こんにちは。東京大学運動会ヨット部3年の高山です。この度は7大戦にスナイプチームの責任者として参加させていただきました。少々長くなりますが、最後まで読んでいただければ幸いです。
すでにご存じの方も多いと思いますが、7大戦においてスナイプは6校中6位となり、私が入部してから初めて最下位となりました。普段から応援してくださっているLBの皆様に結果を示すことができず本当に申し訳なく思っております。今回のレースメンバーが下級生主体だったということもあり、将来のスナイプチームに対しすべての関係者の方に不安を抱かせてしまったと思うと胸が締め付けられる思いがします。
新歓コンパ以来の投稿なので私が新勧期以降どうしていたか説明させていただくと春インカレはクルーとして山本さんと出場しました。そして、春イン終了後は多賀谷と組んで再びスキッパーとして練習に励みました。7大戦の前にもいくつかレースに参加して、その度に成長してきたつもりです。
金澤が書いてくれた第二回江の島スナイプの記事を読んでいただけた方ならお分かりかと思いますが、私と多賀谷のペアは散々な成績でした。しかし、実際にはあの強豪ひしめくビッグフリートの中で第一レースは東大内でトップでフィニッシュしたり(実際には残り50秒ぐらいで巻き直す前にスタートラインを超えてしまってたようでBFDでしたが)、第3レースも1上でケースを起こすまでは30位前後だったりと手ごたえは感じていました。最終的なリザルトには成果が表れていませんでしたが、それでも去年よりはるかに前を走れていたことで自信がちょっと生まれました。
関東個人選ではたったの2レースでしたが、公式のレースで今までにないようないい順位で終われてまだまだ上はたくさんいますが少し報われた気がしました。第2レースは1下まで15位とかで回れて自分でも驚いていたのを覚えています。また、成績で見ても東大の4艇中2位だったのでレギュラースキッパーに勝てたのはやはり嬉しかったです。
そして、7大戦に出ることが決まって、多賀谷と2人で個人成績では何位を目指すのか話しました。自分達の今の実力を考えて6位を目指そうという話になりました。自分は今年の7大戦の目標を本気で達成しようと思っていました。日ごろから支援していただいているLBの皆様のみならず、高校でヨットを指導していただいた顧問の先生や監督・コーチが間近に見られるところで、高校の時よりも成長したことと感謝を結果という形で示したかったからです。
第1レースはスタートで死んで最下位のところからレースはスタートしましたが、何とかスピードで3艇抜けました。第2レースも2マークまでは5位で回れて(最終的には8位でしたが)、まだまだ当初の目標に対して希望をつなげておりました。しかし、私自身風速が上がった第3レースから先、何が起きてそうなったのかははっきり申し上げて理解できておりません。どれだけいいスタートを切ってもセールが袋になって角度がとれず、いつもでは入らないようなオーバーヒールが入りスピードビルドもできず、最初からレースに参加できませんでした。
昨年購入した新古のセールは普段使っているノースとは違うセールメーカーで、型も古かったためどこを探してもチューニングガイドがありませんでしたが、フリートレース前の上級生との走り合わせでも今までのセッティングでなかなかうまく走れていたため違和感はありませんでした。フリートレースでもそこそこの位置を走れたので疑問は持ちませんでした。ただ、今回の風域でこのセールで走り合わせたことがなかったのは今でも後悔しています。
もちろん、状況を改善しようと努力はしました。普段通りのデパワーは当然のこと、袋になったセールを浅くしようとマストをさらに曲げ、オーバーヒールが入らないようサイドテンションをいつもより少し弱めるなど改善できるところは改善しましたし、これによってこの状況は打破できるはずだと期待しておりました。しかし、現実は厳しいもので少し差が詰まった程度で何も覆せませんでした。今までやってきたことを全て否定されたような気がしました。
大学生になってから初めてのレースだった吉武・あつきにもつらい思いをさせてしまいました。私や多賀谷も再び0からのスタートとなってしまいました。
ただ、幸いなことに私や他の7大スナイプのメンバーにとって、今年の7大戦が最後というわけではありません。私たちはまだ成長します。そして、来年こそはこの屈辱を晴らせてみせます。
とりとめのない内容となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
すでにご存じの方も多いと思いますが、7大戦においてスナイプは6校中6位となり、私が入部してから初めて最下位となりました。普段から応援してくださっているLBの皆様に結果を示すことができず本当に申し訳なく思っております。今回のレースメンバーが下級生主体だったということもあり、将来のスナイプチームに対しすべての関係者の方に不安を抱かせてしまったと思うと胸が締め付けられる思いがします。
新歓コンパ以来の投稿なので私が新勧期以降どうしていたか説明させていただくと春インカレはクルーとして山本さんと出場しました。そして、春イン終了後は多賀谷と組んで再びスキッパーとして練習に励みました。7大戦の前にもいくつかレースに参加して、その度に成長してきたつもりです。
金澤が書いてくれた第二回江の島スナイプの記事を読んでいただけた方ならお分かりかと思いますが、私と多賀谷のペアは散々な成績でした。しかし、実際にはあの強豪ひしめくビッグフリートの中で第一レースは東大内でトップでフィニッシュしたり(実際には残り50秒ぐらいで巻き直す前にスタートラインを超えてしまってたようでBFDでしたが)、第3レースも1上でケースを起こすまでは30位前後だったりと手ごたえは感じていました。最終的なリザルトには成果が表れていませんでしたが、それでも去年よりはるかに前を走れていたことで自信がちょっと生まれました。
関東個人選ではたったの2レースでしたが、公式のレースで今までにないようないい順位で終われてまだまだ上はたくさんいますが少し報われた気がしました。第2レースは1下まで15位とかで回れて自分でも驚いていたのを覚えています。また、成績で見ても東大の4艇中2位だったのでレギュラースキッパーに勝てたのはやはり嬉しかったです。
そして、7大戦に出ることが決まって、多賀谷と2人で個人成績では何位を目指すのか話しました。自分達の今の実力を考えて6位を目指そうという話になりました。自分は今年の7大戦の目標を本気で達成しようと思っていました。日ごろから支援していただいているLBの皆様のみならず、高校でヨットを指導していただいた顧問の先生や監督・コーチが間近に見られるところで、高校の時よりも成長したことと感謝を結果という形で示したかったからです。
第1レースはスタートで死んで最下位のところからレースはスタートしましたが、何とかスピードで3艇抜けました。第2レースも2マークまでは5位で回れて(最終的には8位でしたが)、まだまだ当初の目標に対して希望をつなげておりました。しかし、私自身風速が上がった第3レースから先、何が起きてそうなったのかははっきり申し上げて理解できておりません。どれだけいいスタートを切ってもセールが袋になって角度がとれず、いつもでは入らないようなオーバーヒールが入りスピードビルドもできず、最初からレースに参加できませんでした。
昨年購入した新古のセールは普段使っているノースとは違うセールメーカーで、型も古かったためどこを探してもチューニングガイドがありませんでしたが、フリートレース前の上級生との走り合わせでも今までのセッティングでなかなかうまく走れていたため違和感はありませんでした。フリートレースでもそこそこの位置を走れたので疑問は持ちませんでした。ただ、今回の風域でこのセールで走り合わせたことがなかったのは今でも後悔しています。
もちろん、状況を改善しようと努力はしました。普段通りのデパワーは当然のこと、袋になったセールを浅くしようとマストをさらに曲げ、オーバーヒールが入らないようサイドテンションをいつもより少し弱めるなど改善できるところは改善しましたし、これによってこの状況は打破できるはずだと期待しておりました。しかし、現実は厳しいもので少し差が詰まった程度で何も覆せませんでした。今までやってきたことを全て否定されたような気がしました。
大学生になってから初めてのレースだった吉武・あつきにもつらい思いをさせてしまいました。私や多賀谷も再び0からのスタートとなってしまいました。
ただ、幸いなことに私や他の7大スナイプのメンバーにとって、今年の7大戦が最後というわけではありません。私たちはまだ成長します。そして、来年こそはこの屈辱を晴らせてみせます。
とりとめのない内容となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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