそ、本当に血となり肉となる技術や習慣が根付きうるのだと思うし、このことこそ小松さんが4年間かけて僕たちに実践してくれた教えでもあります。その点で、今年の成相の取り組みが仮に結果として成功に繋がらなかったとしても、一定の意義があると考える所以です。チームの面について考えても、良いチームを作りたいとしても、それは単に過去に存在したチームの中からよさそうな部分をパッチワークみたいにつなぎ合わせてできるようなものではないはずで、毎年最上級学年が抜け新入生が入るという緩やかな断続と連続の中に、良い面と悪い面の葛藤、弱さは必ず染みついているに違いなく、そこに向き合って技術的にも組織的にもより良いところを目指していくところにこそ、人間的成長もチームの発展もあるのではないかと思うわけです。
僕はこの小松イズムを腹の中から理解するまでに時間がかかりました。技術的にももちろんその節はありましたが、チーム面についても2年前の過度な理想化と1年前の過度な否定とが相まって、全てを一からやり直すような方針になってしまったきらいがあります。でも、一年では何かを変化させるのは難しいです。東大ヨット部の益々発展は、「東大ヨット部」なりの正解へ試行錯誤するという、この点に懸かっているのではないかと、LB二ヶ月目の老婆心ながらに考えています。
ブログの締めに入る前にもう一つだけ、反省を残しておきます。これもまた、自分の未熟さとその自覚なのですが、「部活に入り、続けていくモチベーション」と言うものについての解像度が、ある時期まで僕は自分に対しても他者に対しても低かったと思います。なぜ部活に入るのか、ということろは人それぞれですが、自分の場合は適当なサークルに入って運動しつつ、趣味?の読書などをして大学生活を送ろうと考えていましたが、ヨット部がAirPodsの抽選配布をしていたので、ワイヤレスイヤホン欲しさに新歓へ行きました。その時感じたのは、部活にしては緩そうだし、ここなら試合出て活躍できるんじゃないかと言うことでした。中高では野球をしていましたが、大して活躍できず、応援されながら競技することへの憧れから入部しました。入部後も3年生くらいまではヨットそれ自体への興味はそれほど高くなく、レースでの勝ち負けが好きな選手でした。でも、4年目でヨット競技のことが少しずつわかり始めてとても楽しくなりました。それは綺麗事でもなく、関わってくださったみなさまのおかげです。ヨットに出逢えた奇跡、4年生のときに支えてくれたチームメイトのみんな、いやな顔せずに乗ってくれたスキッパーたち、小松さんや本多さんなど、感謝してもし尽くせない気持ちです。また、最後の一年間で、純粋にヨット競技をうまくなりたいというモチベーションを得たことで、そこでようやく自分が部活に何を求めていたのかを自覚できるようになり、同時に必ずしも勝利だけのために部活をやっている訳ではない他の部員の気持ちを少しは理解できるようになりました。「あいつはやる気ねえな」で切り捨て否定するのは簡単ですが、その意識は自分に跳ね返りふとした時に自分に牙を向けます。むしろ、同じヨット部に学部生の四年間を注ぎ、ヨット競技に打ち込み、インカレを目指すというこの一点をみんなで共有しつつ、色んな目的やモチベーションを持った部員が自分の強みを持ち寄ることで、東大ヨット部が回っているのだと、気づいた頃には引退が目前に迫っていました。
この東大ヨット部に入部して、多くの人々に支えられ、多くのことを経験し、多くのことを学びました。僕自身も未だ未熟ではありますが、沢山成長させていただきました。この部活で出会った全ての人や、培った全ての経験に感謝し、その豊かな財産を残りのまだ続くであろう自分の人生の糧にしていく所存であります。本当は関わってくださったコーチやLB、保護者の皆様、先輩、同期、後輩の一人一人に感謝の気持ちを伝えたいところではありますが、それはまた然るべき機会が来た際にさせていただきたく存じます。関わって下さりました全てのみなさま、4年間本当にありがとうございました。引退のとき、それは僕たちの負けが決まったときでしたが、不思議とその日江ノ島で見た空や太陽は、僕たちに寛大でした。僕は、負けが決まってもなお、ヨットというスポーツに出会えて、東大ヨット部に入れて、本当に幸せであることを思い知りました。
最後に、心の中の中原中也が一節だけ詠って、この最後のブログを締めさせていただきます。
港の町の秋の陽は、
今日も大人しい発狂。
僕はその日人生に、
椅子を新調した。
東大ヨット部のますますの活躍と発展を願って。
東京大学運動会ヨット部
山本航平
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