東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

忘れてはいけない想い

2021年12月14日 22時00分00秒 | リレーブログ

お世話になっております。

本年度、クルーザー班主将を務めさせていただきます青木維摩です。

 

昨日より新4年生のリレーブログ、「ラストイヤーにかける思い」が始まりました。

新4年のプレイヤー、マネージャー計14人が最後の年を迎えるにあたっての思いをブログにしていきますので、お読みいただければ幸いです。

 

はじめに、昨年度東京大学ヨット部を応援、ご支援くださったご家族の皆様、LBの皆様、社会人チームの皆様、そして関係者の皆様に感謝申し上げます。

 

今年度も皆様に応援していただけるようなチームになれるよう邁進していく所存でございますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

 

 

 

昨年度は前主将の中野を中心に全日本選手権5位を目指し活動してまいりましたが、惜しくも7位に終わってしまいました。

 

最終レースが終わった直後、自分はひたすらメンバーに謝っていました。

 

申し訳ない、いや申し訳ない

 

最終レースに後悔があるわけではありません。

 

勝ちきれなかったことに責任を感じて

 

 

最終第7レースを迎える直前、5位争いは1点差で3艇の混戦でした。

 

でもそんな状況になる前に一歩抜け出すチャンスはあった

 

第1レーストップフィニッシュという「幸運」があったにも関わらず、本当の「勝利」に繋げられなかった

 

仰秀には下位から追い上げる力はない

だから1上は絶対に上位で回航しなければならない

だからたとえスタートが満点ではなくてもトラブルを起こしてはいけない

 

そんな気持ちでスタートに臨んでいました。

 

第6レース、堅実に戦えば有利な状態で第7レースを迎えられる状況。

しかし、スタートでケーストラブル

少しだけ追い上げて10位フィニッシュ

 

結果的にここが最終リザルトに響いてしまいました。

 

最終第7レースでは後悔のないスタートを切ることができましたが、時すでに遅し

 

自分が勝負弱かった、勝負の時を間違えた

 

 

勝ちきれなかったことに責任を感じて、油壺のマリーナに帰るデッキ上で何度も謝っていましたが、

 

陸上に戻ると中野さんと落合さんと最後にいい景色を見ることができた幸せの方が大きくなってくる

 

あの時感じた後悔、責任はどんどん小さくなっていく

 

でも今後の仰秀の成長のためにこの気持ちだけは絶対忘れてはいけない

 

 

引き続き仰秀の目標は全日本選手権5位としました。

 

来年こそは勝ち切るという思いを胸に

 

全日本選手権5位までの道は非常に厳しいものになると思っています。

昨年度のチームは自分たちに「希望」を与えてくれました。

 

決してお飾りの無茶な目標ではない

もっと良いチームを作れば、もっと高みを目指せるという「希望」を

 

勝ち切るために特別な練習をするわけではありません。

これまで同様、日々の練習に意味を見出し、成長していくのみです。

 

個人としては、今年度は主将として大きな責任を負うことになります。

 

リーダーは何を求められているのか

リーダーシップがある人とはどんな人か

 

日々模索していこうと思います。

 

重ね重ねになりますが、

関係者の皆様、応援とご支援、本当にありがとうございます。

 

今年度も何卒よろしくお願いいたします。

 

 

クルーザー班主将 青木維摩


あと328日

2021年12月13日 22時00分00秒 | リレーブログ

お疲れ様です。

本年度、ディンギー班主将を務めさせていただきます調亮太郎です。


普段から様々な形でヨット部を応援、支援して下さる保護者の皆様やLBの皆様、そしてヨット部に関わる様々な関係者の皆様に感謝申し上げます。


今年度もどうか宜しくお願い致します。



昨年度は、「凡事徹底」を掲げ、全日本シングルを目指し活動した1年でしたが、残念ながら470級片クラスでの全日本出場、そして18位と悔しい結果に終わりました。


直前の練習や走り合わせから、もっと上を目指せるはずだと思っていましたが、3,4日目は無風でレースが行われず、その気持ちを晴らせないまま、無念にも全日本は終わりました。


最終日、APA旗が掲揚され、淡青に曳航されながらハーバーに向かう途中、サポートしてくれた皆への申し訳なさや、遣る瀬なさを抱き、もっと普段からできることがあったのではないかと思い、この悔しい気持ちは1年間忘れまいと強く感じました。



何が足りなかったのか。



東大ヨット部は、このコロナ禍においても新勧にある程度成功し、現在もディンギー班3学年で36人を抱える大所帯です。

一方で、部員が少なかった数年前から結果を伸ばせていないどころか、落としてしまっている状況にあります。


勿論ヨット部の価値は決してインカレでの成績で決められるものではありませんが、この現状は厳しく受け止めなければなりません。



全国のヨット部を見ると、様々なカラーの大学がいます。


セレクションで固められた少数精鋭の大学もあれば、セレクションと未経験者の融合で競争を生み出すのに成功している大学もいる。

セレクションがいなくても少数の非常に高いヨットへの意識で結果を残している大学。多くの未経験者を抱え、切磋琢磨して力を付けている大学。



僕らの少し上の代までの東大は、三つ目に挙げた、「セレクションがいなくても少数の非常に高いヨットへの意識で結果を残している大学」だったのでしょう。


現在の東大ヨット部が目指す形はどこなのか。それはきっと、多くの未経験者を抱えながら、みんなで切磋琢磨して高いレベルを目指す大学なのではないか、と思います。


少数でも戦えるということ、その財産を先輩方が遺してくれました。そしてそれを受け継いで、更なる高みを目指すには、きっと数の力が必要だし、今の東大にはそれがある。


練習への意識や、モラル、規律が存在しない大人数の組織は、烏合の衆です。少数精鋭の大学にも勝てない、寄せ集めの集団でしょう。

しかし、部員が沢山いても馴れ合いにならず、その全員が情熱を持って部活に取り組んでいるチームなら、これまでにない力を発揮できると確信しています。



今年のスローガンは「好み、好まれる。」になりました。


スローガンには、チームのメンバーがヨットを楽しみ、ヨット部を愛せるように、そしてヨット部が皆に応援されるように、という意味があります。


まず、チームが一つに纏まるために、構成員がチームのことを好きになれるようなチームでなければなりません。

そのために、特に下級生がチームにいづらい気持ちを感じることがないよう、上級生が率先して、環境を整備していきたいと考えています。

そういった内部環境が整ってやっと、外部から愛されるようなチームになるのだろうと思います。



そして今年の目標は、全日本総合入賞です。


長年達成できていない目標でもあり、昨年よりも目標が高く設定されています。


非常に厳しい道のりになるでしょう。

しかし、部員全員が熱量をもってヨットに取り組むことができれば、達成できるはずだと信じています。


課題は山積みだし、目標は高いところにありますが、だからといってやることが高尚になる訳ではありません。

一つ一つ、目の前のことからこなしていける、忍耐強さをチームで身につけられればと思います。



今年一年、どうか応援宜しくお願い致します。





ディンギー班主将 調亮太郎




希望の波跡

2021年12月13日 08時50分22秒 | 引退ブログ

 

こんにちは。

クルーザー班主将を務めておりました、中野です。

 

全日本から早3週間が経ちました。これがJ24全日本の振り返りブログとして最後の投稿となります。引退ブログはまだ誰か書くのかな。かなり長い文章となってしまいましたが、読んでいただければ幸いです。

 

まずはじめに、この4年間でお世話になった全ての方にこの場をお借りして改めて感謝申し上げます。

 

度々ご迷惑をおかけしながらも、様々な形で支援してくださったLBの皆様、レースや練習を通じて我々を鍛えてくださった月光をはじめとする社会人チームの皆様、自分をヨットの世界に招き入れてくれた直近の先輩方。本当にありがとうございました。

 

ディンギーの同期のみんな、4年間お疲れ様。気付いたら半分以下にまで減っていたけど、辞めた同期があれだけ応援に駆けつけてくれたのは残った11人がそれぞれ本気でヨット部に向き合う姿があったからこそだと思います。早速機会を逃したけど()、来年からはみんなで船に乗ろうな。

ディンギーの後輩のみんな。よく会う人もいれば中々会えない人も多かったけれど、勝手に応援してたし今後も陰ながら応援してます。賑やかすぎるディンギー班の雰囲気も僕は大好きで、みんなともう少し接する機会を作れればな、という後悔は少しあります。3月までは暇なので声かけてくれれば飯でも何でも奢ります。

 

 

さて、たった一度のブログでこの濃密すぎる4年間を振り返るなど到底無理があるのですが、折角の機会なので思い返してみます。最後の最後の自分語りにしばしお付き合いいただければ幸いです。

 

「海外でレースに出てみたい!」というミーハーな気持ちで入部を決めた3年半前。最初は海が怖くて仕方ありませんでした。沈して溺れたらどうしよう。ロープが絡まったらどうしよう。結局この恐怖心は最後まで消えませんでした。でも、それで良いんだと思います。海が身近なセーラーだからこそ自然の恐ろしさに抗ってはいけないし、万が一に備えなければならない。これは後輩たちみんなに伝えたいです。

一方で、「4年間常にヨットを最優先に生きてやる」と意を決したのも入部当初でした。高校の部活を悔いある形で終えた自分は、何でもいいから一つ全力で打ち込めるものを探していました。何も知らない海の世界を一から学んでいくのは面白くて、一つのコミュニティに全力を注ぐタイプの自分には最適でした。

ホッパー練や江ノ島でのレース運営を経て、9月から小網代へ。初めての全日本では正直足を引っ張りながら、ただ声を枯らしてブローコールすることしかできませんでした。

 

翌年の3月には、気づいたらフォアデッキに自分一人しかいませんでした。自分しかいないなら、自分が何とかするしかない。ここからの2.3ヶ月で精神的に強くなった気がします。

5月に落合が小網代に来て、夏に後輩たちが加入して、いざ全日本。タクティシャンとして、フォアデッキのまとめ役として、最低限の役割は果たせたのかな。

今振り返ると最初で最後の海外遠征となったマイアミワールドは、ただただ楽しい思い出です。連れて行っていただいたJellyfishの皆さん、ありがとうございました。

来年は仰秀としてこのビッグフリートに挑むのか、もっと強いチームにならないとな、と練習に励んでいた矢先、新たな壁となったのは未知のウイルスでした。

 

4月から7月までの活動自粛、その後の合宿の制限、さらにはレースの中止。引退された先輩方からは「しんどいだろう」と労いの言葉をいただきました。正直、それほどしんどくはなかったです。言ってしまえば、思い切って休息を取れる期間でした。

入部当初に4年間の全てをヨットに捧げると決意したものの、それは限りなく難しいことでした。振り返るとあっという間にも思える4年間という時間は、その中を走っている人間にとってはあまりに長い。気持ちが先走る時もあれば気持ちが付いてこない時もあるのは当然で、時には休むことも必要。そんなことを学べたのは、最初に全てを捧げようと思わせてくれたヨット部のおかげです。

唯一心残りなのは、春日さんと太朗さんの引退レースまでもが中止になり気持ちよく送り出せなかったこと。だから、今年の全日本で同じレースに出られて良かったです。

 

いよいよ始まった最後の一年。自分が主将になることは1年生の頃から分かっていたのですが、いざ始まってみると最初は戸惑うことも多々ありました。

リーダーに必要なものとは何なのか。統率力、決断力、実行力、リスクマネジメント、チーム内外とのコミュニケーション、モチベーターとして常に目標を示し続けること。22年の人生の中で正面から向き合ったことのないものばかりで、自分に何があって何が欠けてるのかすら分かりませんでした。

勿論、最後になってもこれら全ての力を身につけられたとは思えません。特にチームメンバーとのコミュニケーションという面では、少人数のチームだから大丈夫だろうと勝手に思い込み、今思うと一人一人とちゃんと向き合う時間は作れていなかったな、などと反省もしています。

けれど、「自分がリーダーとしてどんな振る舞いをできるのか」という問いに対して、何となくだけどこの一年を通じて答えを掴めたのは大きな財産です。

 

自分で舵を持ちたいと思ったのはいつ頃だったでしょうか。それまでの仰秀はヘルムとトリマーは2年おきに交代、というシステムが出来上がりつつありました。けど自分の代は同期が2人で、一個下は当時3人いて、今後もっと部員が増えた時にこのシステムは続かないのではないか。何より一度しかないヨット部人生で舵を持たずには終われない。そんなことを思って先輩たちに我儘を受け入れてもらいました。3年の夏頃から少しずつ練習もさせてもらいました。

不安は勿論ありました。それまで海面と他艇ばかり見てセールもテルテールもそれほど見てなかった人間が一体どれほど走れるのか。

そんな不安を払拭できたのが、去年12月のフリートレースでした。まさかのトップフィニッシュ。あの時の足の震えは今でも覚えています。

 

ただ、その後も全てが順調だったわけではありません。3月のアニオルズカップはまたも中止になり、フリートレースも感染状況を鑑みて中々開かれず。9月上旬頃には全日本の開催は絶望的との見立てでした。

リーダーとして目標を示し続け、モチベーションを上げさせなきゃいけないはずの自分自身のモチベーションが中々上がらない。夏頃に抱えていたそんな悩みは、落合にすら相談できませんでした。

だからこそ、畠山さんや徳毛さんをはじめ全日本の開催に尽力してくださった皆さんに自分は感謝してもしきれません。

9月末に全日本の開催が決まった時は腹を括りました。計測の準備とか船底の整備とか、スイッチが入るまで極端に面倒くさがり屋の自分には大変なこともあるけれど、最後2ヶ月ぐらいまた全てを注いでやろうと。

10.11月のフリートレースは、このチームの完成形が徐々に見えてきて楽しかった。特にフリートレースでだほはぜに勝って3位という目標は、畠山さんだけでなく僕自身ですら無謀だと思っていました。それを達成できた。俺たちならいける。そんな自信が、自分だけでなくチーム全体に漲っていました。

 

全日本の各レースの振り返りは、もうみんなが充分してくれました。

本当に正直なことを言うと、僕個人としては最後までリザルトというものにそこまで強い拘りはありませんでした。全日本5位という目標もチームとして目指す共通のゴールが必要だったまでで、前を走れれば勿論気持ちいいけど、自分たちの納得できるレースが出来ればいいかな、ぐらいの気持ちでいました。その欲の無さが緊張感をほぐした場面もあれば、詰めの甘さにつながった場面もあります。というか後者の方が多分多いです。でもそれが今の自分のヨット観なので、そこに対して後悔はありません。

 

同期の齊藤崇に借りた三万円のサングラスの最大の役目は、最終レースが終わってから油壺の湾に入るまで、その内側で溢れ続けた涙を隠すことでした。最近気付いたのですが、自分は意外と感情に素直で涙脆いようです。

あの時の感情は、目標を達成できず7位に終わった悔しさでも、このチームが最後の時を迎えた寂しさでもありません。こんな晴れ晴れとした形で引退を迎えられたことに、ただ1人で感極まっていました。最後にあれだけ充実した7レースを走ることができた自分は、幸せ者です。

 

全日本トップフィニッシュという形で、仰秀の歴史に新たな一ページを刻めたこと。

明るくて強い家族のようなチームを、全員で作り上げられたこと。

今年よりもっと良いチームを作れば、もっと高みを目指せるという「希望」を、後輩たちへの置き土産にできたこと。

これら全てを、僕は誇りに思います

 

最後に、小網代のみんなに一言ずつ。

 

友成。君は誰よりも真面目で、規律を守ってくれる後輩でした。今年主将をやって分かったのは、君のような人がチームには絶対に必要だということ。まだ小網代に来て3ヶ月少々で分からないことも多々あると思うけど、これまでLINEに書き続けてきた自分の反省を振り返ってみてください。きっと自分が成長してきたことが分かるはず。

 

関根。君のヨットセンスと飲み込みの早さははっきり言って異常です。自分にもこんな特殊能力があったらな、と何度思ったことでしょう。

ブログのハッシュタグに書いていた通り、フリートレースではまだ3番だし全日本ではまだ7番、世界の舞台での位置などもはや未知数です。でも君たち下級生には、残された時間が沢山ある。自分たちの限界を決めつけず、でも決して焦らず、突っ走ってみてほしい。

 

ヒデ。まず、小網代に来てくれてありがとう。去年の今頃スナイプにも乗せてあげるからと言ったのに、結局全然約束を守れなくてごめんね。あとレース当日に敷き布団の下で寝落ちしててごめんね。

加入当初は馴染んでくれるか少し心配だったけど、すっかり生き生きと活動してくれていて何よりです。

君は海でも陸でも、時に上級生よりタフだと思って見ていました。そのタフネスさ故に、そして同期プレーヤーがいないという事情故に、1人で背負い込みそうで心配だけど、周りには頼れる人がたくさんいます。頼れるものは何でも頼って肩肘張らず、引き続きヨットを楽しんでくれ。

 

美緒、香穂。この2人は、敢えて2人に対して書かせてもらいます。

君たち2人の行動力と活力は、本当にすごい。海に中々出られないという壁を自力で超えていき、時にチームとしてしんどいはずの状況でも2人がそんな雰囲気にさせなかった。ご飯を作り続けてくれたことは勿論だけど、それ以上に大事なことを教えてくれたことに僕は感謝しているし、尊敬してます。

これからはかなちゃんと3人で、また新たな小網代三姉妹としてチームを盛り上げ続けてくれな。

 

萩原。君は今年になって(後輩ができてからかな?)、人として丸くなった気がします。勝ち負けに誰よりも拘る姿勢は、タクティシャンとして大事な要素。最初の頃から1世代前のタクティシャンより常に良いコースを引いてくれていました。でも、ヨット部ではレースの勝ち負け以上のものが得られると自分は思ってます。勿論プレーヤーとしても、まだまだいくらでも伸び代はあるはず。

最後の一年、最上級生として堂々と、視野を広く、そしてポジティブに、チームを引っ張っていってくれ。

 

維摩。今年のレースでスタートを褒められ続けたのは、間違いなく君のおかげです。今年の夏頃から上級生としての自覚がはっきり芽生えたのか、最後の半年は自分の目の届いてない部分をカバーしてくれて助けられました。最後、世界選手権の切符をちゃんと渡してやれなくてごめんな。

今後は常に自分の言動が後輩たちに見られていることを忘れずに、良いチームを作ってくれ。そしてセーラーとしてもリーダーとしても、今年の俺をさっさと超えてってくれ。適当人間に見えて実は誰より責任感の強い君なら、大丈夫。

 

落合。僕にとって絶対に替えの効かない、唯一無二の相棒でした。ありがとう。

 

 

全日本の後、たくさんの方から「良いものを見せてもらった。感動した。」といったお言葉をいただきました。選手としてこれ以上の喜びはありません。

これからも、人の心を動かせるような人間であり続けたいです。

 

4年間本当にお世話になりました。

 

東大ヨット部に幸多からんことを願って。

 

 

20211213

 

那覇へと向かう機上より、快晴の中に邦の秀を仰ぎつつ

東京大学運動会ヨット部

クルーザー班前主将

中野


ヨットは風で走っている

2021年12月11日 23時00分00秒 | 引退ブログ

 

こんにちは。

仰秀のトリマーを務めていました、四年の落合輝です。

 

引退ブログということで、少し息をしているうちに過ぎ去ったこの3年半のことを思い出して、感じたままに長々と書かせていただきます。全日本選手権が終わってから半月も経っていないのに、すでにだいぶ長く経った気がする土曜日の快晴です。

 

自分の大学生活に、開放的なひと時を、と思って入ったヨット部ですが、そのひと時は大学生活の大部分を占めることになりました。実際の時間以上に、コロナで後半の二年間ほとんどキャンパスに行かなかった学生の気分において、部活の存在はなおさら大きかったです。

入部した頃の私は、まだ一ヶ月も経っていないのに寮の先輩から「落合君はまだ部活続けてるの?」と聞かれるほど、運動部に似合わない、いかにも文化系の静かで根性のなさそうな人間だったようです。1年の冬、本郷で開かれたオフ期間中の全体ミーティングのとき、すでに私たちの同期の三割ほどがそれぞれの思うところに従って部活を去ったか去ろうとしていましたが、私も冗談半分に「マネージャーになろうかな」と言っていました。私は一年のあいだはスナイプに乗っていましたが、ヨットは難しいし、体力も足りてないから辛いし、マークは見つけられないし、寒いし…。自分の成長と限界、どちらが先に来るのか、見ものだな、などと他人事のように思っていた記憶があります。

 

2年になる際、人数不足が限界を迎えていたクルーザー班に呼ばれました。そのうち戻るつもりで小網代に荷物を移しました。新勧ののちフォアデッキとしてクルーザーの基本を学び、8月に突然空いたバウマンの座を任され、全日本までの一ヶ月半、ひたすら動作とスタートの練習。これなら出来る、という自信をもちました。自信をもてるまで練習できる環境があったことが、自分にとって幸運でした。今年の全日本における維摩のような、多くの場面で船を主導するバウマンにはなれていなかったものの、船のなかで欠かせない役割を一つは担えているという実感が、励みになりました。そして賑やかな後輩たちがやってきました。仰秀チームが一気に明るくなりました。高校時代の延長でいつもやんややんやと言い合っている維摩と萩原、それに板坂、それにもまして奔放に自分たちが楽しむことに全力な美緒と香穂、そしてゆづ。自分も、彼らのようにのびのび楽しもうかな、と思いました。ありがたいことに後輩たちはその楽しそうな輪の中に巻き込んでくれました。

 

全日本が終わり、順当な流れとして私がトリマーをやることになり、この時になって仰秀で最後までやり通すのだと決心しました。トリマーの目線から改めて思ったこと。ディンギー班から飛んできた太朗さんに「落合はヨットやってて何が一番楽しい?」と聞かれ、「風だけで走ってるんだなぁと思う時」と答えました。本当にそうでした。そして最後までそうでした。眺めるだけだった海原に自分たちで船を出し、海はどこまでいっても水で、ヨットは風だけで進み、雨は雲から降るもので、雲は浮いているんだなぁ、と感じること。自分にとってヨットを純粋に楽しむとはそういうことでした。

 

3年になるタイミングで部活動は中断を余儀なくされました。新入生と顔をあわせることもなく、動画ミーティングをする日々。賑やかな合宿所にいられないのを寂しく思う一方で、ちょっと天気が悪くて出艇できない期間が長く続いているのと同じだとも思いました。限られた部活という時間の中で、レースに勝つことを一番の目標にやっていたわけではなかった私は、無責任ではあるものの焦りを感じませんでした。次第に断続的に練習できるようになって、すぐ最上級生に。大会の予定は定まらず、2月から加入してくれた「ひで」とそれから間もなく入ってくれた関根と友成たちを育てながら、自分たちの技術を高める練習。ただ一日一日の練習を充実させることしか考えていませんでした。私はそれで十分楽しかったし、それ以外のことを一旦保留にしておける状況が、心地良いとさえ感じ、どうすればみんなが今日の練習で一番成長できて充実感を得られるか、を考えることに自分の存在価値を認めていました。合宿所はあいかわらず賑やかで、偏屈だった私の頭もだいぶバカになりました。

 

8月末、合宿再開。しかし9月頭のフリートレースは中止。9月末、全日本の開催に兆しが出て来る。この段になって初めて、レースで勝つことが目標になりました。最後のレースで中途半端な成績だったら折角の引退レースが勿体無いと思いました。新体制の初レースも、仰秀には十数年ぶりのトップフィニッシュがありましたが、それは文字通り「望外の喜び」でした。全日本では狙いを定めて勝ちたい。10月のフリートレースは目標通りの4位、ただ上も下も差があり喜びは薄いものでした。11月のフリートレース、目標はダボハゼに勝っての3位。結果、3位で目標達成、これには喜びました。自分史上最高にピカピカな船艇の仰秀で臨む全日本の目標は、5位。月光とシエスタが2艇ずつ出すことを考えると、それ以外の全てに勝たなければ届かない目標でしたが、勝てると思いました。クルーにはダボハゼに勝つ実力があるし、そのうえで自分が10日間近くかけて磨いた仰秀なのだから勝てないわけはない、と。やはりだいぶバカになったようです。

 

レースの詳細は萩原が必要十分な振り返りを書いてくれました。第1レース、「幸運でした。完璧でした。」いきなりトップをとってどんな気持ちになればいいか分かりませんでした。第2レース、2位。これならば実力を示したと言える「2レース連続で1.2位。興奮で鼓動が止まりませんでした。」鼓動が止まらなくて本当に良かったです。第3、第4レースは月光の中澤オーナー曰く「いつもの仰秀」の10位、13位。一つずつ順位を上げて行けば良い、と思いながらタクティシャンにそう声をかけてあげなかったことが悔やまれました。第5レース、「基本に忠実に。4位。」ケースから始まった第6レースは「追い上げるも10位。」追い上げたことを褒めてあげたいです。第7レース、「ほぼ満点のスタート。」そうでした。それで本部船の方を見やったら、さらに高い位置でFOXや月光が一斉にバウを揃えて波頭を切っていました。あの気迫、あの場面であの完璧さ。それをほぼ同じ風位で走りながら見られていること。今年の全日本における私たちのチームの位置を象徴するような景色でした。まるっと二年間という長きにわたって不満をみせずバウマンを務め続け、スタートにおいてあそこまで導いてくれた維摩に感謝しています。

 

最後のレースが終わってハーバーに帰り、今は月光の若手の牽引役である仰秀復活の立役者、松山さんとお話しました。どんな気分かと問われて、その時は言葉が思い浮かびませんでした。最後にちゃんとヨットレースができたな、とは思いました。やはりそう簡単には勝てない、でも勝てる可能性は十分ある。よく闘った。でもまだ自分たちが現実的に上に行ける余地があった。誇るべき結果は残したけれど大満足でもない。良し悪しありました。それゆえか割に淡々としていました。心の奥にかわらず流れていたのは、「ヨットに乗って海に出ていた時間は幸せだったな」という感慨でした。いつの間にかこんなにヨットが好きになっていました。我ながら笑えます。休日の全てを使ってあんなに毎日のように乗っていたのに、まだヨットに乗りたい気持ちがあります。それは「このメンバーに囲まれて」という前提も含まれているかもしれません。このメンバーだからこそ、ここまで幸せな気分で過ごせました。

 

現役への言葉は個別に残したので、先にLBさんにお伝えしたいことを。

四年間、ヨットを続けられる環境を与えてくださり、ありがとうございました。どれだけお世話になったか、まだ分かっていないかもしれませんが、あらゆる方面からのご支援をいただきました。結果で恩返しできていれば嬉しく思います。田端様は「仰秀が月光とシエスタの前を切る夢を見ました!」というわけで、全日本で観覧艇を出してくださいました。正夢にできて光栄です。ぜひこれからも仰秀の活躍を楽しみにしていてください。

 

直近の先輩方、私のような部員でもヨットを続けられる場所を与えてくださり、ありがとうございました。すぐに上達したり、ヨットレースの面白さが分かってレースで勝つために邁進できたりしなくても、受け入れてくれる寛容な東大ヨット部で良かったです。ヨットの色々な楽しさを知ることができました。

 

それから同期の中野。お疲れ様。だいたい全部任せきりでした。自分が補えたのは部屋の整理と細かい手先の作業くらいでした。中野がいなければ自分もこんな気楽な感じではやってこられなかったでしょう。大変お世話になりました。そんなにすごくよく話をしたという気はしないけど、なんだかんだ濃い関係になった気がしますね。社会人になっても暇ができたらまた一緒にヨットに乗りましょう。

 

後輩たち。もうそんな言うことはないけども。笑

維摩、萩原。頼もしくなりました。このチームでの成績の半分は君たちの負うところです。とても助けられました。とはいえ色々抜けているところもあるので、お互いに言い合ってうまくやっていってください。

ひで。「仰秀は世界一ぃ!」を現実のものにすべく頑張ってください。上手い人に学べばどこまでも上達していけると思います。

関根、友成。楽しみにしています。二人で補い合いながら、うまくなって、仰秀を盛り上げていってくれたら嬉しいです。

美緒、香穂。このチームを明るくしてくれてありがとう。通い練習の時でも楽しく部活生活を送れたのは二人のテンションが朝から「ぶちあがって」いたからかもしれません。その明るさに何度も助けられた気がします。

かなちゃん。仰秀に来てくれてありがとう。すべてこれからだけど、必ず自分なりの貢献があるから、焦らず楽しんでください。

そして最後まで読んでくれた人だけに。ご存知のようにTシャツを作りました。欲しい方は改めてサイズとともにご一報ください。何かの機会にお届けします。

 

夜になってしまいましたので、これで終わりにいたします。

四年間ありがとうございました。

 

東京大学運動会ヨット部

 

落合輝


八景レースに備えて

2021年12月09日 23時05分56秒 | 通常練習

お世話になっております!1年470クルーの田中大貴です。

僕が前ブログを書いたのが新入生紹介のブログだったので、もう何ヶ月も経ってしまいました。時の流れは早いですね。さっき部活でヴァーチャルレガッタという、ヨットレース本番さながらのゲームをしたのですが、僕は先日アプリを入れてちょっと練習しただけだったこともあり、あと単純に皆んなが上手いこともあり、皆にボコボコにされました。なんなら調さんと工藤さんが最後にコメントし終わったぐらいにゴールしました。でも、皆でレガッタをやれてすごく楽しかったです。またやりたいです。

さて、12/4,5に行われた練習報告を行います。4日は風の強弱、また風向の変化が激しく、スキッパーの先輩もなかなか対応に難儀していました。僕もハーフトラと上オンの間での足捌きや、ロールタックや、スピントリムなどで良い練習が出来、学ぶことが非常に多かった1日でした。

5日は午前中に赤旗が上がりました。そのため、整備を皆でやったり、小松さんが自分がヨットを始めたきっかけや経過をお話ししていただいたため、とても実りある時間でした。

11時頃に赤旗が下されたため、皆んなでご飯を食べた後出艇しました。僕は最初レスキューに乗っていて、小松さん指導のもと、3艇のタック練を見ました。
小松さんは「タックを1000回やる勢い、20秒未満に1回のペースでタックしないとダメだろう!!」と言っていて、確かに反復練習は大事だし、その通りだなと思いました。

その後、スナイプチームと合同でコース練を行いました。コース練はとても楽しそうだったので、早く載せ替えされないかなぁ、とレスキューの上で思っていました。載せ替え後は高原さんと一緒にコース練を行いました。2回行ったのですが、2回とも動作に集中していたらコース練が終わっていました。コースが短いのもあったのだと思いますが、動作を当たり前にこなし、ブローなどを見極める余裕があればなぁ、反復練習しないとなぁ、と思いました。

今週の土曜日には八景レースがあります。僕はこの代では身長と体重が部内で1番あるので、体格を活かし、強風だったら強烈で華麗なトラッピーズで船を常にフラットに保ち、上オンやインデッキだったら繊細なトリムと大胆なロールを行い、チームの目標の達成に貢献できるように精一杯頑張ります!

今後、ますます寒くなり辛い季節にはなりますが、この部活が大学やLBの方々、その他大勢の方の協力のもと運営されているありがたみを忘れず、上達できるように精進して参ります。これからもよろしくお願い致します。

1年470クルー 田中大貴


レースを作る

2021年12月09日 02時19分00秒 | j24全日本

 

お世話になっております。

 

新4年クルーザー班新主将、青木維摩です。

 

このブログの内容は全日本選手権の振り返りのみに限り、新主将としてのご挨拶は来週のブログでさせていただきます。

 

バウマンを始めて早2年、最近の仰秀でのバウマン歴は最長になっていました。

 

2年前の仰秀にとって明らかに一番の課題はスタート、遅れてスタートして月光、だぼはぜに置いていかれる、

レースにおいて最も重要なポイントであるスタートが上手くいかず、順位が上がらないような状況。

 

でも誰もいいスタートを切る方法がわからない、

誰もスタート前のいいポジショニングの取り方がわからない、

他艇のプレッシャーがある中でオンタイム、フルスピードで狙った位置から出ることができない。

 

当時のレース後のミーティングで取り上げられる議題のほとんどがスタートだったことを覚えています。

すごくショックでした、

タクティシャンにたすきをつなげていない、スタートでレースを壊している、

自分が明らかにチームの足をひっぱっている、チームに迷惑をかけている気がして。

 

あれから2年経った今回の全日本選手権、自分にとってバウマンとしての最後のレガッタに臨みました。

当時の自分には全くなかった自信を持ち、

ヘルムスマンの中野さん、トリマーの落合さん、タクティシャンの萩原からのスタートにおける絶対的な信頼を感じながら。

 

どこで自分がブレイクスルーできたのかはわかりません。

日々のスタート練習、Go Proの動画、YouTubeのスタート動画、月光への質問、全てが自分の自信になり、

フリートレースでの成功、月光畠山さんからのお褒めの言葉が自分への信頼になり、

今回の全日本選手権を迎えました。

 

ノーレースを含めて9回のスタート、すべてが上手くいったわけではありません。

後悔の残るスタートもあります。

でもほとんどのレースでタクティシャンにたすきを渡すことができた、レースを作ることができた。

 

今回のレガッタで見たスタート直後の気持ちの良い景色は自分のバウマンとしてのハイライトです。

 

目標である5位をかけた最終第7レース、自分のバウマンとしての最後のレース、Foxと1点差、だぼはぜと同点の状況。

もしスタートで出遅れたらカバーされて詰んでしまう、誰もそんなことは言わなかったけれど、これまでにはないプレッシャー。

 

集大成となったこのスタートはほぼ満点でレースを作ることができたと思います。

ただFoxとだぼはぜも凄かった。

仰秀と同じくミスが許されない状況で完璧なスタートを切る、

すごく緊張感のあるスタートでした、最終レースに後悔はありません。

 

今年の仰秀のキーワードは「総合力」だと思っています。

各ポジションのプレイヤーが自分のスキルを最大限高め、かつ別のポジションもこなせるようになることで、お互いの考えていることがわかるようになってくる。

考えが共有されていることで気配りがより洗練されたものとなり、1つのチームとしての完成度、総合力が高まった、そんなチームだったと思います。

スタートの時もどんどん的確な情報共有ができるようになっているなと感じていました。

 

自分はヘルムスマンに移り、これからバウマンは新2年の関根がつとめることになります。

関根には自分よりも早く自信を持ってスタートできるバウマンになってほしい、

彼には状況判断のポテンシャルがある、

自分がしっかり経験を伝えることができれば、あらゆる状況に対するスタートのイメージを持ち、すぐに成長してくれると思っています。

 

最後に、全日本選手権の運営関係者、LBの皆様、そして家族、マネージャー、本当にありがとうございました。

このチームで中野さんと落合さんと最後にいい景色を見ることができて、自分は幸せでした。

来年、自分も後輩にいい景色を見せてあげられるように、引き続き練習に励んでいこうと思います。

 

新4年 クルーザー班新主将

青木維摩

 


19歳迎えました!

2021年12月09日 00時00分00秒 | 通常練習


お世話になっております。
新2年マネージャー森田さくらです。


八景島での生活を終え、気持ちが新しいうちに初のマネージャーブログを書きたいと思います。
前回書かせていただいたのは自己紹介ブログでした。何を書いたらいいのか事前に指示されていたので、比較的スラスラと文章が出てきましたが、今回は自由度が高いので、頭をフル回転させながら書いています(笑)


さて、今週で合宿も3週目を迎えました。
私は八景島で2回合宿生活を経験する中で、コロナ禍での活動とさらに増えた仕事内容に慣れつつあります。ここで陸マネージャーの合宿生活を少し紹介します!


6:30にプレイヤーと同時orちょっと早めの起床(夏はもっと早いそうです)。
7:30の朝食に向けて準備、プレイヤーと共に朝食。
全体ミーティングに参加。
出艇申告や出艇時間の記録。
11:40レスキューへの昼食渡しのために、9:45頃から昼飯作り。
昼食を無事にレスキューへ渡したら、合宿所の整理整頓や船台のタイヤやパッドの管理。必要なものがあればこの時間に買い出しに出かけます。
16:00の着艇時には各艇へ船台を渡したり、レスキューの解装をしたり。
プレイヤーがミーティングを行なっている間にその日の夕食作りが始まります(最近のメニューは生姜焼きやすき焼き風煮など!好評でした!)。
夕食が終われば、明日の朝食を作ります(冬のみ作り置きしておきます)。
そして22:30or23:00に就寝。


ザッと簡単に並べましたが、大体このようなスケジュールで動いています!初回は上級生の方に聞いてばかりでしたが、2回目ともなれば主体的に行動することができるようになりました。
次回は6:30に寝起きであまり声が出ないと思いますが「起床!」と言うのが目標です(笑)



話は変わりますが、12/4(土)に19歳を迎えました。4月から大学生となり、高校生活とは大きく変化した環境に順応しようと必死な中でヨット部に入部し、多くの時間を同期の仲間、上級生と共に過ごしてきました。仕事に慣れるだけでなく、陸マネとして部に何を貢献できるのか、新参者ながらたくさん考えてきました。必要不可欠な人材となれるよう、新体制となったこれから気持ちを新たに気を引き締めて頑張っていきます。

それでは、この辺で失礼させていただきます。




森田さくら






初レースに向けて

2021年12月08日 16時59分00秒 | 通常練習

お世話になっております。1年スナイプスキッパーの中静勇輝です。


時の流れは早いもので、もう前回ブログを書いた時から5ヶ月、そして人気アイドルグループNiziUのデビューから1年が経過しました。


さて、今週の練習報告をさせていただきます。

124()は午前に南風78m、昼過ぎに風がガクンと落ち触れ回った後、再び強風が吹きこの1日で様々な風を経験することができました。午前に動作練、午後にはコース練などを行いました。


125()は午前は強風で赤旗が上がったため、小松コーチのミーティングやコントロールロープ座学をしていただきました。コントロールロープ座学では陸上で船を横倒ししてロープをいじって実際にセールやマストがどう動くのか観察することができました。午後は45mの風で主にコース練習を行いました。船をぶつけないか終始ビクビクしていましたが、スタートやマーク回航などとても良い練習ができたと思います。


今週も先輩にクルーとして乗っていただき、優しく的確な指導をしていただきました。まだ走りも全然安定しない僕のような初心者スキッパーと嫌な顔ひとつせず乗り、アドバイスもたくさんしてくださる先輩方には感謝してもしきれません。僕が逆の立場だったら一緒に乗るの怖いなあと思ってしまいます。(実際に先輩方は思っているかもしれませんが笑)また、時には本来スキッパーの方もクルーとして一緒に乗ってくださる時があります。乗りながらスキッパーの視点からのアドバイスもしてくださり本当に勉強になります。いつもありがとうございます。


また、今週末の1211()に八景レースが控えているということでスタート練やコース練をいつもより多く行いました。自分達1年生にとって初のレースで緊張しますが、初心者なりに挑戦し学びの多いレースにしたいです。僕とは今年引退したLBの古関様が一緒に乗ってくださることになり大変心強く、レースがとても楽しみです。


11月に代交代がありましたが、その頃からスキッパーとして海に出させていただく機会が増え、少しずつではありますが日々上達しているのを感じ、ヨットが楽しくて仕方ないです。出席必須の授業などでAセメスターが終わるまでなかなか自主練に参加出来ないのがとても残念です。。。

これから気温がますます下がり過酷な環境になりますが、どんなに辛くても周りへの感謝、配慮を忘れず活動していきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。



1年スナイプスキッパー 中静勇輝


夢物語と現実と。

2021年12月06日 22時49分00秒 | j24全日本

 お世話になっています。クルーザー班新4年タクティシャンの萩原です。

全日本の振り返りをしたいと思います。


リザルトは

1-2-10-13-4-10-8 総合7/14



です。世界選手権の出場権を無条件で獲れる目標の5位まであと少しでした。


 具体的に各レースの振り返りをしていきます。


1日目。

 1R1上、スタートで出遅れ右に伸ばす。足りなめレイでタックし、前を4艇切っていく。レイ前までは風位で6位。マーク10艇身前でツータックするとギリギリのレイ。オーバーレイした他の船より前に出れたことで2位回航。回航後、艇団をカバーし続け、2上で1位艇を抜けたことで21位回航。そのままカバーし続け、真後ろについた月光に抜かれることなく1位フィニッシュ。幸運でした。完璧でした。胸が震えました。


 2R。トップフィニッシュでの興奮でも集中力を切らさないように。艇内で鼓舞し合いながら参戦。11位回航。その後シエスタに抜かれるも2位を保ち2位フィニッシュ。2レース連続で1.2位。興奮で鼓動が止まりませんでした。


 3R。手堅いコースで17位回航目前。レイでポート艇が無理矢理タック。避けてプロテストしたものの風位を失いマークに入り切れずマークタッチ。1回転。そのあと少しあげたものの10位フィニッシュ。

 

 4R。成すこと成すこと裏目に出た最悪のレースでした。完璧なスタートが決まり、シエスタ2艇と右に伸ばしました。他の船を左に追いやり理想の右海面へ。完璧なコースのはずでした。ずっとリフトし続ける。左に振りきれる海面で最終的に左の艇団が完勝するレグだったのに。第3R10位で第4Rは叩けないと思っている自分は右へ伸ばし続けても勝ち目がないことを認められず、今にヘダーが入る!、右に振れ戻る!、と思い込み右に進み続けることを選択。シエスタ2艇がタックしてヘダーを走りながら左海面に行っても右に伸ばし続けました。あまりに愚かでした。シエスタ2艇は1上では下位に沈むもののその後追い上げフィニッシュは2位と5位。111位の仰秀はその後もセパレートを果敢に選択し続け順位を落とし、13位。


 この日のミーティング。トップフィニッシュ、2位フィニッシュの喜びを噛み締める一方、後半でのひどいレース結果、内容への反省。カットレースありで1日目5位。

 

 2日目。

5R。手堅いレースでした。基本に忠実に。4位。実力をきちんと発揮できたレースでした。1位、2位フィニッシュの喜びとは違う、自信のみなぎった喜び。前日の不安を払拭できたレースでした。


6R。スタートで追い出される&プロテストかけられる。最悪のスタート。スタート前想定外に右振れして何艇も追い出されました。プロテストされ1回転。この後追い上げるも10位。


3日目。

 最終レース。前日までで5位Foxと1点差、だぼはぜと同点の6位タイ。目標の5位は目の前でした。文字通り最終レースにかかっていました。


 7R。スタート。ほぼ満点のスタート。ただ下にだぼはぜ、上にフォックス。両艇とも満点のスタート。ライバル2艇の影響をくらい、左に伸ばせず右へ。左海面が伸び、だぼはぜ、フォックスが1上、2位と3位回航。仰秀は7位回航。2下。ランニングで追いつき真後ろにつけるも下回航が甘く、内側を後ろの艇に刺される。タックを余儀なくされる。結果は8位フィニッシュ。悪くないレースでした。ただライバル艇が凄かった。


総括

 目標の5位まであと少しでした。遠かった上位艇の背中に肉薄できました。最高でした。ただ詰めが甘かった。あと数点だった。あと数点で完璧だった。もっとシビアにできた。ケース、タクティクス、回航。もっとシビアにならないといけなかった。ミスが少なければ。もう1艇抜けていれば。




 だぼはぜとFoxに勝つ。全日本選手権前日にこの目標を掲げました。一年前ならあまりに夢物語でした。現実がわかっていない御伽噺でした。1Rですら勝てたら奇跡。それがこの一年で本当に競えるレベルになりました。フリートレースでだぼはぜに勝った。全日本選手権で2艇と最後まで競った。フリートレースでも全日本選手権でもトップフィニッシュを成し遂げた。こんな景色を一緒に見れて本当に最高でした。嫌になるほど一緒に過ごした、変な癖まで知り尽くした、落合さんと中野さんと見れて本当に最高でした。


 今後は自分たちが先輩から頂いたこの感動を、この興奮を、後輩にも見せれるように。頑張っていきます。


クルーザー班 新4年 萩原和眞

 


幸💞

2021年12月03日 23時25分00秒 | j24全日本

皆様お疲れ様です。

新4年マネージャーの小林美緒と申します。

今回は、J24全日本選手権大会の振り返りブログを書かせていただきます。


今飛行機の中なので、空の上から率直に感じたことを書ければと思います。


今回の全日本選手権大会の期間は個人的に最も面白く、充実していました。そのように思えたのは、どれだけの人の支えががあったのだろうかと思います。なのでこのブログで感謝の気持ちを述べたい、と言いたいところなのですが、これは来年書く引退ブログに被りそうなので、とっておきます。


まず、ずっと一緒に活動してきたチームが待ちに待ったレースに出られるという環境が整って、本当に良かったと思います。昨年は新型コロナウイルスの影響で、一個上の春日さんと太朗さんは引退レースがしっかりと出来なかったことということもありました。

今回はレースが行われることが決定し、全国の他チームと戦えることに本当に幸せを感じます。そして、仰秀がその大会に向けて大きな規制なく着々と準備を進められたことも奇跡のように思います。なので、今回のレースにはより一層力が入っていた事を、近くで感じていたからこそ期待値が高い状態でした。


その中で、海上運営といういつもより近距離で仰秀を見ることができたことも幸せでした。いつか出来たらなということを同期マネージャーの青木と1年生の頃から話していましたが、実現できるとは思ってもいませんでした。

なので、私たちの気合いも十分で長靴なんて履いてマリーナを走り回っていました!

海上運営をしている時は、とても楽しくてやり甲斐も感じて、大好きな方々(「よ!さすがのレース委員長」畠山さんと、仰秀LBの工藤コナンさん)に囲まれて充実した時間を過ごさせて頂きました。御二方とも本当にお世話になりました。そしてたくさんのご指導ありがとうございました。感謝しかありません。


そして個人的には、着艇後に仰秀の皆と「このレースはこうだったよね!」「ここはこの方が良かったよ」というのを話せることが本当に嬉しく、楽しかったです!!海上運営という立場でヨットに関わることができて本当に幸せだと思います。


私たちマネージャーが海に出られるという環境が整っていたことが今回のレースにおいて本当に大きいです。春日さん、中野さんが主将という立場の中で何度も私たちの希望に添った決断をして頂いて、今回のことが実現したように思います。本当にありがとうございます。

そして、2年マネージャーの橋本佳奈ちゃんがご飯を作ってくれたことも大きかったです。本当にありがとう!!

多くの人に支えられて実現したことだと強く感じます。


そして、突撃マグロサプライズを計画していただいたり、引退記念品や差し入れを下さったLBさんや御家族の皆様、仰秀のレースを盛り上げて、応援してくださってありがとうございました。たくさんの方にお会いできたことも充実した時間になった1つの理由です。


最後になりましたが、私たちにとっての永遠の2年生のお2人、中野さんと落合さん今まで大変お世話になりました。お2人の絶妙なバランスと最強タッグ、最高でした。もう一緒に活動できないと思うと信じられませんし寂しいですが、おふたりは仰秀に大きくて重い宝物を残してくれたと感じます。


私たちが引退するまで見守っていて下さい。そして、秀荘建てましょう。今まで本当にありがとうございました!


内容まとまらずすみませんが、これにて終了させていただきます。


今後とも精進して参りますので、どうか皆様見守って下さい。よろしくお願いいたします。


新4年 マネージャー 小林美緒