令和2年6月5日、NHKテレビ「北海道道」で、世界的バレエダンサー“熊川哲也”を放映していた。
熊川哲也氏は、北海道旭川市生まれの札幌育ちで48歳。16歳の時、単身でイギリスに留学しバレエの修業を積んだ。そして彼は、その才能を開花し、バレエ団のトップである“プリンシパル”まで上り詰めている。
日本に帰国してからは会社社長にもなり、経営者と演出家という二足の草鞋を履き成功を遂げている。35歳の時、公演中に十字じん帯を損傷し将来が危ぶまれたが、8カ月間におよぶリハビリを克服し、見事に復活を遂げている。
彼の祖父は、富良野の片田舎で農家を営んでおり、休みの時に度々おじいさんのところに行って感性を醸成したらしい。ふるさと「北海道」に帰ると元気になるので、時々、友人と飲み交わして“くまかわてつや”になるとのことである。
富良野と言えば、倉本聰の「富良野塾」とテレビ連載シリーズ「北の国から」のロケ地がある。富良野は帯広から近い(約130キロ)こともあり、麓郷などのロケ地にたびたび行った思い出がある。
私の一番好きな“北の国から”は最終章「遺言」で、特に、黒板五郎の言葉である。
「金なんか望むな。倖せだけを見ろ。
ここには何もないが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度には充分毎年喰わしてくれる。自然から頂戴しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。それが父さんの、お前らへの遺言だ」
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 熊川哲也
熊川 哲也(くまかわ てつや、1972年3月5日 - )は、日本の北海道旭川市出身のバレエダンサー・振付家・演出家である。英国ロイヤル・バレエ団の元プリンシパル。1999年Kバレエカンパニーを創立し、芸術監督を務める。2003年よりKバレエスクール主宰。2012年よりBunkamura オーチャードホール芸術監督。
[略歴]
北海道旭川市出身。従姉の高橋智子の影響で10歳でバレエを始める。
1986年(昭和61年)、14歳のときに参加した札幌の講習会で、世界的名バレエ教師のハンス・マイスターにその才能を認められ、翌1987年(昭和62年)9月英国ロイヤルバレエ学校アッパークラスに留学。
在学中の1988年(昭和63年)、ソ連レニングラード・ワガノワバレエ学校創立250年祭に英国代表として出演、日本人で初めてマリインスキー劇場で踊る。翌年には、第17回ローザンヌ国際バレエコンクールに出場、日本人初のゴールドメダルを受賞し、世界中から脚光を浴びる。同年、パリでヨーロピアン・ヤングダンサーズ・オブ・ザ・イヤーに英国代表として出場、金賞を受賞。
1989年(平成元年)2月、英国ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団し[9]、同年7月にバレエ団最年少(17歳)でソリストに昇進。12月にはケネス・マクミランの新作『パゴダの王子』の道化役に抜擢される。
1991年、マクミラン振付『ダンセズ・コンチェルタンセス』で初主演、ファースト・ソリストに昇格、第4回グローバル賞受賞。1992年、フレデリック・アシュトン振付『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』で全幕主演デビュー。怪我したダンサーの代役でわずか4日で振りを覚え『ラ・バヤデール』のソロルを踊り成功を納める。
その後99年1月に熊川は、自らKバレエカンパニーを創立。日本で唯一の株式会社が運営するバレエカンパニーとなる。民放のテレビ局、TBSテレビをビジネスパートナーとして提携し、旗揚げ公演『IndepenDANCE JAPAN TOUR 99 SPRING』を開催。以降、毎年全国ツアー定期開催が始まる。
(出典:ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
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