守屋紹介ありがとう。
初めまして。理科一類の山本丈夫と申します。丈夫と書いて「じょう」と読みます。初対面だと8割くらいの人に「じょうぶ君」と呼ばれますが、会話のきっかけになるので助かってます。
生まれは埼玉で、2歳のころ東京の三鷹市に越してきました。「三鷹に住んでます」と言うと5割くらいの人に「三鷹寮なの!?」と聞かれますが、会話のきっかけになるので助かってます。
父親の影響で小一の時に剣道を始めました。最初はチャンバラっぽくて楽しかったのですが、徐々にワクワク感が消えていき、惰性で続けている感じでした。小五の時に漫画「六三四の剣」を一気読みし、漫画とか映画とかそういうものに影響されやすい僕は「剣士、めちゃめちゃカッコよくね!?」となり剣道が楽しくなっていったのですが、結局数ヶ月で熱が冷めてしまい、また惰性で続けるようになりました。そのままの流れで中学でも剣道部に入部したのですが、同期が4人でゆるい雰囲気だったために、不完全燃焼のまま引退してしまいました。
高校受験で筑波大学附属駒場高等学校に入学しました。パソコン研究会という部活に入り、競技プログラミング(競プロ)という数学とパズルとプログラミングを組み合わせたようなものに熱中しました。入学時はコロナでずっとオンライン授業だったこともあり、一日中パ研の同期と競プロをする日々でした。初めのうちは勉強するたびに新しい問題が解けるようになり成長を実感できましたが、徐々に実力が停滞し、その間に頭の良すぎる同期たちはどんどん実力を伸ばしていってしんどかったです。結局高二の冬に学校行事や受験を言い訳にして競プロからは離れました。
大学に入学した当初、運動部に入部するつもりは全くありませんでした。高校の時からものづくりが大好きで、大学でもやりたかったので、ロボコンに出場するサークル(RoboTech)に4年間打ち込み、あとはゆるいサークルで交友関係広げてのんびり大学生活送りたいなと考えていました。ただ新歓期間はとにかく色んな団体に行ってみようと考えていたので、テント列では声をかけられたら絶対に話を聞きに行くというルールを決め回りました。テント列終盤、魔のテニサーゾーンをすり抜け、その先にいたヨット部もテニサーの流れでスルーしそうになりましたが、半ば強引に連れ込まれ話を聞きました。「毎週合宿!?楽しそう!!」とヨットとは関係ないところに興味を惹かれ、テント列を抜けたところにいた友達と一緒に試乗会に申し込みました。二人乗りのディンギーだと先輩と一対一になって気まずくなりそうだと考えたのでクルーザーに申し込みました。
試乗会当日、三崎口駅からうらりマルシェに向かう車の中で、ヨット部の人たちの仲の良さや、海の男感あふれる温かい雰囲気に感動しました。この部活、ワンチャンあるぞ、と思いました。その日は運良くクルーザーもディンギーも乗れたのですが、どちらも細いワイヤーしか掴むところがなくて怖かったです。レスキューは想像の3倍速くてもっと怖かったです。
先輩に言われるがまま翌週の試乗会も申し込みました。ヨット自体は怖い印象が強かったので、正直あまりいきたくありませんでしたが、当日の天気が雨予報で急にワクワクしてきました。結局ヨットにはあまり乗れなかったのですが、雨の中レスキューに乗ってるのが海軍っぽくて楽しかったです。ヨット部の雰囲気は先週同様最高でした。
その後色んな団体の新歓に行ったものの、雰囲気が合うところになかなか出会えず、ヨット部入部がだいぶ現実的なものになってきました。RoboTechの活動も自分がやりたいことと完全に一致してて最後まで悩んだのですが、ヨット部に入部することに決め、三回目の試乗会で入部宣言しました。
ヨット部入部を決断した理由を考えると、一番は先輩たちの雰囲気かなと思います。僕は正直(参加した試乗会のコンディションの影響もあると思いますが)ヨットで風を切る爽快感みたいなものがあまり感じられず、「海広くて気持ちいいな」くらいでした。ただ、試乗会で感じた学年を超えた仲の良さや、海の男のカッコいい雰囲気などに魅了され、ここなら四年間本気で活動できると確信しました。僕は昔からアクション映画が好きで、そこに出てくる屈強でタフな頼り甲斐のある人たちにどこか憧れがあったのですが、先輩たちの姿がそれに重なったというのもあります。
試乗会ではヨットの楽しさがあまりわからなかったのですが、八景練で目覚めてしまいました。最近はディンギーセーリングやネット記事などで知識を詰めてバーチャルレガッタでヨット欲求を発散する日々を送っています。
これで今年の新入生自己紹介は終わりです。19人全員でこれから頑張っていきます。まだまだ未熟ですがどうぞよろしくお願いします。
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