東大ヨット部前ディンギー班主将の西尾です。
気が付けば、あの小戸から早2か月が経とうとしています。
勝負にヒリヒリしていたあの小戸。
最後、3艇が静かに曳航されてかえっていきました。
あー、もうこれでヨットに乗るのは最後なんだ、、、と
あのとき感じていたこと、そして時間が経って今思うこと、
振り返れば、この4年間、そして最後の一年間は本当に多くの方々に支えられてきました。
こんなにも多くの人の支えのもとで、
ヨットができ、また歴史ある東大ヨット部の主将まで務めさせて頂けたこと、大変幸せに感じます。心よりお礼申し上げます。
まずは、LBの皆様。
特に理事長の岸野様には、日頃から密接にやり取りをして下さっていました。岸野さんとは、ほぼ毎日何かしらのご連絡のやりとりをさせて頂き、ときには毎週のようにお会いすることもありました。
その分、歴代の主将の中で、多くのご迷惑をかけてしまった人になってしまったと思います。
計画性がなく戸惑ったり、レスポンスが遅かったり、失礼なことを申し上げたり、、、
それなのに、岸野さんのお仕事の進め方はいつも完璧で、私のフォローまでして下さり、頭があがりません。私が見えていないお仕事も裏でいっぱいあるということを思うと、本当に信じられません。
お仕事もお忙しい中、私以上に仕事をやって下さり、常に現役を思い、だからこそ、現実的で客観的なご意見を賜り、その温かさに触れるたび「頑張ろう」と励まされ続けました。
本当に岸野様がいらっしゃらなければ、今年を乗り切ることができませんでした。ありがとうございました。
もちろん、岸野様だけではありません。
島田会長をはじめ、理事の皆様、そのほかすべてのLBの皆様に感謝申し上げます。
東大ヨット部は現役とLBの皆様とつながりが強固にあり、皆様の現役を思う気持ちによって支えられていることを様々な活動を通して実感しました。
七大戦も代替わり直後から話しあいを重ねて下さり、
また、レスキュー一つ葉山に移動させるのも、どれだけのLB様の尽力があったことか、、、
ここでお名前を挙げるのが無理なほど、多くのLBの皆様の想いがあります。
そして、今年度はなんといっても、クラブハウスの設立がありました。これにあたり、多大なるLBの皆様のご尽力、そして並々ならぬご寄付、ご協力を頂きました。本当に厚く御礼申し上げます。
このクラブハウスにより生活環境は劇的に改善しました。住環境だけでなく、部員の意識も変化したように思います。この建物を後世にのこるよう、掃除なども以前にくらべ各段に力が入り、完璧ではないにしてもきれいに保たれつつあります。
この東大ヨット部の節目の年に、主将としてキックオフできたこと大変光栄に思います。重ね重ねになりますが、本当にありがとうございます。
LBさんの支えは、現役部員からは見えづらいと思い、ことあるごとに伝えてきたつもりです。どうかこれからもLBさんへの感謝の気持ちは忘れないでください。きっと、想像している2, 3倍、いやもっとそれ以上の何十倍、現役のためを思って行動してくれています。
小松さん。
小松さんのような素晴らしいセーラーに出会えたことは一生の宝です。
私は小松さんの指導を受けたくて、東大に入学したとまで言っても過言ではありません。
初めて小松さんにお会いし握手したときの感動は今でも忘れられません。
小松さんにはいつも身に余るお褒めのことばを言って頂き、照れ笑いをしつつも、私の大きなモチベーションでした。でも、小松さん最後の全体mtgでは流石に私を泣かせにきてくれてたのかなと思うぐらい、褒めちぎってくれました。おかげさまで、後から同期に西尾の話ばかりでズルイと嫉妬されてしまいました。でも、話して下さったことはすべてが懐かしく、小松さんとの熱い思い出ばかりです。動作練習が好きで、自主練が好きだった私は、本当に小松さんに迷惑ばかりかけていたと思います。朝から晩までタックとジャイブ練習に付き合って下さる、そんなコーチはいないと思います。また、小松さんmtgは個人的には大好きでした。最後の年、あまり時間をとれず申し訳なかったです。今でも小松さんmtgの内容は鮮明に覚えています。「なーに、暗い顔しちゃってんだ、1レース目より、2レース目」「今日より明日」「毎日上手くなっていけばいいんだ」、幾度となく励まされました。
これからも、次元流っぽくまっすぐ前に突進しつつ、日々人間として成長していきます。
矢野さん。
まさか、矢野さんがコーチになるとは思ってもみなかったです。青天の霹靂、、、矢野さんは小学校からの幼馴染。もはや、しんちゃん。
常に目の上のたんこぶ的な存在で、良きライバルでした。だからこそ、しんちゃんに指導される日が来るとは思わなかった。けど、やっぱり、僕の扱いが上手いというか、やる気スイッチの入れ方が上手いというか、、、うまく乗せられてました。でも、お陰でスナイプは各段に早くなったし、チームも強くなったと思います。今度はコーチ対決かな!?
技術指導だけでなく、備品管理から遠征準備等、本当に様々なバックアップありがとうございました。
本多さん
本多さんもちっちゃい時からの仲間ですね。まさか、同じチームとして関われることがあるとは思わなかったです。本多さんはチーム作りの根本から見直して頂き、劇的にチームが変わりました。あと、もう少し、時間があれば、、、と悔しい気持ちもありますが、本当にいいご指導をありがとうございました。もっと、もっと、ヨットの話、チーム作りの話がしたかったですね。これからもよろしくお願いします。
そして監督チームの皆様。
お仕事で大変お忙しい中、現役を客観的に、長期的に、冷静に、観察し、導いてくださったこと、お礼申しあげます。私たちのわがままな主張によって頭を悩ませてしまったことも多く、ご苦労をおかけしました。今後、ますます現役との意思疎通を図ってくださると伺っています。どうぞ、今後とも現役をよろしくお願いします。
先輩方、
どれだけお世話になったか、表現できないほど、本当にお世話になりました。
おそらく、自分の意見に頑固だったり、理想が高かったり、態度が大きかったり、めちゃくちゃ扱いづらかったと思います。なのに、いつも先輩方は僕に寄り添って下さり、時には、相談相手として僕の話をじっくり聞き、陰ながら支えて下さったり、、、ありがとうございました。夜中に急におしかけたり、、、本当にすみませんでした。
憧れの先輩、気遣いが素晴らしい先輩、笑いの絶えない明るい先輩、幾度となく先輩方の背中を追いかけてきました。
一番、尊敬しているところは、ヨットがそしてヨット部が大好きなところです。ヨットのことなら、どんな努力も惜しまない、そういった姿勢が私の見本でした。
自分はそういう先輩になれたんでしょうか。とうとう先輩たちに追いつけず、引退することになってしまいそうです。
これからもヨット仲間として優しく迎え入れて下さるとうれしいです。今年一年間の面白い土産話をいっぱいします!
同期へ
高校まで学校の部活動ではなくヨットを個人で活動してきた僕にとって、みんなが初の同期でした。一緒に戦える仲間できること、これ以上ない幸せでした。これは決して当たり前ではなく、本当に素晴らしいことだと思います。特に僕らはコロナのときに入学した世代。はじめはオンラインのつながりで、ヨットにのり始めたのは、代替わりが終わってから。今、考えると信じられないね。
でも、最後の一年。振り返れば、僕に余裕がなくて、一人ひとりに向き合えてなかったんじゃないか、と思う。忙しさを言い訳にしたくないけど、もっと自分にできることがあったんじゃないかと感じます。正直、同期には本当に悩まされました。逆に、みんなにとっても突拍子もないこと言いだすし、時には暴走するし、悩みの種だったのかな。
でも、みんなと過ごした時間は特別でした。
みんな良くも悪くも人間味があって、個性があって、、、これからいっぱい遊びましょ。あと、引退ブログも期待してるね。
後輩たちへ
特にこの一年間、支えてくれて本当にありがとう。みんなのうち、誰かひとりでもかけていたら絶対にここまでやってくることはできなかったです。
3年生に至ってはほとんど全員が、2年生も、本来なら最上級生がやるような責任の重い仕事を見事にやってのけてくれたことに感謝しかありません。思えば、とんぺい戦、六大戦、新勧、七大戦、引っ越し、会計、この要職はすべて後輩が務めてくれていました。
1年生もヨットに乗れず、でも色々な作業があって、色々思うことがあったと思うけど、協力してくれてありがとう。夏なんて、もはや引っ越し部?だったよね、、、
主将として、前を引っ張ていく立場として、もっとしっかりすべきだったし、色々説明し感謝の気持ちを伝えるべきでした。なのに僕は優柔不断で、選んだ選択も間違ったものばかりで、自分のことで精いっぱいで思いやれてなく、みんなを振り回してしまったんだろうと思います。本当に申し訳なく思います。ごめんなさい。
そんな僕だったけど、数々の行事を乗り越えここまで達したのは、みんなの支えの賜物です。後輩に恵まれた僕は、とっても幸せ者です。みんなは、僕の誇りだし、これからの将来に期待しています。
せっかくの機会なんで、ちょっとした自分語りの感傷に浸ってもいいでしょうか。
思い返せば、本当にいろんなことがありました。
そして、いろんなことにも挑戦しました。
今振り返って思うのは、
「本気の失敗には価値がある」
ということです。
おっ、どっかで聞いたことがあると思った人は、さては宇宙兄弟のfanではないでしょうか。
それは、さておき。
この一年、思い返せば失敗ばかりです。
いや、この4年間、、、
いや、この長きにわたる14年間のヨット人生は失敗の連続です。
むしろ去年のチーム作り一つをとっても、自分の理想通りにいくことなんてまずなかったです。チーム全体をまとめること、仕事の進め方、任せ方、毎日のスケジュールでさえ、自分が思ったように進むなんてことはまずなく、
代交代のあとに決めた目標は、ほとんど達成されずだった気がします。
自信家で、プライドが高く、息巻いていた一年前が恥ずかしいほどです。
その他にも新クラブハウスでも、協賛でも、そのほかどんな活動であっても、何かしらの壁がありました。設計のやり直し、引っ越しのトラブル、白紙撤回、なんてことは、ザラにあります。
もちろん、事前に気づけたものや、うまくやれたところはいっぱいあります。反省してます。
だけど、いろんな経験を通して、そして時間が経って、「失敗するというのはある意味当然のことなんだろうなあ」と思えるようになりました。
はじめは、ミスしないように、すべてを完璧に、絶対にしようと思って、気合い入れてやってました。けど、今思えば、もっと肩の力を抜いても良かったのかなあと。
必ず壁はやってきます。想定外のことが起きます。
でも、肩の力を抜くというのは、何もしない訳ではありません。
失敗を恐れないということです。
本気でやることに意味がある。
同じ失敗でも、一生懸命やってできなかったこと、と、大して何も準備せず当然のように失敗したことの二つがありました。
でも、強烈に、そして楽しい思い出として残っているのは、もちろん前者です。
長岡さんを引退させてしまった2年の秋イン。
あのときの僕の成績、実力は笑いものレベルでしょう。
でも、当時の僕は全力だったし、いっぱい練習したし、それでも叶わなかった。
終わってみて振り返ると、やっぱりあれはあれでいい思い出だし、あれがあったから翌年の成長があった気がします。
一方で、失敗から目を背けたものというのは、やっぱり苦い思い出です。
もっと、努力できたことはあったのになあとか、
こうやって声をかけていればなあ、とか、
恥ずかしくて、具体的には書かないから、気になる人は飲みにでもいきましょ。
これまでを振り返ったとき、
なぜか分からないけどうまくいったことよりも、
結果に関わらず自分が必死になったものほど、苦労したものほど、素晴らしい想い出として次々と思い出されます。
もちろん、全国の舞台でトップフォーンをならしたとき、昨年snipeが雪辱を果たして全日本への出場を決めスキッパー3人で肩をくんだとき、秋インで準優勝したとき、そういった瞬間も嬉しい思い出です。でもやっぱり、同期を必死になって引き止めたとき、七大戦や引っ越しにまつわる様々な苦渋の決断、そういったものは、うまく言葉にできないけど高い次元での思い出です。
またその中でも、不思議と自分ひとりではなく、みんなで立ち向かった失敗や、協力して解決を図ったものは格別です。
明日から京大留学というのに葉山が明日から閉鎖になるという大失態、からの部員総出での解決、、、
新クラブハウスに設計の段階から加わり、本当に様々な人と連携して、そしてようやく完成と思ってからのスケジュール変更、大量のゴミ問題。そして、長き引っ越しを全員でやったときの達成感、、、あの山のようなゴミの処理は本当に苦労したね。(五熊に北村に本当にみんなありがとう)
全日本が終わって、最後結果がでなかったことはもちろん悔しい。
自分なりには一生懸命やってきたつもりだった。
でも、全日本が終わって、悔しさにまみれてたのかって言われると、全く違った。むしろ、今までを思い返して幸せな気持ちになっていました。きっと、帰着後の僕の笑みをみてもらえたらわかってもらえるんじゃないかな。
結果に関わらず、勝つためにそれまで全力でやってきたことは間違いないし、それは自分の誇りです。
別に僕だけじゃなくて、他の同期であったり、他大学のライバルもそうだったんじゃないかな。
どんな大会でも勝者は一人しかいない。
これは、中学生のころぐらいに教わった教えです。
勝負の世界では当たり前です。
どんなにお金をかけたって、どんなに時間と労力を費やしたって、一番になれなければ敗者です。
それを否定するつもりは全くありません。
勝者にしか見えない景色がある。もちろんそうだと思います。だからこそ、目指したいもの。
でも、どんな大会でも勝者だけが幸せ者とは限らないかもしれません。
ここに書いたことは至ってシンプルだし、わかりきったことかもしれません。僕もそう思っていました。別にこういう考えがあるのは以前からわかっていたし、ある意味当然のことを長々と書いてしまって、申し訳なく思います。
でも、このことを、今年1年、そしてヨット人生を通して、「実感」できたこと、それが何よりの喜びです。
現役のみんなへ
「今」、全力で頑張ってください。それぞれが背伸びしすぎることもなく、手を抜くこともなく、ただ今の自分のベストを出すだけで十分です。
卒部したあとに頑張ろうと思ったって、どう頑張っても過ぎた時間は戻せません。
だから、苦しいときほどあがいてみてください。
どんな結果になろうと、きっと振り返った時には、それが最高の経験だったと思えることを信じています。
そして、みんなから愛され、自分自身もヨットを愛し、部を愛してください。
これからも僕は東大ヨット部の「fan」であり続けたいと思うし、陰ながらみんなのことを応援しています。質問や相談があれば、いつでも聞きにきてくれたら嬉しいし、一緒に悩みます。
本当に、みんな、ありがとう。
そして、14年間に及ぶこのヨット人生を様々な面で支えて下さった、先輩、同期、後輩、コーチ、監督、LBの皆様、全国のヨット仲間とライバル、ハーバー職員の皆様、大会関係の皆様、大学関係者の皆様、地域の皆様、そのほかすべての関係者の皆様に、厚く厚く厚く御礼申し上げます。
また、最後に家族へ。
このブログではなく、またちゃんと感謝の気持ちは伝えたいけど、今まで僕を誰よりも応援し、支えてきてくれてありがとう。家ではいつもヨットばかりの話でした。ヨットの技術のこと、ヨットにまつわる様々な噂話や人間関係とか、、、そういった、たわいもない話が僕の心の安らぎでした。そして最大のライバルであり、良き相談相手になってくれた兄にも感謝しています。きっと兄がヨットをやっていなかったら、続けていなかったら、とっくの昔にヨットを辞めていた気がします。
そして、今でも、家族でGreeenの「旅人」を聞きながら車で行った遠征の数々は僕の原点です。これからも、何かを追い求めて進み続けられる「旅人」でありたいと思っています。
本当に14年間、ありがとう。
お陰様で幸せなヨット人生を送ることができました。
そして、東大ヨット部の部員であれて、よかった。
今後は、感謝の想いを自分のできる範囲で表現していきたく思っています。
どうぞ、今後ともよろしくお願い致します。
東京大学運動会ヨット部
前ディンギー班主将 西尾拓大
ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。
「あれ、ブログ短くね?」と思われた方に。
(十分長い??そんな寂しいこと言わないでください、、、)
安心してください!
~思い出編~を用意しています
昨年のみんなの頑張りと、色々な努力の証を忘れないために、この一年間分の活動記録として残しておきますね、
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2022年11月6日。
琵琶湖インカレにおいて、
スナイプが全日本で5位入賞。目標には届かなったけど54年?ぶりの快挙。
日が暮れて真っ暗な中、代交代mtgを経て、調さんの代からバトンを引継ぎました。
余韻に浸るまでもなく、運営mtgや全体mtg、個人面談に大忙し。
目標はどうするか、コーチをどうするか、予算をどうするか、年間スケジュールはどうするか、
七大はいつ、どこで、開催するのか、クラブハウスにはいつ移動するのか、六大戦はどうするのか、
そして、コーチの矢野さんからはこの時から、全日本の小戸の宿はどうするのか、
(この後色々もつれちゃって、本当に申し訳ない、最後まで手伝ってくれた方々ありがとう)
決めることはたんまり。でも、思った以上に意見は割れて、開始早々不穏な空気。
一年間を見通さないといけないとわかりつつも、それができない苦しみ。
来週のことで手がいっぱいなのに、年間を見据えないといけない大変さ。それにまして、スケジュールが未定すぎる、、、
そんなこんなであっという間に12月がすぎ、
今年は1月も練習しようと言って強化練習を組み、気が付けば2月。
はじめの冬合宿の初日は大雪でzoomだったのが懐かしい。
それから動作練。
まずは、いまぽが推し進めてくれたコロナ後の初の東北大を交えてのとんぺい戦。準備をありがとう。この時もチャーター艇の準備でてんやわんや。マストが曲がってる!?
レセプションも開催。もちろん初めて。三上の司会の潜在能力を知りました。
箕田君と腕相撲で負けました。実は僕は最弱レベルなんですよね。もちろん、その場では頑張って見栄はりましたが、、
と、思ったら、追いコン。これまた、入部以来対面での初追いコン。本来だったら現役で準備するところ、岸野理事長にも手助けを頂き、なんとか終了。担当してくれた花ちゃんも、二次会前にはもうぐったりだったね。ありがとう。
ここで、昨年お亡くなりになった幣部OBの河野さんのお別れ会に参列。自分が今まで関わりなかった色々な方とご挨拶し、たくさんの方々の支えに想いを馳せました。ご冥福をお祈りいたします。
また、LBの米田さんが宇宙飛行士候補生になったとの知らせが。メディアからの多数の問い合わせに翻弄されつつも、OBさんの偉大さに感服。。。おめでとうございます。
そして、着実に近づいてくる六大戦。
今年は我ら東大が主幹校。
やばい、何も準備できてない、、、慶應OBの國見さんの多大なる手助けと、初日の雨、爆風の中、若手LBさんの巨大なヘルプにより、無事成立。小松さんは、東大の運営を褒めて下さってましたが、それは運営メンバーのおかげです。本当にありがとうございました。
ちなみに自艇は、クルーの三上も僕も増量していた?といことで140kgは余裕でオーバーしており、爆走。気持ちよかったです。
それと同時に、部内のあらゆる問題が勃発。
うーん、人の意見は色々だし、答えはない。
でも、もっと正面から向き合えてたらなあと、、、
その次の週。これまた、コロナ後初の京大留学。
方向性の違いとかもあり苦労したけど、なんとかスナイプのみで実現。
京大留学の前日。
学校で呑気に新勧のビラを配ってると、成相から電話が、、、
「うん??明日から4日間ぐらい、葉山港が使えないって??」
僕の目の前が真っ白。明日から京大と一緒に練習する予定なのに、海にすら出れない??
急いで確認すると、京大生はもう東京に向けて出発したとのこと。
葉山にいた部員には一日練習をつぶしてもらって、明日から練習できるよう環境を整えてもらい、多大なる迷惑をかけながらなんとか実現。
本当に助かりました。ありがとう。
これを期に、葉山港の営業日をきちんとHPで確認するようになったんだよね、
また、これ以降、ハーバーにレスキューを連続しておけないということで、OBさんのご尽力もあり、サニーサイドに陸置きできるようになり、サニーサイドと葉山港とのレスキューの往復が始まりました。これまた、始まったらトラブル続き。船台が合わない、連携が取れてない、使い方が間違ってるなどなど、、、関係者の皆様、ご迷惑をおかけし、申し訳なかったです。ご対応頂き本当にありがとうございました。
晴れて、新勧。レースメンバーの練習時間確保のために、全員での新勧はせず、まかせっきりになってしまったけど、今までの新勧を徹底的に見直し、新しいことに挑戦してくれたみんなに感謝しています。クルーザー班とディンギー班とのバランス、半日制にして多くの人にきてもらう、などなど、それでもって天候に左右されつつ、イレギュラーに対応してくれました。結果的に例年以上の新入生を集めてくれてありがとう。
その裏で淡青のチューブがダメになったり、エンジンがダメになったりと、、、
でも、おかげさまで今では淡青のチューブもエンジンも新品に。見違えました!もはや、面影がないです、、次は疾風の番です。
そして、待ちにまった春イン。爆風の1レース。
これが転機だったかもしれないけど、この後チームを上手くまとめられなかったのが、秋インにも響きました。1レース、僕らを見つめなおすには十分すぎたのに、見過ごしてしまった気がします、、
五月祭でマショマロ売り、五熊の真面目な一面をしりました。いろんな事件もあったようですが、、、おかげで布団をたくさん買えました!ありがとう。
このときから、引っ越しと、七大戦の話が加速、、、
色々ありつつ、江の島に引っ越し、関東個人戦。Snipeはまさに会心の出来で3艇通過。
470も色々あり、このあと毎日のように話しあって、、、
色んな人の感情をかき乱したと思います、ごめんね。そして、高天、ありがとう!お互いに覚悟できた気がします。
で、迎えた七大戦。
そもそも、開催場所でもめにもめたけど、葉山での開催を決断。
予算からスケジュールからチャーター艇の手配まで、本当に一年間以上もかけて計画してくれた中静にやまこう、ありがとう。もっと、仕事がやりやすいように配慮ができたと思うんだけど、迷惑いっぱいかけちゃったね。
そして、当日はチャーター艇の手配から、レース運営、準備、レセプションに片付けまで、入りたての一年生も含めて、本当にありがとう。そして、ギョウシュウが本船と、クルーザー班にも手伝ってもらい、ハーバーの皆さんや、他大学の協力、OBさんの協力を経て無事終えることができました。またアンパイア制に、トラッキングシステムの導入と、専門分野の方々のご尽力も頂きありがとうございます。
開催をするのに精いっぱいになってましたが、もちろん自分たちの順位も絶対的に譲らない。陰で支えてくれてる人がいるから、何がなんでも勝ちたい、と思ってました。
大野の見事なくじ運により、僕は2年連続一番古い艇での戦いでした。それでも、暇をみつけては最大限の整備をしつつ、、、
レースは微風から中風で、我慢のレース。とにかく一本一本やって、最後にギリギリだけど勝ち切れたときは、ホッとしました。それにしても、矢野さんと大野の喜びようはすごくて、その笑顔が見られてよかった。海に飛び込みたかったな
閉会式終わり、みんなの疲れもピークだったけど、片付け。返却されたたくさんのチャーターを前に呆然としたけど、みんなの力で想像以上に早く店じまいできました。
本当に皆様ありがとうございました。
そして、次の日は卒論の中間発表。マジで死ぬかと思いました。
これで、夏休みか!と思えば、まだまだです。
次の週にはクラブハウスの落成式兼感謝の会。
といっても、ようやく2階の内装ができかけてきた段階。
紅白幕に、垂れ幕、そのほか色々準備して、、、
多額の寄付、貢献をしてくださった方々をお招きし、感謝をお伝えし、無事に盛会。
用意してくれた森さくに加え、テスト期間中なのに来てくれたみんな、ありがとう。
で、夏休みに入れるかと思いきや、不安が的中。
クラブハウスの入居が8月の一週目と思ってたら2週間ほどずれるとのこと。
もう、旧合宿所では合宿しないと思って、色々始末していたから、これは大変。
しかも、8月はじめのファミリーデーもクラブハウスで企画していたから、そりゃ大変。スケジュール組みなおして、企画を練りなおしてもらって、、、
何度も、水道は使えるのか、クーラーは使えるのか、とか聞いてくれて段取りしてくれてたのに申し訳なかった。
しかも、抑えたはずの会議室がダブルブッキングで使えないなどなど、トラブルが絶えず、、、
そんなこんなで、ファミリーデー。色々大変だったところ、臨機応変に乗り越えてくれたことに感謝でいっぱいです。保護者の方にもっとおもてなしを届けたたかったけど、少しでも楽しんで頂き、ヨット、ヨット部のことを理解してもらえたら幸いです。
また、保護者の皆様、いつもご心配・ご声援、ありがとうございます。また、差し入れも日頃からたくさん頂き、それらが合宿生活での励みになっています。僕が入部した当初は差し入れを頂けるということなんて、ほとんどなく、ここ数年で環境が大きく変わりました。改めてお礼申し上げます。部員にあれやこれやのエピソードを聞いてみてください。きっと興味深い話がいくつもあるかと思います。
で、このときに部を振り回してきたつけが回ってきたのかな、、、
まさかの同期の退部話が立て続けに。
誰一人かけてもいけないんだ、と思いつつ、同期をもっと上手く巻き込めたらよかったな、、、
もっと事前に、もっと視野を広く、僕が、僕たちが持てたらできたことがあったかもしれない。でも、最終的に最後まで全員でやってくれた同期には感謝しきれません。本当にお疲れ様、そして、ありがとう。
その裏では今年も全日本スナイプと全日本個人戦。
と、その前に仮引っ越し。
まだ外装はできてないけど、八景島の退去期限があるからということで、先に八景島のゴミの撤収、引っ越しを進めることに。
準中型、ハイエース、軽トラでそれぞれ5回ほど山盛りのゴミを運搬し、八景島の艇庫もピカピカにし、mtgルームもすっきりさせと、、、
最後八景島を離れるときは名残惜しい気持ちになって、子供のようにはしゃいでました。
帰り道、はしゃぐ子供のように写真をとっていたら、後輩に気持ち悪がられました。
あと、数年後には「俺らの八景島の時代は、、、」みたいな、嫌がられるおっさんになってる気がします。
まだまだ引っ越しは終わりません。
でも、ここで一旦僕は全日本スナイプにでるために蒲郡に。
同志社の圧倒的な強さを目の当たりにしつつ、昨年よりも手ごたえがあり、その分学ぶことも多かったです。
で、全スナが終わったらすぐに東京へ。次の日が院試の筆記、そしてその次の日が面接で、午後には全個に向けて前入り。
ついに、院試休みはテスト当日だけでした、、、(無事合格したので、なんでもよしとしよう)
その間も葉山では引っ越しが続いていました。
毎日、葉山の様子の連絡はもらってて、色々聞いていたのですが、
日に日に葉山にいる部員も余裕がなくなってるようで、、、
立て続けにおきる事故に事件、人間関係トラブル等、話せば長くなるので割愛。
こうしたときにもっと寄り添える、そういった主将でありたかったなあ、ごめん。
でも、なんとか最悪の事態は全て回避してくれたことに感謝しています。
全日本個人戦では入賞がどうしてもできない自分に失望しつつ、チームとしては良い形で終われました。本遠征を完遂できましたのも、日頃からの支えと、皆様からの温かいカンパによる資金援助、ご声援のおかげです。改めて、お礼申し上げます。ありがとうございます。
葉山までの帰り、矢野さんcarで運転してもらいながら、これからに想いを馳せ、どうやったら部が良くなるかという話で盛り上がり、テンションmaxで帰ってきたら、クラブハウスは引っ越しの形跡が残ったまま、、、理想と現実の差を突き付けられました。
でも、僕が遠征行ってた間に、すごく苦労してくれたんだろうなと、、、
八景島の撤収、業者の手配など成相がやってくれ、引っ越しの段取りは、頼れる引っ越し大臣ずーま、ゴミの段取りは五熊に北村と、、
そして、それらの計画を実現してくれた1年生のみんな。本当にありがとう。
一方で、泥だらけの玄関に、物が散らかってて、これからこのクラブハウスを整理するのか、と気合いを入れなおしました。
で、次の日は安全講習に大掃除などなど。
こっからは、ことあるたびに大掃除をしてましたね。とにかく、僕自身もいいクラブハウスを残そうと必死でした。何事もはじめが肝心です。
でも、もう既に女子インが一週間前に控え、これから毎日が秋のインカレシーズンです。
毎日の段取りを組むのに、アップアップしながらも
クラブハウスのキックオフイベントやご来賓の対応も、みんなが互いにフォローしながらやってくれました。
そして、外装も一通り終わり、船のニューラックを組み立て、いよいよクラブハウスも完璧な姿に近づきました。そして旧葉山合宿所は完全撤収に。
ここで、合宿していたことが信じられないぐらい、もはや朽ちる手前?いや、朽ちていました。葉山合宿所での思い出は山ほどあるな。
新クラブハウスももちろん最高だけど、長岡さんが葉山の朝に、鳥のさえずりを聞きながら目覚めるのが最高だ、と言ってた気持ちが最近なんとなくわかります。
思い出がたくさん詰まりすぎてるんで、取り壊されるのは寂しいな。国宝か何かに指定されて保存されることを願います。壊すと大量のゴキブリも出そうだし、、、
こういう訳で秋イン直前に足元が固まってきました。
そして、千田ちゃんのMVP賞の受賞とか、嬉しいニュースも舞い込み、
470もsnipeもいい方向にサイクルに回ってきました。
おっ、これは、、、と思ってたとこに、
自分はしょうもないことで5針の怪我、大野もヨットが乗れるかどうかわからないほどの怪我を負い、
きづけば秋イン一週間前の休日に、二人で葉山ハートセンターの緊急外来にいました。
二人で、なんとか前を向こうと気持ちを作ってたな。おそらく、あれは一生の思い出です。
で、迎えた秋イン本番。
Snipeも470も着実にレースをこなして順調な滑り出しでした。
Snipeはライバル校がBFDで失格になったりと、史上初のbig chance。
470もヒリヒリする展開で、両クラスの出場が見えてきてました。
でも、無情にも風がなくなり、apa。
色々な複雑な感情で、すべてがブワッと吐き出そうでした。
470とsnipe両方で戦いたかった。
もっと、自分にできたことはあったかもしれない、、、
そして、時は無常にも、そんな僕らを置いてけぼりで進む。
秋インが終われば、秋六大。しかも今度はレセプション付き。
これもまた、國見さんによる多大なサポートとのもと、無事に終えられました。そして、僕の同期470の4年生が複雑な気持ちのところ、運営をやってくれたり、サポートしてくれたり、と彼らがいなかったら、破綻していました。言葉に落とすととてもチープで、伝えきれない気もするんだけど、本当にありがとう。
そして、その次の日はビックイベント。
クラブハウスの全体お披露目会と感謝の会。これまた、みんなに手分けしてもらって、なんとか盛会に終わり、LBさんとご挨拶。これにて、一連の引っ越し作業、とセレモニーが完了した。本当にみんなお疲れ様でした。私自身は2年生のときから関わり始めたのですが、こうして形となった姿を見られ、また多くの人の祝福にあったことが大変嬉しかったです。
そして、LBさんの温かいご寄付と想いでこのクラブハウスが完成したことを心に刻みました。この歴史的な転換点を務められたこと、嬉しく、そしてこれからの誇りにしていきます。これからも、東大ヨット部のゆりかごとなり、またここでたくさんの交流が起きることを期待しています。
さあ、残すは小戸インカレのみ。
引っ越しのときに、トラブルがいっぱいあったようだったけど、
無事小戸入りして、練習レース。
まずまずの結果。
マネージャーも前入りしてもらって、小戸では普段通りの環境を作ってもらった。
みんなでごはんを食べ、バーチャルレガッタを眺め、、、
迎えた本番。
1レース目、後ろには数えるほどの艇数しかいない。60位。
焦り。他の2艇も自分の数艇前にいる、まさに絶望的状況だった。
2レース目、焦っていた。
スタートでケースを起こしつつなんとか9位finsh。そのあと、調停により30点。
一日目が終了した。
残り3日とも微風予報。レース数はこなせないだろう、、、
2日目、
チームに漂う、重い空気を変えられなかった。
若干浮上するも、まだ低迷。
その夜。気持ちをどうすることもできなかった。
やっぱり、自分は弱かった。小戸の夜、paypayドームを前に、惨めな自身に嘆いてました。と同時に、一通り落ち着いたら、「最後やれるだけやってやろう」という気持ちに。
そして3日目。
ノーレース。曳航されながら、目指していた優勝はおろか、入賞もはるか遠くにあり、自分たちの状況が突き付けられました。これが現実だった。実力だった。
最終日。
最後は成績よりも何よりも、お世話になった方々や先輩、後輩に少しでもいい姿をみてもらおう、とそういう気持ちで臨んだ。結局、大きくはゲインできなかったけど、チームの空気が明るく終われたことが何よりだったと思う。
そして、なぜか僕の気持ちはすっごくスッキリしていた。成績を出さずして、こう申し上げるのは大変恐縮だけど、私自身は充実感にあふれてたのかもしれない。
本当はもっと悔しい姿の方が、次世代の東大ヨット部へとつながるのかもしれない。
後悔が全くない訳ではない。もちろんいっぱいあるし、反省すべき点は山程あった。でも、この4年間、間違いなく目標に向かってやってこれたし、しかもそれを支えてくれる仲間がいっぱいいてくれたからに違いない。その幸せな気持ちと、感謝の想いでいっぱいだった。
本当に、みんな、ありがとう。
明日は明日の風が吹く。
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