局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

余計なお世話~母 退院

2016-05-02 11:47:10 | 様々な思い
2月末に家で転んで膝を剥離骨折した母が、やっと退院できた。
高齢だし、入院中に腰を傷めたりで、一時はこのまま車椅子生活になっちゃうのかな?と心配したが、無事に歩けるようになった。
老々介護気味だったマダラボケの父と離れていたことや、上げ膳据え膳の入院生活もよかったのか、疲れもとれたし、食欲も戻ったみたい。
そして今時のリハビリ技術ってのも進化しているみたいで、(理学療法士もイケメンだったらしい)色々体の使い方も教えてもらって、杖をつきながらではあるけど、しっかり歩けて身の回りのこともできるみたいなので、一先ず安心。

一昨日は入所予定の老人ホームに見学に行き、部屋の広さと両隣の夫婦ぺやの穏やかな感じの入居者たちと、働いている方たちの雰囲気を見て、安心したようである。

周りの人たちからは「こんな綺麗な人が入ってくれるなんて!」と言われ、「いえいえとんでもない」なんてその場で言ってはいたものの「あたしはどこに行っても綺麗だって言われてね、病院での食堂でもおばあさんたちがあたしの周りに座りたがるのよー」などとムスメに自慢する能天気さ加減である。

母が、同じ部屋に入所すれば、今一不安だった父も安定するだろうし、母も、家庭で暮らすよりは却って父の一挙一動を見守る必要がなくなるので心労も少なくなると思う。

また一番の問題は、戦後すぐに建てた、この実家である。平屋で無駄に広いだけで非バリアフリー。
あちこち要修理。
さっきも台所と廊下の間の引き戸のレールが外れて、戸が立往生中。
留守にするための施錠場所だけでも数十ヶ所。

生活するためにも地方衰退、ドーナツ化現象がここ20年進んだ実家周辺、徒歩3分ほどにあった大型スーパーが撤退してからは買い物難民。

もう実家で暮らすのは不可能、経済的に許す限り(というか、もうこちらに残すものは残してくれなくてもいいから)なるべくいい施設にと考えた結果であった。

それなのにさっ
母の某お稽古仲間が言ってることがふとした所から耳に入った。

「○子さん(母)施設に入れられちゃうらしいじゃないの。あちらのお宅ならば、お家を直して、24時間の家政婦さんでもお雇いになれるでしよまうにね、かわいそうに」だと。

24時間の家政婦さんて体制が今時取れるものなのか?費用はどれだけかかるのかとか計算もしてないだろうし、それだけ気が利いて全てやってくれる家政婦さんとやらに巡り会って、ずっといてもらうためにどれだけの幸運に出会わなければならないか、とかまるで考えていないだろうなぁなんてのその一言。
言った人は未亡人で子供も居ない人らしいので子供(ワタシと弟)がいる家なんだから子供がみりゃーいいのよ、くらい本心では思っているのであろう。

こっちだって、みんなが一番安心で、みんなが色々犠牲になることなく、満足度が高そうな方法を、色んな所を調べて考えた結果なのにさ。

近い他人と遠い親戚って、こういう場合に色々いらんこと言うってホントですね。

人のお世話焼くときには、本当に役にたつ具体的な提案がある時とか、自分も何か実際に動くつもりがある時以外、するもんじゃないね。

まして、何にも深く考えないで、口から漏らす非難めいた言葉なんてのはどこからどんなルートで相手の耳に入るかなんてのはわからないんだから(まして、田舎の狭い世界で)なるべく控えたほうがよろしいんじゃないかと、自戒も含め、思ったのであった。
コメント (6)
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