新入生自己紹介以来の投稿となります、一年の髙田智彰です。
昨日の小川の投稿に続いて、シアトルワールドの振り返りをしたいと思います。
ワールド出場が決まったのは、僕が東大に入る前なので、それまでの事務作業等は先輩方がほとんどやってくださっており、僕たち一年生はその甘い汁を吸わせていただくような形でした。だからこそ、この一週間でしっかりと勉強していろいろなことを吸収しなければいけないなと思っていました。
とは言え、当然僕はワールド出場メンバーではなく、サポートメンバーとしての渡航であり、前々から「もしかしたら、ほかの船に欠員が出て乗れるかもしれないよ!」と言われていたものの、サポートメンバーがシアトルに着くのは大会一日目だったので、「もうレースがスタートしてしまった後に探すのは厳しいのでは?」と考えていました。
ここからは一日ごとの短い振り返りをしていきたいと思います。
一日目
羽田空港に集合して午後4時ごろに日本を出発。ついたのは現地時間の午前9時ごろでした。ただ、入国審査ですこし問答があり、怖い思いをしました。
「入国の目的は?」
「ヨットレースに出るためです。」
「何人乗り?」
「6人です。」
「でも君達4人で来てるよね?」
「それは、僕たちはサポートメンバーなので…」
「わかった。でも入賞したら賞金とか出るんじゃないの?」
「すいません。よく知らないです。」
「知らないってことないだろ笑?」
ここでタトゥーの入った怖い審査官追加。二人で何やら話し合い、なぜか入国許可。二度と入国審査は受けたくないですね。視線で殺されそうでした。
空港にはシアトル淡青会の方が車で迎えに来てくださり、ハーバーまで送ってくださいました。ハーバーに着くと、日本ではまず見ることのない数のヨットに圧倒されました。マストの数がとんでもないので、向こうの景色が良く見えないのです。ハーバー到着は昼前ぐらいでしたが、この日は風が弱く、まだ仰秀チームは出艇していませんでした。先輩方に挨拶をすると、もうそろそろ出艇だということなのでサポートメンバーはやることもなく、その日は周辺を散歩してアメリカの空気を味わっていました。
大会期間中は毎晩パーティーが開かれるので、そこで顔を売って、乗せてもらえる船がないか探そうとしていましたが、その日はパーティー入場のために必要なリストバンドのようなものを買うのに手間取ってしまい、良い収穫もないままその日を終えました。
二日目
今日も引き続き、乗せてもらえる船がないかと朝からハーバーを巡っていました。大和さんが、僕たち一年生を連れていろんな船の方に声をかけてくださり、レースにでる船で乗せてもらえるところは見つかりませんでしたが、上マーク付近の運営艇に乗せてもらえるよう交渉してくださり、この日はこの船に乗ってレース見学をさせてもらいました。
この日の第一レースで仰秀は一上一位で回航しました。次第に近づいてくる艇団の大きさに圧倒されながら、小川と「あれ、なんか仰秀速くない!?」と興奮していました。そのまま一位回航をしたときは、嬉しさに流されるまま仰秀インスタにその旨を投稿しました。船に乗っていた運営スタッフの方も「君たちの船めちゃくちゃ速いじゃん!」と声をかけてくれました。多分この景色は一生忘れないと思います。
その日のレースが終わり、パーティーが始まると、僕たちの顔を売る時間の始まりです。一日目はそんなに時間が取れなかったのであまり気にしていませんでしたが、とにかく声がかけずらい。大前提として全員英語を話していますし、なんとなく顔見知りだったりのグループで話しているのです。先輩方に引っ張ってもらいながら、何チームかに声をかけたのですが、芳しい結果は得られませんでした。
三日目
この日もヨット探しをしましたが、見つからず、運営艇に乗せてもらえるかもと、聞きに行くも今日は船が満員だからダメと言われてしまいました。この日はシアトル淡青会の方が、シアトル観光に連れて行ってくださるとのことだったので、それに同行させてもらいました。正直なところ、せっかくだから観光も少ししたいな、という思いがないわけではなかったので良い体験ができました。
夕方ハーバーに帰ってきてからはまた、パーティーでの顔売りです。この日は梅さんと秀さんのアイデアで胸と背中に「名前」「体重」「船を探しています」という内容を書いたビニールテープを貼り、パーティー会場を回りました(見出し画像がその写真)。これが効果てきめんで、いろんな人に声をかけてもらいました。苦笑いする人もいましたが。それでも乗せてくれるヨットは見つかりません。この日は多くの人に声をかけられたり、写真を撮られたりしたのに見つからなかったことから、結構心が折れていました。
四日目
この日は二日目に乗った運営艇に乗せてもらえることができました。あいにくの雨模様でめちゃくちゃ寒かったですが、レースを間近で見られました。この日、仰秀はあまり振るわず、U25のトップの座を明け渡すこととなってしまいました。長いことレースを見ていると、順位のよい船と悪い船は船の上での動作があまりうまくいっていなかったり、スピンがきれいに張られるまでのスピードが全然違ったり、という違いがあるなということに気づき始めました。小川と、「風ふれたね」「ブロー近づいてきてるけどすぐ抜けそう」「陸側で風が弱そうなのは陸のブランケだからじゃないか?」などと色んなことを話し合えたのもいい経験だったと思います。
夜は、パーティーを早々に抜け、シアトル淡青会の方々とのパーティーに行きました。シアトル淡青会の方々は様々な業種に就かれており、なぜ海外で働くことになったのかなどのお話を伺えたのはとてもよかったです。僕はそこにいらした方と連絡先を交換させていただき、将来を考えるという意味でもよい機会となりました。
五日目
朝ハーバーに向かうと、源さんが僕たちのところに「欠員が出たところがあるらしい!」と走ってきました。詳しく話を伺うと、一名体調を崩してしまったチームがあったらしく、そのチームの方が、僕たちがテープを貼ってパーティー会場を巡っていたのを覚えていてくださったそうです。ただ、席は一つ。小川との魂のじゃんけんの結果、僕が勝利し、最終日にしてレースに出られることになりました。
無事体重測定もクリアし、そこからは受け入れてくださったチームCaramellaの皆さんと一緒に過ごしました。この日は風が弱く、レースができるかどうかもわからないような天候でしたが、何とか一レースできることに。「大学のヨットクラブって何人くらいいるの?」「何専攻してるの?」「ヨット始めてどれくらい?」など様々なことを聞いてくださり、それに何とか答えているとあっという間にレースの時間に。
船の上で、僕がやるべき仕事について教えてくださり、いつもと違う役割分担で若干戸惑いはありつつも、ついにレースが始まる5分前となりました。スタートラインに並ぶ船の尋常ではない数に圧倒されながらついにスタート。Caramellaはリコールしてしまい、船は少し険悪になりましたが、それでも慣れない僕に声をかけつつレースを走っていました。
仰秀とは様々な違いがありました。ジェノアにつく大量のテルテール、もともとついていないトッパーとフォアガイ、頻繫に行うポジション移動(これは僕がいるからかもしれませんが)。日本でのレースとの大きな違いは上マークにリーチングがあることだと思います。ここの時間の余裕があるからこそこのような違いが生まれてきているのだと思いました。
結果は仰秀もCaramellaも芳しくなく何とも言えない空気が船の上に流れていましたが、Caramellaは何回もワールド出場経験があるらしく、船の上架が混雑するからと、すごい勢いで解装をはじめ、全体で二番目に上架してもらっていました。その後、乗せてもらったお礼を言い、また次のワールドで会おう!と約束し、別れました。
その後仰秀チームと合流し、最後の表彰式兼パーティーに向かいました。残念ながら仰秀は目標だったU25優勝を果たすことができず、僕も悔しい思いをしながらU25の表彰を見ていました。次があれば、絶対に僕たちがあの場に立ちます。
その後、宿で片付けをし、帰国の準備をしました。
6日目
朝、シアトル淡青会の方が空港まで送ってくださり、そのまま飛行機で帰国しました。出国審査も入国審査と同じくらい厳しいのではないかとドキドキしていましたが、何事もなく出国。無事午後2時に日本に着きました。
ここまで長文を読んでくださり、本当にありがとうございました。言いたいことはもう言い尽くしたと思いますが、最後に一つだけ。
小川も書いていましたが、ワールドという具体的な目標が定まった良い経験となりました。僕たちを支援してくださったLB会、シアトル淡青会、保護者の方々、そして現地で忙しいのにもかかわらず僕たちの面倒を見てくださった先輩方、本当にありがとうございました。これからも精一杯頑張りますので応援のほどよろしくお願いいたします。
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