しょうた、紹介ありがとう!ヨットバカっていっても「今までヨットにぽけーっと乗ってきたただのバカ」なんですけどね。たくさん練習に打ち込んでヨット大好き人間という意味でのヨットバカになりたいです。
こんにちは。文科三類の太田薫です。井出君の紹介にもあったように通称(さすがに自称ではない)「かおるっぺ」でございます。あ、そっち系の子なのね。と大半の方がお思いになったことでしょう。まあそっち系であるのは間違いないんですが、「かおるっぺこと太田君」をスルーしたらそうだと自分で認めているような気がするので、無駄だとは思いつつもあえてまともな人間だということを示すために、くだらない話を少々させていただきます。ご容赦くださいませ。かおるっぺ誕生の秘話は小学生の時にまで遡ります。僕が所属していた清水ヨットスポーツ少年団はそのころ男2女4というヨットクラブにしては珍しい状況でして、なぜかこの僕がかわいいキャラとなっておりました。そんなこともあり、いつの間にかそう呼ばれるようになり(途中からぺっぺという謎の変化を遂げましたが)、当時の僕はまんざらでもなかったのでしょう、中学生でLINEを始めた際に名前をかおるっぺにしたことでそいつは世に放たれることになりました。内心どこかでそうすればかわいがられるだろうという目論見があったのでしょうが、甘かったですね。中高ともにかおるっぺと呼んでもらえず、稀に呼んでくれた時も「かおるっぺ(´゚ω゚)ブッ」みたいな感じで、「っぺ」と己の限界を痛感したわけであります。が、しかし。「っぺ」の高校デビューの夢も儚く散りちょうど名前変えようと思っていた矢先のことでした。イッテQに強力なライバルが出現し思わず目を見張りました。そうです、「ゆめっぺ」です。テレビで彼女を見るたびに強烈な嫉妬感と変なライバル意識が芽生え、何が何でも「っぺ」を貫こうと決意して今に至ります。大学生で「っぺ」はさすがにイタいだろう、そして何より東大だからどんなに冷たい視線を浴びることになるのだろうと内心びくびくしていましたが、なんと!すぐに皆さんかおるっぺ呼びしてくださいました。懐かしのあの頃のチヤホヤ感が、再び。名付けてくれた子とゆめっぺに感謝ですね、ありがとうっぺ。
やっとのことで念願のかおるっぺ呼びが定着してきたと思ったら、またしても強力なライバルがなんとヨット部内に出現しました。ライバル意識が再びメラメラと燃え上がっております。グッチー、君には負けないよ。
前置き、というか余談、というかもはや戯言を長々と失礼しました。もうお分かりかと思いますが僕は自分語りが大好きな質でして、このテンションでこのままいきます。ご容赦ください。読み飽きたよ、君の顔はもう見たくないよという方は一番最後に自己紹介の要約が書いてあるのでせめてそちらだけでもお読みください。
改めまして文科三類9組の太田薫です。父の仕事の関係で、出身はサグラダファミリアで有名なスペインのバルセロナ、だそうです。というのも3歳までしか向こうにいなかったためまったく記憶がないのです。自己紹介でこの話をすると8割くらいの確率で「へぇーかおるっぺすごいね!ちょっと話してみてよ」と言われます。それに「あーごめんね、3歳までしかおらんかったから無理なんよ」と返した時の何とも言えない表情の相手を見るのがつらく、自信をもってスペイン出身だと言えるようになりたいと思い二外をスペイン語にしました。当時幼稚園で話していたということで、少し勉強すれば思い出すのでは?という淡い期待を抱いていましたが、思い出すどころか、散々たる小テストが返却される度に再履が現実味を帯びてきてかなり焦っています。Muy pien.
日本に来てからは静岡で育ちました。自称サッカー王国の静岡では、ほとんどの子がまずはサッカークラブに入ります。例にもれず僕も幼稚園から小4まで「お団子サッカー」を楽しんでおりました。周りが野球とかバスケとか始めたのに触発され新しいスポーツをやってみたいなと思っていたころ、父(ヨット未経験)が清水の三保のヨット試乗会に参加したときについていったら、いつの間にかヨットを始めていました。初めて乗った時にバカ楽しかった記憶はないので、サッカーと違ってマイナースポーツなら活躍できるのではという小4にしてはいやらしい下心で始めたのだと思います。小4から中2まではOP級に、中3から高3まではレーザー級に乗っていました。OP時代はヨットの原理とか全然解っていなかったのでレースでは前を走れなかったですが、週末にみんなでわいわいと遊び感覚で乗っていました。中3になってレーザーに転向した頃には毎週練習する子はほぼ僕と2つ上の女の子だけになってしまいました。ほかのヨットクラブに比べて同年代の子が少なく寂しかったですが、その代わり三保のおじさんたちがたくさんかわいがってくれました。(あ、かわいがるっていうのはヤンキーが使う方の意味です)。永遠と帆走練習をしてビシバシ鍛えてもらいました。陸でも気にかけてくれてたくさん絡んでき(てくれ)ました。少し鬱陶しく感じる時もありましたが、今思えばヨットの基本とおじさんたちとの付き合い方が身について感謝しています。ありがとうっぺ。
さて、そろそろ入部した経緯に移ります。というか大学でヨット部に入ることは確定していたので、なんで東大にしたのかを話したいと思います。理由はいたってシンプルです。寒がりでアトピー持ちなので「🔎ヨット部 国立 暖かい 水がきれい」でヒットしたのが東大だったからです。
かっこいいホームページに惹かれてこのブログに出会ってからは毎日チェックしていました。ブログから伝わってきたのは先輩方の熱い想いと雰囲気の良さです。ヨットに真摯に向き合いとことん追求するする姿。合宿生活でのワイワイ楽しそうな姿。写真と文章だけでしたがひしひしと伝わってきました。部活という部活に入ったことがなくオラオラ系の体育会に対する憧れがあった僕は、ブログを読み漁るたびに入部したい思いを募らせていました。そのおかげでモチベーションMaxで受験期を乗り切ることができました。
実際に入部して感じたのは、皆さんの人柄がとても良いということです。そして思ったよりも陰キャで大人しい方が多いということです。みなさんブログでは空元気に振舞っていたのでしょうか。もっとオラオラ系を想像していたので少々拍子抜けしましたが、とても素敵な部の雰囲気だと思います。人柄に関しては海や風という自分ではどうにもならない自然を相手にしているから、精神的な余裕がありそれが優しさにつながっているのだと思います(経済的な余裕はちょっと…笑)。僕も先輩たちのように泰然自若とした頼りがいのある人になりたいです。
最後になりますが、強豪校の揃う葉山でピカピカの合宿所で大所帯という最高の環境で練習できることのありがたさを噛みしめて、4年間すべてをヨットに捧げる所存でございます。精一杯頑張りますのでよろしくお願いします!
ということで東大のブログを書くという長年の念願が叶ったわけですが、話があっちこっちいってしまって文才のなさを露呈しただけの自己満ブログになってしまいました。東大ヨット部ブログって高校生の僕が読み漁っていたように色んな人が見るんですよね。もう失望した方はたくさんいらっしゃると思いますが、未来の東大生の卵がこれを読んで失望しないことを願うばかりです。これからはがんばるっぺ。(←そういうところ。)
要約
ヨットバカ スペイン出身静岡育ち あだ名がかおるっぺ 小4からヨット このブログのおかげで東大合格 自分語り好きなくせに文才皆無 大学生活をヨットに全振りしようとしているバカ
次は、何事も器用そうでオトナな雰囲気が漂う大橋君です!この散々たるブログ💣の火消しをよろしく頼んだ!
こんにちは。文科三類の太田薫です。井出君の紹介にもあったように通称(さすがに自称ではない)「かおるっぺ」でございます。あ、そっち系の子なのね。と大半の方がお思いになったことでしょう。まあそっち系であるのは間違いないんですが、「かおるっぺこと太田君」をスルーしたらそうだと自分で認めているような気がするので、無駄だとは思いつつもあえてまともな人間だということを示すために、くだらない話を少々させていただきます。ご容赦くださいませ。かおるっぺ誕生の秘話は小学生の時にまで遡ります。僕が所属していた清水ヨットスポーツ少年団はそのころ男2女4というヨットクラブにしては珍しい状況でして、なぜかこの僕がかわいいキャラとなっておりました。そんなこともあり、いつの間にかそう呼ばれるようになり(途中からぺっぺという謎の変化を遂げましたが)、当時の僕はまんざらでもなかったのでしょう、中学生でLINEを始めた際に名前をかおるっぺにしたことでそいつは世に放たれることになりました。内心どこかでそうすればかわいがられるだろうという目論見があったのでしょうが、甘かったですね。中高ともにかおるっぺと呼んでもらえず、稀に呼んでくれた時も「かおるっぺ(´゚ω゚)ブッ」みたいな感じで、「っぺ」と己の限界を痛感したわけであります。が、しかし。「っぺ」の高校デビューの夢も儚く散りちょうど名前変えようと思っていた矢先のことでした。イッテQに強力なライバルが出現し思わず目を見張りました。そうです、「ゆめっぺ」です。テレビで彼女を見るたびに強烈な嫉妬感と変なライバル意識が芽生え、何が何でも「っぺ」を貫こうと決意して今に至ります。大学生で「っぺ」はさすがにイタいだろう、そして何より東大だからどんなに冷たい視線を浴びることになるのだろうと内心びくびくしていましたが、なんと!すぐに皆さんかおるっぺ呼びしてくださいました。懐かしのあの頃のチヤホヤ感が、再び。名付けてくれた子とゆめっぺに感謝ですね、ありがとうっぺ。
やっとのことで念願のかおるっぺ呼びが定着してきたと思ったら、またしても強力なライバルがなんとヨット部内に出現しました。ライバル意識が再びメラメラと燃え上がっております。グッチー、君には負けないよ。
前置き、というか余談、というかもはや戯言を長々と失礼しました。もうお分かりかと思いますが僕は自分語りが大好きな質でして、このテンションでこのままいきます。ご容赦ください。読み飽きたよ、君の顔はもう見たくないよという方は一番最後に自己紹介の要約が書いてあるのでせめてそちらだけでもお読みください。
改めまして文科三類9組の太田薫です。父の仕事の関係で、出身はサグラダファミリアで有名なスペインのバルセロナ、だそうです。というのも3歳までしか向こうにいなかったためまったく記憶がないのです。自己紹介でこの話をすると8割くらいの確率で「へぇーかおる
日本に来てからは静岡で育ちました。自称サッカー王国の静岡では、ほとんどの子がまずはサッカークラブに入ります。例にもれず僕も幼稚園から小4まで「お団子サッカー」を楽しんでおりました。周りが野球とかバスケとか始めたのに触発され新しいスポーツをやってみたいなと思っていたころ、父(ヨット未経験)が清水の三保のヨット試乗会に参加したときについていったら、いつの間にかヨットを始めていました。初めて乗った時にバカ楽しかった記憶はないので、サッカーと違ってマイナースポーツなら活躍できるのではという小4にしてはいやらしい下心で始めたのだと思います。小4から中2まではOP級に、中3から高3まではレーザー級に乗っていました。OP時代はヨットの原理とか全然解っていなかったのでレースでは前を走れなかったですが、週末にみんなでわいわいと遊び感覚で乗っていました。中3になってレーザーに転向した頃には毎週練習する子はほぼ僕と2つ上の女の子だけになってしまいました。ほかのヨットクラブに比べて同年代の子が少なく寂しかったですが、その代わり三保のおじさんたちがたくさんかわいがってくれました。(あ、かわいがるっていうのはヤンキーが使う方の意味です)。永遠と帆走練習をしてビシバシ鍛えてもらいました。陸でも気にかけてくれてたくさん絡んでき(てくれ)ました。少し鬱陶しく感じる時もありましたが、今思えばヨットの基本とおじさんたちとの付き合い方が身について感謝しています。ありがとうっぺ。
さて、そろそろ入部した経緯に移ります。というか大学でヨット部に入ることは確定していたので、なんで東大にしたのかを話したいと思います。理由はいたってシンプルです。寒がりでアトピー持ちなので「🔎ヨット部 国立 暖かい 水がきれい」でヒットしたのが東大だったからです。
かっこいいホームページに惹かれてこのブログに出会ってからは毎日チェックしていました。ブログから伝わってきたのは先輩方の熱い想いと雰囲気の良さです。ヨットに真摯に向き合いとことん追求するする姿。合宿生活でのワイワイ楽しそうな姿。写真と文章だけでしたがひしひしと伝わってきました。部活という部活に入ったことがなくオラオラ系の体育会に対する憧れがあった僕は、ブログを読み漁るたびに入部したい思いを募らせていました。そのおかげでモチベーションMaxで受験期を乗り切ることができました。
実際に入部して感じたのは、皆さんの人柄がとても良いということです。そして思ったよりも
最後になりますが、強豪校の揃う葉山でピカピカの合宿所で大所帯という最高の環境で練習できることのありがたさを噛みしめて、4年間すべてをヨットに捧げる所存でございます。精一杯頑張りますのでよろしくお願いします!
ということで東大のブログを書くという長年の念願が叶ったわけですが、話があっちこっちいってしまって文才のなさを露呈しただけの自己満ブログになってしまいました。東大ヨット部ブログって高校生の僕が読み漁っていたように色んな人が見るんですよね。もう失望した方はたくさんいらっしゃると思いますが、未来の東大生の卵がこれを読んで失望しないことを願うばかりです。これからはがんばるっぺ。(←そういうところ。)
要約
ヨットバカ スペイン出身静岡育ち あだ名がかおるっぺ 小4からヨット このブログのおかげで東大合格 自分語り好きなくせに文才皆無 大学生活をヨットに全振りしようとしているバカ
次は、何事も器用そうでオトナな雰囲気が漂う大橋君です!この散々たるブログ💣の火消しをよろしく頼んだ!
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