さて アラカンおじたちとの合コン(笑)も先回で三度目になってその時の様子は先日アップしたが、実家から戻ってきたらその中の世話役オジから郵便が届いていた。
その時の写真と何やら文書が同封してあった。世話役ではないもう一人のオジの文章であった。
そのオジ 当日、飲んでいる間は機嫌がよかったのに、おでん屋の後 銀座線の駅に向かう途中から機嫌が悪くなり、「まったく おまいら 何もわかってないんだから・・・」のような事をブツブツ言っていたのであった。
そのわけが判明。
その文書がなかなかおかしかったので本人にはもちろん許可を得ていないが書き写してしまおうと思う。しかしこのオジは本も何冊か出しているし、PC関係も専門家なので例によって検索除けの伏字多用いたしますがお読みください。
★浅○・田×町雑感
先日の ○○レディース ××シティボーイズの合コンでは 寒中にもあかわらず大変楽しく 延々と約半日にもおよぶ時間を過ごさせていただきました。
しかしその折 何度も今回の会場となった○草、とりわけ×原町についての私自身の思いを皆様にお話したのですが、話の途中で「ちょっとトイレに行ってもいいですか」とかいうような調子で、まったく意が伝わらなかったのを残念に思っています。
中略
左の写真は 昨年夏に私が撮った雷門から×原町に向けての風景
正面やや左の黄色い看板のところが×原町交差点です。先日はお○ふく ×草ビューホテルからの帰りに、その前を右から左に通ったことになります。
かつて、この場所はまさに東京の中心地でした。
この交差点の所に、関東大震災で崩壊するまでは「浅×十二階」と呼ばれた「凌×閣」(雲を凌ぐほど高い建物という意味)があり、それは明治、大正期の東京を象徴する建物物でした。
現在でいえば、六本木ヒルズといったらよいでしょうか。とりわけ地方出身者のあこがれの場所でもありました それは若者にとっては渋谷のセンター街 おじさんにとっては新橋SL広場 おばさんにとっては新大久保コリアンタウン おばあさんにとっては巣鴨とげぬき地蔵・・・?
★吉★勇
今回、私たちはこの×原町の交差点を何の感慨もなく「こっちの方が駅に近いから」という感じで素通りしたことになります(実に嘆かわしい!)
この×雲閣が崩壊したあとは、それを模した○丹塔が建てられ、それも昭和の東京を代表するランドマークでした。ということで、×原町の×雲閣や仁○塔については、石川啄木、北原白秋など多くの文学者がその作品に取り上げています。
先日私が伝えたかったのは吉×勇がこの仁丹塔をテーマにうたった下の写真の歌・・・
文芸春秋はこの「東京の秋の夜半に別れきぬ 仁丹の灯よさらばさらばと」を東京を代表する歌に選びました。
×井勇が多分女性と別れ、そして東京を去る時、夕日に浮かぶ東京のランドマーク仁丹塔を見上げながら「さらばさらば」と叫ぶ、その思いはいかばばかりだったのかと・・・
今ここにアサヒスーパードライの看板だけがあり、そうした思いがまさにこの場所にあったということが忘れられていることが私の心をさびしくさせるわけであります。(署名)
ジジイなげぇよ とお思いになった方もあるやもしれないが、さすが文筆業 文章は巧み、せっかく10歳年下のレディース(笑いどころ)を啓蒙しようと そしてその場で記念撮影をしようと心に決めておられたらしいが、あの場での私たち 話を始めると「あっここ(ビューホテル)でトイレ借りてこうよ」と話の腰を折り、この信号を渡って写真を撮ろうとの提案も 「え~? 遠回りじゃん 寒いからさっさと駅までいきましょう」などとあっさり却下していたのであった。(尿意と寒さにロマンが負けたっつーことでよろぴく)
まあせっかちで気の強い女性っていうのが共通項の県民性 その中でも強い女の集団が相手だったのが彼の不運であろう。
そして世話役オジのまとめ文章
正月早々の○草、長丁場ではありましたが楽しかったですね。
ホッ★ー通りを経て お★★くを出るころには「冷てえ風にほろ酔いの心持よくうかうかと」で、ビューホテルで厄落とし(トイレで用足し)もし 濡れ手で粟の百両は手に入りませんでしたが、「こいつは春から縁起がいいわえ」で締めくくれたと思います。
こっちも三人吉三のセリフ引用でキレイにまとめてあった。こっちのオジも印税生活者 さすがである。
私の周りにはオットはじめ 理系出身者が多いんだけど このオジたちは全員文系出身だったと思う。文系出身者ってのも面白いもんだね。(上司やダンナにしたらめんどくさそうではあるが 秘)
この手紙を読んだらしい Nちゃん(一級建築士・頭は超切れるが超せっかちの情緒なし女)から感想メールが来たけど 彼女は私たちの呼称を○○レディースにしていた所に反応していた (○○は故郷の山の名前が入ります)
「○○レディースってさあ 暴走族みたいじゃないね~ 自分たちだけ ××シティーボーイズ(××って東京の中堅高級住宅街)ってずるくない?」
確かに ○○レディースっていうとヤンキー上がりで10代でできちゃった結婚してその子供も結婚が早かったから40代半ばで孫ができちゃってて 髪が真っ赤でジャージーに派手なスタジャン着て、タバコ焼けした嗄れ声で 「昔はじいちゃんと一緒にヤンチャしたもんさね~」なんて言いながら孫をあやしているおばはんを思い出すのでやめてほしいと思った。
その時の写真と何やら文書が同封してあった。世話役ではないもう一人のオジの文章であった。
そのオジ 当日、飲んでいる間は機嫌がよかったのに、おでん屋の後 銀座線の駅に向かう途中から機嫌が悪くなり、「まったく おまいら 何もわかってないんだから・・・」のような事をブツブツ言っていたのであった。
そのわけが判明。
その文書がなかなかおかしかったので本人にはもちろん許可を得ていないが書き写してしまおうと思う。しかしこのオジは本も何冊か出しているし、PC関係も専門家なので例によって検索除けの伏字多用いたしますがお読みください。
★浅○・田×町雑感
先日の ○○レディース ××シティボーイズの合コンでは 寒中にもあかわらず大変楽しく 延々と約半日にもおよぶ時間を過ごさせていただきました。
しかしその折 何度も今回の会場となった○草、とりわけ×原町についての私自身の思いを皆様にお話したのですが、話の途中で「ちょっとトイレに行ってもいいですか」とかいうような調子で、まったく意が伝わらなかったのを残念に思っています。
中略
左の写真は 昨年夏に私が撮った雷門から×原町に向けての風景
正面やや左の黄色い看板のところが×原町交差点です。先日はお○ふく ×草ビューホテルからの帰りに、その前を右から左に通ったことになります。
かつて、この場所はまさに東京の中心地でした。
この交差点の所に、関東大震災で崩壊するまでは「浅×十二階」と呼ばれた「凌×閣」(雲を凌ぐほど高い建物という意味)があり、それは明治、大正期の東京を象徴する建物物でした。
現在でいえば、六本木ヒルズといったらよいでしょうか。とりわけ地方出身者のあこがれの場所でもありました それは若者にとっては渋谷のセンター街 おじさんにとっては新橋SL広場 おばさんにとっては新大久保コリアンタウン おばあさんにとっては巣鴨とげぬき地蔵・・・?
★吉★勇
今回、私たちはこの×原町の交差点を何の感慨もなく「こっちの方が駅に近いから」という感じで素通りしたことになります(実に嘆かわしい!)
この×雲閣が崩壊したあとは、それを模した○丹塔が建てられ、それも昭和の東京を代表するランドマークでした。ということで、×原町の×雲閣や仁○塔については、石川啄木、北原白秋など多くの文学者がその作品に取り上げています。
先日私が伝えたかったのは吉×勇がこの仁丹塔をテーマにうたった下の写真の歌・・・
文芸春秋はこの「東京の秋の夜半に別れきぬ 仁丹の灯よさらばさらばと」を東京を代表する歌に選びました。
×井勇が多分女性と別れ、そして東京を去る時、夕日に浮かぶ東京のランドマーク仁丹塔を見上げながら「さらばさらば」と叫ぶ、その思いはいかばばかりだったのかと・・・
今ここにアサヒスーパードライの看板だけがあり、そうした思いがまさにこの場所にあったということが忘れられていることが私の心をさびしくさせるわけであります。(署名)
ジジイなげぇよ とお思いになった方もあるやもしれないが、さすが文筆業 文章は巧み、せっかく10歳年下のレディース(笑いどころ)を啓蒙しようと そしてその場で記念撮影をしようと心に決めておられたらしいが、あの場での私たち 話を始めると「あっここ(ビューホテル)でトイレ借りてこうよ」と話の腰を折り、この信号を渡って写真を撮ろうとの提案も 「え~? 遠回りじゃん 寒いからさっさと駅までいきましょう」などとあっさり却下していたのであった。(尿意と寒さにロマンが負けたっつーことでよろぴく)
まあせっかちで気の強い女性っていうのが共通項の県民性 その中でも強い女の集団が相手だったのが彼の不運であろう。
そして世話役オジのまとめ文章
正月早々の○草、長丁場ではありましたが楽しかったですね。
ホッ★ー通りを経て お★★くを出るころには「冷てえ風にほろ酔いの心持よくうかうかと」で、ビューホテルで厄落とし(トイレで用足し)もし 濡れ手で粟の百両は手に入りませんでしたが、「こいつは春から縁起がいいわえ」で締めくくれたと思います。
こっちも三人吉三のセリフ引用でキレイにまとめてあった。こっちのオジも印税生活者 さすがである。
私の周りにはオットはじめ 理系出身者が多いんだけど このオジたちは全員文系出身だったと思う。文系出身者ってのも面白いもんだね。(上司やダンナにしたらめんどくさそうではあるが 秘)
この手紙を読んだらしい Nちゃん(一級建築士・頭は超切れるが超せっかちの情緒なし女)から感想メールが来たけど 彼女は私たちの呼称を○○レディースにしていた所に反応していた (○○は故郷の山の名前が入ります)
「○○レディースってさあ 暴走族みたいじゃないね~ 自分たちだけ ××シティーボーイズ(××って東京の中堅高級住宅街)ってずるくない?」
確かに ○○レディースっていうとヤンキー上がりで10代でできちゃった結婚してその子供も結婚が早かったから40代半ばで孫ができちゃってて 髪が真っ赤でジャージーに派手なスタジャン着て、タバコ焼けした嗄れ声で 「昔はじいちゃんと一緒にヤンチャしたもんさね~」なんて言いながら孫をあやしているおばはんを思い出すのでやめてほしいと思った。